第13話 残業
こうして、お昼休みはあっという間に過ぎて、鈴川さんはアルバムを抱えて仕事に戻っていった。
「じゃあ、後で前売り券取りに行きますねー」
雪華さんが、鈴川さんにひらひらと手を振りながら言った。
私も、ゆっくりと自分の課に戻った。
課に戻ると、何やら騒がしかった。
「どうしたの?」
隣の席の同僚にたずねると、同僚は青い顔て言った。
「システム障害が起きてて、パソコンのデータ一切見られなくなってるって」
「えっ。じゃあ明日までに作らないといけない資料は……」
「全部紙ベースの数字調べてやるしかないみたい。今、課長が倉庫室から紙のファイル持ってくるって」
「全部って、一体何年分だっけ……」
私はクラクラした。パソコンのデータベース検索なら数時間で終わるものなのに。これは絶対に時間内に終わる仕事じゃないわ。
「神田さんは残業できないでしょう?とりあえず5時まで頑張ろう。神田さん一番仕事早いし」
同僚は力なく笑った。
私はいたたまれなくなって小さく頷くことしか出来なかった
段ボールに入ったファイルを持って課長が戻ってきた。
課長はファイルを振り分けながら指示を出していく。
「とりあえず古いものから。松本はこのファイルみてデータ抽出して。葉山は計算して。途中まで出来てたデータは、神田に任せちゃって」
はあーい、と皆が作業に取り掛かる。
「神田、ちょっといいか」
課長に呼ばれて、私は別室に通された。
「神田が残業しない条件でここに勤務しているのはわかっている」
困った顔の課長が、申し訳なさそうに言った。
「今回だけ、残業して手伝って貰えないだろうか」
「………」
すぐに返事が出来なかった。
やるべきだ。わかっている。
だけど。
「悪い、そうだよな。人には事情があるよな」
黙っていた私の様子を見て、課長は諦めたようにそう言って、部屋を出ようとした。
「先に電話させてもらっていいですか。なるべく残業できるようにしますので」
課長を呼び止めるように、私は言った。
課長は、ホッとしたように頷いた。
『約束が違う』
電話口の敦さんは険しい声で言った。
私は課長の話からすぐに、敦さんに電話をかけて残業の許可取りをしていた。
しかし案の許可、敦さんの反応はかなり悪いものだった。
『仕事をするにあたって、絶対に残業しないで真っ直ぐ帰ってくるって約束したじゃないですか。それができない職場ならすぐに辞めてもらうって』
「いつもじゃないわ。今日だけよ」
『一度残業を許せば、その後もズルズルやらざるを得ない雰囲気になっちゃうんです。会社とはそういうものなんです』
「本当に今日だけ。納得できないなら、課長からも事情を説明してくれるって言ってたわ」
『結構です。とにかく、僕は許しません』
取り付く島もない様子の敦さんに、私はため息をついた。こうなったら、使いたくない手を使うしかない。
「敦さんの方は、前にデート中断させてお仕事入れたくせに……」
『なっ!!』
敦さんは言葉を失ったようだ。
「久々の私とのデート、お仕事優先させたくせに!」
『それはっ、申し訳なかったと……。でも美香さんだってそれは承諾してくれたし、むしろ背中を押してくれたじゃないですか』
「そうよ。私は背中を押したわ。敦さんの仕事大切にしてほしいから。でも、敦さんは、私のやっているお仕事なんてどうでもいいのね?」
『だっ……でも……』
敦さんはあの日デートのドタキャンをずっと気にしていた。私の方は本当はそこまで気にしてはいなかったけど、この際だから敦さんの罪悪感を利用することにした。
『分かり……ました。じゃあ帰りは迎えに行きます。絶対に暗い夜道一人で帰ってきたらだめですよ。だからといって誰かに送ってもらうのもだめですよ』
「ええ、ありがとう」
私はホッとして電話を切った。
こうして残業の許可をもらった私は、課長に報告して仕事を開始した。
案の定、定時までには全く終わらず、その後そこそこの夜まで残業をすることになった。
ある程度目処が付いてきたところで、課長は、声を張り上げた。
「あとは俺がやっておくから皆帰りなさい」
ハァイ、と皆で疲れた声を上げた。
「神田さん、残業してくれて助かった。本当、神田さん一番作業早いし」
「そうそう、神田さんいなかったら絶対にまだ終わらなかったよねー」
同僚達が次々と声をかけてくれる。多分気を使ってくれているのだろう。
「そんな、むしろいつも先に帰ってごめんなさいね」
私はいたたまれなくなって思わず謝ってしまう。
「いいのいいの。神田さんその代わりいつも就業時間中は二人前くらいの仕事こなしてくれてるんだから」
同僚はそう言いながらテキパキと帰宅準備をして「お先ー」と行ってしまった。
私も急いで帰る準備をする。スマホを見てみると、30分位前に、会社の前で待っている、という敦さんからのメッセージが入っていた。
「まだまだ終わらなかったらどうするつもりだったのよ」
私は苦笑しながら呟いた。まあ、敦さんなら何時間でも待っているだろう。
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