大公宮から抜け出した先で

 翌朝、窓の外から聞こえる小鳥の囀りでベルナデットは目を覚ます。

 ゆっくりと体を起こし窓の外を見ると、日の高さはいつもより低いことが分かった。

(いつもより早く起きたのね)

 窓の外から入って来る早朝の空気は清々しいが、やはりベルナデットは沈んでいた。

(今日も授業やレッスン漬け……。おまけに婚約者まで決まってしまった。私の自由はどこにあるのかしら?)

 ベルナデットは再びベッドで横になる。

 思い出すのは今までのこと。幼い頃から厳しい授業やレッスンはあったが、大公世女になった10歳からは更に厳しくなった。必死にやっても「あと少し」と言われ続け、未熟故に「小公女」と呼ばれ、そして婚約者も勝手に決められてしまう。

(私の人生って一体何なのかしら?)

 ベルナデットの中で何かがプツンと切れた。

 勢いよくベッドから起き上がり、持っている中で1番質素な服に着替えるベルナデット。そしてまず部屋を出る。城を警備する者の位置は何となく把握していたのでそれを避けながら出入り口に向かう。まだ早朝なので使用人達も少なく、ベルナデットはスムーズに出入り口に辿り着いた。そこで一呼吸置き、ベルナデットは扉を開く。庭や敷地内も上手くすり抜けるベルナデット。そしてついに城の外へ抜け出した。

(お城の外だわ!)

 自由を求めたベルナデットは軽い足取りで駆け出していた。






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  大公宮を抜け出して街までやって来たベルナデット。日も少し高くなり、街が賑わい始める。

(ここが街……初めて来たわ!)

 ベルナデットはサファイアの目をキラキラと輝かせた。

 石畳の道は人々や辻馬車が行き交う。路上で野菜や果物などを売る人もいる。レストランや本屋などは開店準備を始めているところだ。

(だけど、街で何をすればいいのかしら?)

 そう考えながら歩いているといつの間にか人気ひとけのない薄暗い裏路地に迷い込んでしまった。

(ここは……どこなのかしら? さっきの賑やかな街から少し離れてしまったのかしら?)

 キョロキョロしながら歩いていた。そうしているうちに、ベルナデットは知らない男達4人に囲まれてしまった。男達はニタニタと嫌な感じの笑みだ。

「あの……通してくださいませんか?」

 少し怯えているせいか、ベルナデットの声は震えている。

「通して欲しかったら金だしな。お前、そんな服装だし結構金持ってんだろ?」

 リーダー格の男がニタニタと笑いながらベルナデットに迫る。

「お金は……生憎持ち歩いておりません」

 ベルナデットは震えながら後退りする。

 基本的に身分の高い者はお金を持ち歩かないのだ。

「は? そんなわけねえだろ。おいお前ら、コイツの身ぐるみ剥いじまいな。そしたら金出てくんだろ」

 リーダー格の男の言葉で他の4人は動き出す。ベルナデットは逃げようとするがすぐに左手首を掴まれてしまう。

「ちょっと、やめてください! 嫌! 放して!」

 必死に抵抗するがベルナデットの力では男に敵わない。

「おい! お前達何をしている!? 彼女が嫌がっているだろう!」

 突然第三者の声が響く。

 全員驚いてそちらを見ると、スラリとした高身長の少年がいた。黒褐色の髪に、ヘーゼルの目だ。平民らしい服装だが、どことなく品がある。

「何だお前? 俺達の邪魔してんじゃねえよ!」

 すぐ近くにいた男が殴りかかってきたが、少年は軽々とかわした。そして少年は男のみぞおちに拳で鋭いパンチを入れる。急所を突かれた男は動きが鈍る。少年は他の3人も同じように拳で攻撃した。動きは洗練されている。

 そして少年はベルナデットに手を差し伸べる。

「大丈夫か? 今のうちに逃げよう」

「は、はい」

 言われるがまま、ベルナデットはその手を握り走り出す。後ろから男達の怒号が聞こえるが、振り返らずに少年と共にひたすら走った。行き交う人々の間をすり抜けて疾走する。ベルナデットはまるで風になったような感覚だった。

「ここまで来れば奴らも追って来ないだろう」

 しばらく走り、2人は閑静な公園までやって来た。ベルナデットは息を切らしている。

「大丈夫か? いきなりすまないな」

「いえ、助けてくださってありがとうございます」

「それにしても、そんな上等な服で裏路地を歩いていたら危ない。悪漢の格好の餌食だ」

「そうなのですね……。1番質素な服を選んだのですが……」

 少年に注意されてベルナデットは肩を落とす。

「やはり君は貴族のご令嬢だな。貴族目線で1番質素な服だとしても、平民目線ではかなり上等に見える」

 少年はフッと笑った。どことなく品がある笑みだ。

「初めて知りました……」

 ベルナデットは自身の世間知らずさに呆然としていた。

「まだ朝とはいえ、女性が1人で街を歩くとさっきみたいなことが起こる可能性もある。君を家まで送ろう。君の家はどこだ?」

「待ってください」

 ハッとしてベルナデットは少年を止めた。

「私……帰りたくないんです。毎日勉強やマナーのレッスンばかりで……疲れてしまって……」

 ベルナデットは俯く。

「要するに、嫌気がさして家出したということか」

「はい。だけど、街まで来ても何をしたらいいのか分からないんです。街に来ること自体初めてで」

 ベルナデットはギュッと着ているワンピースの裾を握った。

 すると少年は笑い出す。

「街で何をしたらいいかわからないって、ふ、ははは。だったら俺と一緒に街を回らないか? 君さえよければだけど」

「いいのですか?」

 ベルナデットはサファイアの目を丸くする。

「ああ、もちろん。それに、俺も君と境遇が少し似ている。俺は比較的自由な家に産まれたけど、わけあって歴史ある格式高い家に養子入りすることが決まったんだ。それで、養子入りする前に自由にこの街を回ってみようと思ったんだ」

 少年は真っ直ぐ前を見据えていた。

「貴族に養子入りなさるのですね」

「うーん……まあ、そんなとこかな」

 ベルナデットに対し、少年はやや曖昧に答えた。

「そうだ、まだ名乗ってなかったな。俺はテオ。君の名前は?」

「私は……ベルです」

 ベルナデットは本名を名乗らなかった。ベルナデット・オーギュスティーヌ・グレース・ド・ユブルームグレックスの名は国全体に知られているからだ。

「よろしく、ベル。それと、折角自由を満喫するのだから、もう少し砕けた言葉遣いをしないか?」

「確かにそうですね……じゃなくて……そうね?」

 砕けた言葉遣いがあまり分からないベルナデット。少しぎこちない。それに対してテオは面白そうに笑う。ベルナデットはカアっと頬を赤く染めた。

「もう、笑わないでください……じゃなくてえっと……笑わないでちょうだい」

「慣れていないとそうなるな。まあゆっくりベルのペースでいいと思う」

 テオの笑みは少し大人びて見えた。

「ありがとう、テオ……さん」

 ベルナデットはテオをどう呼ぶか迷っていた。

「テオでいい」

「分かったわ、テオ」

 ベルナデットは少し安心したように微笑んだ。

「よしベル、じゃあお互いのことはあまり詮索せずに、今日は街で自由に楽しもう」

「ええ、そうね」

 ベルとテオは互いに握手を交わし微笑む。

「お、さっきより口調が砕けてきた」

「そうかもしれないわ」

 2人はクスクスと笑っていた。

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