瑕疵なき人

柴原逸

第1話 高橋二郎


 申し上げます!


 申し上げます!


 私は人を殺めました。

 しかし、それは忠義のため。あくまでも公儀に身を捧げた結果でございます。

 主殺しは許されざる罪である?

 世間一般では、その通りでしょう。

 ですが、悪の芽が育つ前に未然に摘んでおくことは、幕府にとって、この上ない奉公ではないのでしょうか。

 北条時実ときざねは悪人です。神をも仏をも恐れぬ無法者です。

 やつがあのまま生き長らえ、執権の職を継いでいれば、必ず世は乱れ、さらに多くの血が流れていたことでしょう。

 側に仕えていたからこそ、分かるのです。

 あの時実めは腹の中で絶えず他人を嘲笑っておりました。

 武芸も、幕政も、祭事も、全てくだらないことだと馬鹿にしてかかっていたのです。

 にもかかわらず、誰一人として、それを諫めようとはしなかった。主の過ちを正すのも、仕える者の大切な義務だというのに、どやつも、自分が暇を出されることを恐れるだけの小心者でした。

 それ故、私は心を鬼にして、そのようにご自分を甘やかしては、お父上の泰時やすとき殿のように諸人に尊敬される為政者とはなれませぬぞと諫めました。それさえも、やつはまともに取り合おうともせず、

「お前は偉いなぁ」

 などと肩を竦めるだけなのです。私がどんなに失望し、歯がゆく思ったか。きっとご想像も出来ますまい。

 何、それで殺したのか、ですと?

 はは、まさか。やつの家人になったことを心底後悔いたしましたが、この程度で主殺しの汚名を受けようとまでは考えません。

 やつはもっと恐ろしい、おぞましい悪心を、胸中で温めておりました。

 私はしかとこの耳で聞いたのです。


 あれは丁度花曇りのころでございました。

 やつは気分が悪いと言って弓の稽古を逃れておきながら、いつの間にか屋敷を抜け出して、日暮れになっても帰って来ませんでした。

 万が一やつの身に何かあれば、私ども家人の怠慢ということになり、全員斬首を仰せつけられてもおかしくありません。

 主の不始末は家人の不始末。仕置きは当然のことでございましょう。ほかの連中が、一体屋敷を抜け出すのを見過ごしたのは誰かなどと、責任逃れの口論を始めたのは放っておいて、私は真っ先にやつを探しに出ました。

 その心を天地神明も汲んでくださったのでしょう。私は半刻ほど鎌倉中を駆け回り、花染めの狩衣を着た、やつと思しき後ろ姿が、壺装束の女人と連れ立って今は亡き頼朝公の法華堂の門をくぐっていくのを見かけました。

 私は不快になりました。事もあろうに頼朝公のお造りになった法華堂を、逢引きの場所に使うなど不敬にもほどがございます。

 すぐさま後を追いましたが、境内を見回してもまるで人影がありません。耳を澄ますと、どうやら話し声が法華堂の内側から聞こえてくるようでした。私は堂宇の扉にそっと耳を寄せました。

「……あなたって、本当に自分のおとうさまが嫌いなのね。私が泰時おじさまの名前を出しただけで、すっかり不機嫌になってしまうのだもの」

 その声を聞いて鳥肌が立ちました。私もなじみのあるお声だったからです。

 声の主は竹御所たけごしょ様。二代将軍頼家よりいえ公のご息女で、つまり北条にとっても主筋に当たる方であるはず。にもかかわらず、その話しぶりにはしなだれかかるような親密さがあり、道理に合わない厭らしいものを感じずにはおれませんでした。

 対するやつの言葉はそっけないものでした。

「どうして好きになれますか。あんな人」

「不思議ね。皆、おじさまは古来稀にみる高潔の人だって口をそろえて褒めるのに」

「それだけ立派な人物なら、実朝公の亡き後、自分が将軍になればよかったのです。忠義だ、謙譲の美徳だと言ったところで、結局、素性の卑しさに引け目を感じて、誰かの補佐でいる方が楽だったというだけでしょう。僕なら承久の戦の後にいっそ帝にでもなっていました。そうすれば、一々都にお伺いを立てる手間もなく、大内裏の再建などに無用な出費をせずとも済んだでしょうに」

「素敵ね。あなたが帝になるってことは、私は王妃になれるのね」

「……そうですね。そういうこともあるかもしれません」

 耳にした会話のあまりの恐ろしさに、私は膝が震えるのを抑えられませんでした。

 神たる皇族を滅ぼそうなどと。どんな悪逆無道な心を持っていれば、そのようなことを考えつくのでしょうか。

 私は十分気を付けていたにも関わらず、無意識のうちに腰が引けて、背後の階段を数段滑り落ちてしまいました。

 その物音は堂宇の中へも聞こえるほど大きく、

「誰!?」

 と竹御所様が血相を変えて飛び出してこられました。

 あの時の竹御所様の表情は未だに夢に見ることがあります。怒りで目は吊り上がり、髪は逆立たんばかり。悪鬼もかくやという面相に肝の潰れる思いがしました。

「私たちの会話を盗み聞くなんて……。時実、太刀を貸して。手討ちにします」

 すると、やつは案に反して竹御所様の前に進み出て、あろうことか私をかばってみせたのです。

「お待ちください。これは僕の家人です。大方、命ぜられて僕を探しに来たのでしょう。命まではどうかご勘弁を」

 竹御所様もこれには当惑したご様子で、苛立たし気に地団駄を踏まれました。

「どうしてこんな者をかばうの?」

「取るに足らない者だからです。家人に何か聞かれたくらいで僕たちの関係は終わりなのですか? そうではないでしょう。むしろ、死体が出た方が騒ぎになる」

 その言葉が心行くものだったのか、竹御所様はたちまち華やいだ声を上げられました。

「っ! そう、そうね、あなたの言う通りだわ」

「では、僕たちはこれで失礼させていただきます。竹御所様なら、お一人で帰れますよね?」

「ええ。御所に帰ったらすぐに文を書いて届けさせるわ」

 やつはそれには返事をせず、さっさと歩み去っていきます。その後を追って帰途に就いた私は、やつの心底を測りかねました。屋敷に着くまでの間中、やつは一言も発さなかったばかりか、何か口止めをする素振りもありませんでした。

 しかし、私にはこれで済むとはとても思えませんでした。帝を弑するなどというとてつもない悪心を抱いている男です。魂胆を盗み聞いた私を放置しておくはずがありません。これまで家人をろくに顧みたことのなかったやつが急に私を助けた背景には、何か残酷な企みが働いているものと信じて疑いませんでした。

 それからの日々は生きながら地獄に落とされたようなものです。いつどこで闇討ちされるかも分からず、おちおち眠ることさえできません。やつの一挙手一投足が恐ろしく、意味ありげに見えて仕方がありませんでした。

 何度政所に直訴しようと思ったか分かりません。けれど、確たる証拠は私のこの耳しかなく、くだらない妄言と一蹴されるのが落ちでしょう。あるいは主人をことさら貶めようとする不埒者だと叱責されるか。

 どちらにせよ、やつは何の責めを負うこともなく、逃げおおせるでしょう。

 その意味で私を取るに足らないと評した、やつの言葉は正確でした。

 ならば、私は本当に見逃されたのだろうか。そんな楽観的な考えにすがりたくなる折もございました。

 しかし、やつはその油断を待っているのかもしれない。食事もろくに喉を通らぬ毎日が続き、私はみるみるやつれていきました。

 そして、今日です。尼御台あまみだいの三回忌に合わせて、諸国から集まられた御家人の方々の案内のため、私は街道に立っておりました。時実はほかの家人と談笑しながらそこへ通りかかりました。そして私を見て、まるで初めて気が付いたとでもいうように、「大丈夫か」と私の面相の変わり様を心配してみせたのです。

 その時の大げさな反応で悟りました。

 やつは私が逆らえないのを良いことに、なぶって面白がっているのだと。

 それは武者にとって、何にも代えがたい侮辱です。

 ええ、だから、殺したのです。

 私自身の名誉を守り、後の禍いを絶つために。

 私は自分の身が可愛いだけの有象無象とは違います。

 本当の忠義のためなら、あえて不忠を犯すことも辞さないのです。

 泰時殿なら、分かってくださいますでしょう? 

 私情に流されることなく、常に公正な判断を下されてきた泰時殿なら。

 どうか、どうか、私の赤心を汲み、罪のない他の一族の者はお見逃しくださいますよう……。


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