第7話 悪い女
※※※
「美ー香さんっ」
次の日。お昼休みに少し遅れて、とてもいい笑顔で雪華さんがやってきた。
今日も誰も使っていない会議室で待ちあわせだ。
「あの、私、昨日5時ころにクライアントとの打ち合わせから会社に戻ってきたんですけど、その時に美香さんが旦那様と一緒にいるところ見ちゃいましたぁ。いやぁー旦那様超イケメンですねー」
そう言いながら雪華さんは今日もコンビニ弁当を取り出した。私も弁当の蓋を開けた。
「ありがとう。私も夫はとてもカッコいいと思っているわ」
「やーだ惚気じゃないですかー。いやー全然見た目は超束縛男にも心激狭男にも見えないんですけどねぇ」
「だからね、人の夫に結構失礼よ」
「はーい、すみませーん」
一切反省していない謝罪をしながら、雪華さんは弁当を食べ始めた。
「じゃあ、さっそく昨日の続きしましよう」
なぜか乗り気の雪華さん。
しかし私は雪華さんの顔を見ず、小さい声で呟くように言った。
「ごめんなさい。私から言い出したことだけど、やっぱりやめようかなって思って」
「はいっ?」
雪華さんはポカンとした顔になった。
聞こえていなかったのかもしれないので、私はもう一度言った。
「やっぱり映画見に行くのやめようと思ってるの」
「な、何でですか?急に。もうバレたんですか?」
「まだバレては無いけど」
私は困ったように言った。
「やっぱり、夫が嫌がること、こっそりしたくないなって思って」
昨日、男の店員の店に入っただけであんなにも必死になる敦さんを見ていたら、酷い罪悪感に蝕まれていった。
敦さんはあんなにも私のことを愛してくれているのに。こっそり私利私欲で自分の好きな映画を見に行くなんて。それが敦さんがどんなに嫌がるか分かっているのに。
「映画を見に行くなんて。なんて私は悪い女なんだろう」
私はボソッと呟いた。
「悪い女でいいじゃないですか」
雪華さんがケロッとした顔で言った。
「一生、四六時中良い人なんていないですよ。たまに悪い女になってもいいじゃないですか。まあ、映画を見に行くことの何が悪い事なのか、私にはさっぱりですけど」
わざと意地悪な言い方をする雪華さんに、私は訴えるように言った。
「でもバレたら、夫は悲しむ」
「バレなきゃいいんですよ。バレなきゃ誰も悲しみません」
雪華さんはまるで不倫でもそそのかしているような顔で私に笑いかけた。
「雪華さんが映画を見に行く悪い女なら、私はそれに協力する悪い女です。共犯者がいたら、少しは心強くありませんか?」
「どうしてそんなに協力的なの?」
私は思わず問いかけた。雪華さんは悪い笑顔を崩さずに答えた。
「だって、このプロジェクト、正直凄い面白いんですもん。映画見に行くのに協力するだけなのに、まるで完全犯罪計画立ててるようなドラマチックな気分なんですよ」
「何それ」
私は思わず吹き出してしまった。
「もう、他人事だと思って面白がってるだけしゃないの」
「だって他人事ですし。でも面白いから本気でやりますよ。これは本当です」
雪華さんは真面目な顔になった。
雪華さんのコロコロ変わる表情を見ていたら、私は悩んでいたことがなぜかバカらしくなってきた。
「ごめんなさい、ちょっと昨日色々あって弱気になってた。ありがとう、雪華さんのおかげでなんか完全犯罪頑張れそうな気がしてきたわ」
「その調子です」
雪華さんは頷いてみせた。
「じゃあ昨日の続きからね」
私はレポート用紙をまた取り出した。
②の時間の捻出、③のGPS対策
「昨日もチラッと言ったけど、こっそり有給休暇使って行くのが一番現実的だと思っているの」
「そうですね。私もそう思います。ところでGPSとは」
雪華さんに聞かれて、私はスマホを取り出した。
「スマホに高性能のGPSが入ってる。何時にどこにいたか、全部夫に筒抜け」
「わ~お。でももう驚きません。まあそれくらいはしますよねー」
雪華さんはもう私の夫に慣れてくれたみたいでなによりだわ。
「とりあえずスマホは映画館に持って行けないわね。一旦会社にきて、会社の机の中にスマホをおく。そして午後半有休とって映画に行く。で、会社にスマホを忘れたと言って戻ってスマホを持って帰る。まあシンプルにこれでいいかな。色々やるとかえってバレやすいだろうし」
「なるほど。まあ気をつけなきゃいけないのは、親切な人がスマホを忘れましたよーって言って届けてくれる事くらいですかね」
雪華さんはそういいながら、レポート用紙の空欄に、注意事項として書き足した。
「あ、そうだ。あとはたまに、急に夫が電話かけてくることがあるからそれも気をつけなきゃ」
「な、なんですかそれ。旦那様だってお仕事してるでしょ?そんな日中無意味に電話する暇あるんですか?」
また雪華さんがドン引きし始めた。私は慌てて言い訳するように説明する。
「夫は在宅メインの仕事なの。イラストレーターやってて。たまに打ち合わせで外に出ることはあるんだけど」
「なるほど……くっそー、監視し放題ですか」
雪華さんは眉を顰めて悩ましげに唸った。わたしはさすがに文句を言う。
「そんな、監視し放題なんてしてないわよ。日中ちゃんと仕事してるんだし……多分」
「いや、してますよ絶対。仕事できる人は監視しながら仕事するなんて余裕なんですよ!」
「うー……」
正直、強く否定は出来ない。してそうな気もする。
なんか一応敦さんの事をフォローしなきゃと思って、私は言い訳するように言った。
「一応、会社に直接かけるのは緊急時以外やめてっては言ってあるから、それはちゃんと守ってもらえてるわ。かけてくるのは私のスマホにだけよ」
「それは社会人として当然ですよ。フォローになってないです。ちなみに、電話がくるタイミングとか予想できます?」
「出来ないわ」
私は即答する。気まぐれな気がするし。
「一応今度、電話かかってきた履歴と、その時の旦那様の様子または予定、もしくは美香さんの様子または予定を照らし合わせてみてください。もしかしたら電話がくる法則性が見つかれば、突然の電話を避けることができますので」
雪華さんがテキパキと指示して、私のレポート用紙色々書き込んでいく。
「ちょっと待って。主導権そっちに握られてきてない?」
私が少し口をとがらせると、雪華さんはにやにやした。
「美香さんが弱気になってたらすぐに私が主犯になちゃうんですからね」
やだ、本当になんで楽しそうなのかしら。私は少しあきれたようにため息をついた。
「とりあえず、時間・GPSの件は、半休使う方向で。細かいことはこれから詰めていく感じで。雪華さんのいうとおり少し電話の法則性も見つけるように調べてみるわ」
私がそう言って、今日の打ち合わせを終わらせようとしたときだった。
「あ、神田さんいたいた。あ、石川さんもここに?」
同じ課の子が会議室の入口から顔をのぞかせた。
「広報課の佐藤さんのとこ、赤ちゃん生まれたってもう知ってる?」
「ええ」
雪華さんが昨日言ってたやつね。
「もしお祝い渡すなら、今日から集めてるから、広報課の課長に渡してーって、伝言」
それだけ言うと、その子はさっさと立ち去ってしまった。
「これだ!」
雪華さんが突然大声で叫んだ。
「何よ急に大声だして……心臓に悪いじゃない」
私はドキドキしながら雪華さんに文句を言う。雪華さんは私の文句を無視して、目を輝かせながら言った。
「美香さんって、佐藤さんのお祝い出します?」
「え?まあ、あまり親しいわけじゃないけど、一応出そうと思ってるわ。他の人との連名のに参加して千円くらいだけど」
「よし、親しいってことにしましょう!」
雪華さんはニヤリと笑った。
「えっと…もしかして?」
私は何となく雪華さんの考えていることが分かってしまった。
「出すのは千円で、旦那には、親しい人だから少し多めにお祝い渡しだって言うってこと?」
「そうです。その差額があれば、昨日言ってた映画代金の問題は解消ですよ」
雪華さんの提案に、私は少し考え込んだ。
「確かに、三千円〜五千円くらい出すとか言っても、領収書とか出るわけじゃないし、いくらでもごまかせるわね……」
「ですよね。ただ、五千円じゃ、内祝い無い?みたいに薄っすら怪しまれる可能性があると思いますので、三千円って言っておくのがいいと思うんです」
「いや、やっぱり駄目よ」
考え込んでいた私は、頭を大きく振った。
「何でですかぁ」
雪華さんは不満そうだ。私は頭をかかえて雪華さんに訴えるように言った。
「佐藤さんのお祝いを、そんな私の邪な欲望の為に使うなんて……。佐藤さんに失礼だわ」
「真面目!!」
雪華さんは呆れたように叫んだ。
「大丈夫ですよー。元々千円だすつもりだったんでしょう?それは変わらないんだから」
「そう、なんだけど。ほら、気持ちの問題で」
「んもー、悪い女になるって決めたばっかりじゃないですかー。てか別にそんな悪い事でもないし」
「うー……」
私は雪華さんの押しの強さにうめいてしまう。
そうこうしているうちに、昼休みか終わりの時間になってしまった。
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