どうやら彼女が俺に惚れているらしい③
守屋の推理では、いまだに有栖川アスミが最も俺に惚れている可能性が高い人物ということになっている。
たしかに話を一通り聞いてみると、他の有象無象とは異なる、少なくとも何かしら特別な関心を有栖川が俺に抱いているかもしれないということはわかった。
だが、それでも守屋の推理が正解にはどうしても思えない。
同意できない理由は大きく二つあり、その二つの理由はどちらともがあまりに決定的な威力を秘めているものだった。
「しかしチャチャ、お前も十二分にわかっていると思うが、俺に惚れているかどうかという事に関しては、有栖川本人に否定されているんだぞ? それはどう説明するつもりだ?」
「うっ! そ、それは、そうだね。説明はできない、かな」
「俺に惚れているのに、それを隠す意味が何かあるのか? しかも手紙まで出しているのに。まあたしかに手紙の差出人の名前を書かなかったくらいだ。どうしても俺の対する想いを隠したいという可能性もある。ただ、あの時の有栖川がそんな風には見えなかったがな」
「まあ、そうなんだよねぇ……結局はその問題に行きつくんだ……まさか有栖川アスミは二人いるのか? 彼に惚れている有栖川と、彼に惚れていない有栖川……いや、それはさすがに思考が飛躍し過ぎているなぁ……」
理由の一つめは、もう何度も守屋に言っているように、有栖川本人が全てを否定していることだった。
彼女は嘘を吐くような人間ではない。
それは俺より遥かに人を見通す目を持つ守屋とも認識が一致している。
よって、やはり有栖川が俺に惚れていないという現実は打ち破れない。
「……それで? シャーロッくんの方はどうなのさ? 何か進展があったとかさっき言っていたけど」
「おお! そうだった。聞いてくれチャチャ。実際のところ、例の手紙の犯人はもうわかっているんだ」
活力を失い、また全身からだらしなくやる気を抜けさせた守屋に向かって俺は軽く身を乗り出す。
元々、この話をするためにミステリ同好会まで足を運んだのだった。
そして理由の二つ目を、俺は一度喉の調子を確かめてから、灰色の天井を見つめる守屋へと伝え始める。
「まず、この前言った通り、俺は西尾響に会って話を聞いてきた」
「あー、本当に会いに行ったんだね。どうだった?」
「まったくもって時間の無駄だったな。西尾は俺に惚れていない」
「そっか。まあ、そうだろうね。彼女は彼氏持ちだし」
「な!? チャチャお前!? 西尾に恋人がいることを知ってたのか!?」
「うん。知っていたよ。言わなかったっけ?」
「言っていない! 絶対に言っていないぞ! 言えよ!」
「それは悪かったね」
まず西尾が外れだったことを伝えると、守屋はけろっとした様子でふざけた事を言う。
たしかに西尾に会うのは無意味だとかなんとか言われたような気がするが、まさかあいつに恋人がいることが噂になっているとは思わなかった。
やけに西尾に対して興味なさげだったのも、その噂を守屋はすでに知っていたのが原因だったらしい。
守屋も俺と同じように人見知りの気があるのにも関わらず、そういった情報をいつもどこから仕入れてくるのか本当に謎だ。
誰か情報通でも知人にいるだろうか。
「何か西尾は面白いことは言っていたかい?」
「そういえば、“誰に”惚れられているか、ではなく“俺が”誰に惚れているのか、を少し気にした方がいいと言われたな。そのありがたい忠言くらいだな。あとは今回の手紙に関係するようなことは何も」
「へえ? 西尾がそんなことを言ったのか……ふーん、なるほどねぇ」
何か引っかかるものがあったのか、守屋はだらけきった隙だらけの体勢を整え、足を組み直す。
その瑞々しい白の細足を眺めていると、ネギみたいだなと思った。
「まあ西尾はいいんだ西尾は。問題は法月だよチャチャ」
「法月? ああ、そうか。そういえばもう一人容疑者がいたんだっけ」
「俺の考えでは彼女こそが俺に惚れている。というより、論理的に考えてもはや彼女以外が俺に惚れている可能性は残されていない」
「論理的、ね。まあ、シャーロッくんからすると、そうなるのかな」
「なんだチャチャ? その含みのある言い方は?」
「いや、なんでもないよ。話を続けてくれて構わない」
この小学生並みに体格の小さな友人は、どうにも俺の推理にまだ納得をしていないらしい。
人のことを名探偵だのなんだのと持ち上げる時もあれば、このように人を小馬鹿にする態度の時もある。
まったく困ったワトスンだ。
「実際、この前、俺と西尾が一緒にいるところを法月に偶然見られたのだが、その時彼女は嫉妬のような感情を俺に見せた」
「……へえ。それは興味深い」
「だろう? それに加えてさらに決定的なものがある。これを見てみろチャチャ」
俺はつい先ほど渡された法月からのメッセージを守屋に渡す。
今日の夜七時、体育館の裏で。
それを黙って受け取った彼女は、前髪の隙間から覗く目を細めて低く唸る。
「んー、これはいつ貰ったものだい?」
「今日の放課後。つまりはさっきだな」
「さっき君と西尾が一緒にいるところを見られたと言ったね。それはいつ?」
「この前の土曜日だ」
さすがにここまで見せれば、守屋も何か思うところがあるのか勢いよく質問を重ねてくる。
彼女はまだ有栖川を疑っていたが、もうすでに今回の事件は終息に向かいつつあるのだ。
「行くつもりかい?」
「当然だ。これはどう考えても、あの手紙の告白の返事を催促している。もはや結論は出た。法月知恵が俺に惚れていたんだ」
「法月が君に? まさか……いやそんなはずは……しかしあり得るか? ……うーん何がどうなっているんだ……?」
守屋は頭をがしがしと掻き毟りながら、一人モゴモゴと呟いている。
さすがの彼女も、まさか法月が手紙を俺に渡した犯人だとは予想外だったらしい。
それもそうだろう。
惚れられた張本人である俺ですら、いまだに実感がないくらいなのだから。
「……シャーロッくん。僕はこの誘いに乗らない方がいいと思う」
しかし守屋は苦虫を噛み潰したような表情で、俺に約束の場所へ向かうなと進言してくる。
なぜそのような事を言い出したのか俺には皆目見当もつかない。
「はあ? 何を言っているんだチャチャ? たしかにどうやって手紙を俺に渡したのか等々不明な点は残るが、状況的に法月以外に俺に惚れている可能性のある奴はいないんだぞ!?」
「でもこれは……いや、そうだね。すまなかった。今の発言はなかったことにしてくれ。僕に君を止める理由はない」
「何か気になることでもあるのか? 有栖川、西尾、この二人が容疑者から外れ、そして残りの一人となった法月の方から会いたいというアクションがあったんだぞ? どうして彼女が俺に惚れていると言い切ってくれない?」
すぐに守屋は自分の言葉を撤回したが、微妙なしこりのような物が残る。
俺からすれば、法月が俺に惚れているということに対して、もう少し別な、言うならば好意的な同意を示してくれると思っていたのにあてが外れた格好となってしまった。
なぜ有栖川を疑った時はあれほどの同意を示してくれたのに、今こうやって揺るぎない確信を持って法月と会いに行こうとすることを肯定してくれないのだろうか。
「……わかった。もう何も言うまい。では、俺は行ってくる。もう法月しかあり得ないんだ。次ここに来るときは、どうやって法月が綾辻先生の目を掻い潜って手紙を届けたのかという仰天トリックの種明かしを土産にするよ」
「すまないね、力になれなくて。それじゃあ気をつけて」
夕日の橙光がだいぶ薄くなってきたことを感じ取り、俺はミステリ同好会を去ることにする。
やけに神妙な表情で守屋の言う、気をつけて、の意味がわからなかったが、その意味を確認することもなかった。
部室棟の廊下へ出て、朧げに見える月を眺めながらふと考えてしまう。
もし、これで俺に惚れているのが法月でもなかったら?
そんなことはあり得ない。
差出人のいない手紙なんて、そんなものは存在しない。
俺は脳裏によぎった不吉な考えをむりやら振り払い、とりあえず暖かい飲み物でも買うことにした。
自動販売機で購入したレモンティーも飲み切り、風が春を忘れさせる程には冷たくなってきた中、俺はサンコーの体育館の裏で人を待っている。
時刻は夜七時五分ほど。
当然待っている人とは法月知恵のことで、約束の時間を少し過ぎたが彼女はまだ姿を現していない。
緊張に高鳴る胸を落ち着かせようと、俺は改めて数日前の補講の時を思い返してみる。
数学の問題を解いている際に俺を襲った、急激な腹痛。
廊下側の席を立ち、トイレへと一目散に駆けていく。
用を足し終わり、俺がひっそりと教室の扉を開け自席に戻る。
これらの間に経過した時間はたったの十分間。
この十分の間に、俺の机の上には手紙が一通届けられた。
教室にいた人物は三人。
俺が使っていた席の二つ前に有栖川アスミ。
窓側の最後尾に西尾響。
そして俺の席から最も遠い最前列に法月知恵。
補講中の教室に無関係の人物がやってくるとは考えられない。
三人の内誰かが、手紙による
ただし三人の内、すでに二人は容疑を否定している。
いや、待てよ?
そこまで情報を整理したところで、俺は何か一つ重大な点を見落としているような感覚に苛まれた。
なんだろう。
この違和感は。
俺は何かを、いや誰かを忘れているような——、
「ごめん、待たせちゃったよね、島田君?」
「うひょぉっ!? な、なんだ!?」
——その時、ふいに耳元に吹きかけられる熱い吐息。
とんっ、くらいの軽い衝撃が背中に伝わったかと思えば、何か柔らかく暖かいものがくっついていることがわかる。
遅れて聴覚が自らの仕事を思い出し、いま降りかかった声の主が、紛れもなく俺の待ち人であることを教えてくれた。
「の、法月さんなのか?」
「えへへ。そうだよー。島田君の背中って意外に大きいんだね」
からからと朗らかに笑う声は、いまだに後頭部から響いてくる。
信じられないことだが、これはどうも現実のようだ。
俺は今、あの法月知恵に、後ろから抱き付かれている。
心臓が破裂しそうなほどに収縮と膨張を繰り返している。
手紙に関することで寸前まで何か色々考えていたはずだが、それも全て吹き飛んでしまった。
「なぜ、その、俺の背中に……?」
「うん? 駄目かな? いやだった?」
「いいや! 嫌ではない! 嫌ではないぞ!」
法月は俺に抱き付いたまま離れようとはしない。
布越しに感じる、何かが押し潰されている素敵な感触。
こんなところを誰かに見られたらとんでもないことになると思うのだが、いいのだろうか?
だがそういえば彼女は俺に惚れていることを思い出し、何も問題ないことに気づく。
幸せ過ぎる。
ついに、本当に、俺にも春が来たのだな。
もうこれ以上は言葉も思考も重ねなくとも理解できる。
法月こそが俺に惚れている人物だったのだ。
「……ねぇ、島田君? もっと静かなところに行かない?」
「こ、ここも十分静かな気がするが」
「夜は冷えるし、暖かいところの方がいいじゃん?」
「それも、そうだな。風邪でも引いたらまずい」
「でしょ?」
「だが、どこに?」
ガチガチに緊張した俺は、舌が口の中で絡まりそうになる。
頭が働かない。とっくのとうに俺の身体はこれ以上ないほどに暖まっていた。
「……じゃあさ、今からうち来ない? 今日はお父さんもお母さんも帰って来るの遅いから。二人っきりで、ゆっくり話せるよ?」
耳に生ぬるい息がかかる。
あまりに魅惑的な誘いを断る術を俺は持っておらず、曖昧に了承の言葉を返すことしかできない。
そして法月がこの時、どんな表情をしていたのか、その事を確認する方法もまた同様に俺は知らなかったのだった。
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