第19話 好きなもの

 それから私達は、ファッションビルを出て、近くの喫茶店に入った。

「ここのランチお手頃で美味しいんですよ」

 そう言いながら雪華さんはメニューを開く。

「ランチも美味しいんですけど、このクリームたっぷり乗ってるカフェオレが、カロリー高くて最高なんですよ」

「ランチボリュームありそうだけど、それに更にこのカフェオレ飲めるの?結構胸焼けしそうなやつだけど」

「余裕ですよ!」

 そう言いながら、雪華さんはランチとカロリーの化け物のようやカフェオレを注文した。私はランチと普通のコーヒーを注文する。

「そう言えば、初めて私の所に来たときも、カロリーのヤバいクリームたっぷりのコーヒー飲みに行こうって誘ってたわね。甘いの好きなの?」

 私はふと思い出しながら尋ねた。

「ええ、私は甘ーーいコーヒー好きですなんですよー。営業で行った先でコーヒー出されて、ミルクも砂糖も無い時とか、マジで泣きそうになりながら飲んでます」

「まあ大変ね」

 苦そうな顔をして見せる雪華さんに、思わず私は吹き出してしまった。

「そう言えば、私は雪華さんの事何も知らなかったわ」

 ふと、私は呟いた。

「私の好きなものは雪華さん知っているのに、私は雪華さんの好きなもの、何も知らなかったのね」

 そう言えば知ろうともしなかった。なんだか反省してしまう。

 私がなんとなく暗い気持ちになったのを察してくれたのか、雪華さんはおどけたように言った。

「美香さん、私の事知りたい感じですか?何でも教えちゃいますよ?スリーサイズは勘弁ですけどね」

「じゃあ雪華さんは、他に何が好きなの?」

 何気なく私はたずねた。すると、雪華さんは一瞬ピタリと止まったように見えた。しかしすぐに笑顔に戻して言った。

「んー、今一番好きなのは美香さんですねー」

「そういう冗談はいいから」

「んー、でも」

 雪華さんは少し困ったように言った。

「私、あんまりのめり込むほど好きなものって無いんですよね」

「のめり込むほど?」

 私は首をかしげた。雪華さんは恥ずかしそうに笑う。

「まあ、さっきも言ったとおり甘い物は好きだし、可哀想い雑貨も好きだし、普通に友達と話をする分にはついていけるくらいのエンタメも好きですけど。でも美香さんみたいに禁止されてるのを破ってまで見たいものなんて無いし。美香さんみたいになんだかんだ言われても好きだって言える男性もいないし」

 そこまで言ってから、恥ずかしそうに雪華さんは俯いた。ちょうど、ランチのサラダが運ばれて来るのと同時だった。

「だから羨ましいんですよ、美香さんの事。本当に、最近は美香さんの嬉しそうにしたりびっくりしたりする顔が楽しくて。キャバクラにハマるおっさんの気持ちが凄くよくわかります」

「はあ」

 なんだかこっちのほうが恥ずかしくなって、私はうまく相槌を打つことが出来なかった。


「そう言えば、結局、当日の突然の電話の対策、出来なそうですねー」

 ランチの最中に、雪華さんは険しい顔になった。

「あ、そうそう、その事なんだけどね」

 私は、日下部さんが家に来た日の事を話した。電話の理由がわかったので、その報告だ。

「な、なんですかそれ!子供?美香さん子供なんですか?もう愛してる通り越して子供心配する親バカじゃないですか」

 話を聞いた雪華さんは大笑いした。

「ちょっと、言い過ぎ。そりゃ、私も正直びっくりしたけど。でも夫ならやりかねないわ」

「ふー、まあ確かに。話聞いてる感じだと、やりかねませんね。バイトの先輩だったときは、そんなふうではなかったですけど」

 ひとしきり笑ったあと、雪華さんは大きなため息をついて自身を落ち着かせたようだ。

「ま、とりあえず効果があるかどうかはわからないですけど、とりあえず対策は打てたんですね」

「そうね。一応当日弁当の中身確認しないと」

「トマト入ってたらどうします?中止しますか?」

「まさか。そうね、先にこっちから電話しようかしら」

「先手必勝って感じですかね」

 先手必勝は何か違う気がするけど。

 ランチを食べ終えると、コーヒーが運ばれてきた。雪華さんの目の前に置かれたクリームたっぷりのカフェオレの大きさに、私は思わずヒィと小さく悲鳴を上げてしまった。


「よくあんなの飲んでて太らないわね。見てるだけでお腹いっぱいよ」

 喫茶店から出ながら、私は言った。雪華さんはケロリとしながらキョン顔をした。

「え?女子のお腹には、甘い物別に入るとこありますよね?」

「限度があるわよ」

 私達はそう言いながら、会社に向かった。これからとうとう予行練習だ。


 まずは会社の入口に向かう。そこから一番近い映画館まで歩いて向かってみるのだ。

「美香さんは、一度会社に行ってから携帯を会社に置いて、そしてから映画館に向かうんですよね?」

「そのつもり。他の人からは、一日いっぱい休みにすればいいのにって言われたけど」

「まあ、繁忙期でもないですしね。あ、私は一日いっぱい有給にしちゃいました。部長から、有給取らせないとこっちが人事から怒られるから定期的に取れって言われてたんで」

「私も同じような事、言われちゃったわ。でも一回会社に行ってスマホ置いておかなきゃだめだしね」

 私が言うと、雪華さんは少しバツが悪そうな顔になった。

「やっぱり、私は一緒に行かない方が良かったのかもしれないですね。そうすれば、会社の玄関で美香さんのスマホ預かれたりしたのに」

「それは違うじゃない」

 私はすぐに首を振った。

「だって、雪華さんがスマホ預かったって、だめでしょう?営業課はほとんど外回りに出ることが多いし、かといって営業課では自分の席っていうのも無いから私物置いておける場所がないし、更衣室ロッカーの場所は地下だから携帯通じづらいし……」

 まあ、色々言ったけど、本当は私が一人だと心細いっていうのが正直な所。

「そうですよね。うん、そうですね」

 私の言葉に、雪華さんは納得したように頷いた。


 そうこうしているうちに、あっという間に映画館についた。

 日曜日だからか結構人で混雑しており、私は何度か人にぶつかったような気がした。

 ふと時計を確認する。会社から映画館までは十五分くらいだ。

「往復三十分、映画の上映時間はニ時間十分。まあ、三時間くらいで帰ってこれる計算ですかね」

「そうね。十一時半の回を見る予定だから、十一時ちょっと過ぎくらいに出れば間に合うわね」

「映画館で待合せでいいですかね?道わかります?」

「あらいやだ。それはさすがに大丈夫よ!今日だって予行練習したし!」

 私が少し憤って言うと、雪華さんは慌てたように手を振った。

「いやすみません、バカにしたわけじゃなくて、美香さんスマホ持たずに来るので、何かあっても連絡取れないので心配で」

「あ、そうね」

 被害妄想だったわ。確かに雪華さんの言うとおり、会社にスマホを置いたら、連絡が取れなくなってしまう。

「待合せとかも正確に決めなきゃだめね。ちょっとドキドキしてきたわ」

「やっぱり、会社に迎え行きますか?」

「大丈夫よ」

 一応胸を張って答えてみたが、雪華さんは疑うような目をしていた。

「心配だなあ。なんだか、旦那様が美香さんを異常に心配する気持ち、今ならちょっとわかります」

「ちょっと、雪華さんまで」

 私はむくれた顔をしてみせた。












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