どうやら彼女が俺に惚れているらしい②


 法月からメッセージを受け取った俺は、これ以上ないほど高揚した気分で職員室を後にした。

 ここまで来ればもはや疑いようがない。

 おそらく例の手紙、つまりはラブレターの返事を聞かせて欲しいということなのだろう。

 差出人の名前を書き忘れたのは単なるミスで、たぶん法月本人は気づいていないのだ。

 なぜこのタイミングでいきなり返事を急かしてきたのかということも、少し考えれば簡単に分かることだった。

 それはこの前の土曜日に、偶然にも駅前で彼女に出会ってしまったことがきっかけに違いない。

 あの日、俺は西尾に一日付き合わされてしまい、その帰り際の場面を法月に目撃されてしまった。

 今、冷静に思い直してみると、あれは告白されたのに、他の女に現を抜かしていると取られてもおかしくない状況だった。

 普段学校で見かけるような俺の知る法月に比べてやたらテンションが低く、暗い雰囲気を身に纏っていたのも当然だ。

 勇気を出して告白までした相手が、よりにもよって中学時代からの友人とデートをしていたのだから。

 嫉妬しない方が不自然だし、どういうつもりなのか俺に確かめたくなるのも、非常によく理解できる。

 これはまず、謝るところから始まるかもしれないな。

 きっと心優しい法月のことだ。

 それでも手紙に名前がなかったことや、西尾の乙女っぷりを話せば、許してくれるはずだろう。


「……そうだ。一応あいつにも伝えておくか。もしかしたらまだ悩んでいるかもしれないからな」


 スマホで現在の時刻を確認すると、約束の時間まで少し余裕がありそうだった。

 そこで俺は今回の事件を手伝ってくれた人物に、一応全てが解決しつつあることを知らせに行く。

 その人物とはもちろん、守屋のことだ。

 時間帯を考えれば、おそらくいつも通りミステリ同好会の部室にいるはず。

 迷惑をかけた、とまでは言いたくないが、彼女に相談を持ちかけたことは事実なので、事の顛末くらいは話す義務が俺にもあるだろう。

 そういえば守屋は、有栖川が俺に惚れているとか言っていたな。

 まだ有栖川を疑っているのだろうか。

 もしこれで実は法月が俺に惚れている人物だったと言ったら、きっと驚くに違いない。

 正直言って、いまだにどうやって法月が俺に手紙を届けたのかわからないが、もしかすると守屋なら答えの可能性の一つくらい教えてくれるかもしれない。

 今回ばかりは推理が外れてしまったが、それでも守屋の洞察力が最上級なのには変わりないからな。

 法月と答え合わせをする前に、守屋に少しくらい話を聞いておけば、ちょっとは今日の約束の時に円滑にコミュニケーションを取れるようなるはずだ。

 そして部室棟へと移動した俺は、真っ直ぐとミステリ同好会の部室を目指す。特に迷うような場所でもないので、すぐに目当ての部屋には辿り着く。

 嵌め込みの窓を覗いてみれば、奥に小さな人影が見えた。

 表札に書かれたミステリ同好会の文字は、本当に何度見ても生活に支障が出そうなレベルで汚い字だった。


「入るぞ、チャチャ」


 鍵にかかっていない扉を開いて中に入れば、またもや灯りが付いていない状態だったので、入り口横のスイッチをすぐに押した。

 ここに住み着く唯一の部員は、こんな薄暗い空間で活字ばかり追って目を悪くしないのか心配だ。


「おい、お前生きてるのか?」


 俺の問い掛けに反応はないが、べつにミステリ同好会の部長が留守にしていたわけではない。

 白熱灯に照らされた部室の最奥では、きちんとお決まりの位置に守屋が死んだように座っていた。

 だが彼女はいつものように推理小説の文庫本を手に持つこともなく、だからといって何か勉強のようなことをするわけでもなく、ただぼんやりと虚空を見つめている。

 椅子の背もたれに身体を預け、両手はダラリと放り投げだされていて、澱んだ黒目にはまるで生気がない。

 本当に死人のような状態になっていて心配になった俺は、守屋に慌てて近づきその華奢な肩を揺さぶった。


「おい! チャチャ! お前大丈夫なのか!?」


 俺が二度、三度肩を揺らして初めて、守屋の瞳に意識が戻る。

 やたらと緩慢な動きで顔を動かし、やっと視線が一致した。

 とりあえずは生きているらしい。


「……んあ? ああ、シャーロッくんか。やあ、おはよう」


「ふぅ……驚かせるな、チャチャ。本気で死んでいるのかと思ったぞ?」


「そうかい? それは申し訳なかったね。少し考え事をしていたんだ」


 たしかに守屋は一度何か考え事に囚われると、それ以外全て手に付かなくなる癖があったが、これは酷い。

 こんなもぬけの殻みたいな状態にまでなってしまう彼女は初めて見た。

 彼女の意識をここまで引っ張るような何か重大な事件でも起きたのだろうか。


「いったい何を考えていたんだ?」


「あー、そうだね。有栖川のことだよ」


「有栖川? まさかチャチャ、お前まだ有栖川が俺に惚れてるのではないかと疑っているのか?」


「……うーん、まあ、大雑把に言うとそうなるかな」


「呆れたな」


 まさかとは思ったが、どうも守屋はまだ有栖川が手紙の差出人だと仮定して推理を続けていたようだ。

 もう本人にきっぱりと否定されてから週すら明けているのに、何がそこまで守屋を頑なにさせるのだろう。


「いったいどうしたんだチャチャ? 今回は本当にお前らしくないな? まだそんな馬鹿げたことを言っているのか」


「馬鹿げたとはなんだい、シャーロッくん? そういう君は、何か進展があったのかい?」


「こっちは進展なんてもんじゃないぞ? だがその話をする前に確認しておきたい。チャチャ、なぜお前はそこまで有栖川に拘る? 何か考えがあるのか?」


「んー、そうだねぇ。べつに考えがあるというわけでもないのだけれど」


 軟体動物のようにグニャグニャしている守屋は、やはりこれまでに比べ歯切れが悪い。

 しかし俺はどうしても気になった。

 彼女の能力は俺も良く知っている。

 自分を助手ワトスンなどと卑下、というよりは過小評価することも多いが、彼女の頭脳は名探偵役に相応しいものだ。

 そんな柔軟な発想を持つ彼女が、ここまで一度外れた推理に拘りを見せるのにはそれなりの理由があるはずだった。

 その有栖川に拘る理由を、俺はどうしても知りたかったのだ。


「あるんだろう? お前が有栖川に拘る根拠が? できれば教えてくれないか?」


「……わかったよ。でも先に断っておくけど、きっと君の理解は得られないよ。根拠と言えるような根拠ではないからね」


「それでもいい。教えてくれ」


 だらりと弛緩していた守屋の身体と瞳に力が僅かに戻る。

 どうやらやっと彼女の推理を聞かせてくれるらしい。


「まず最初に、実を言うと僕は去年から有栖川が君に恋心を抱いているのではないかと疑っていたんだ」


「なんだって? 去年から? それはつまり、一年生の頃からか?」


「うん。その通り。去年、有栖川が隣りのクラスだったことは知っているかい?」


「たしかに言われてみればそうだった気がするが、だからどうしたというんだ? 隣りのクラスの女子だからといって、俺は有栖川と特に関わりは持っていなかったぞ?」


 守屋が語り始めた話の内容に、俺は驚きを隠せない。

 有栖川が去年の時点から俺に惚れていて、それに守屋が気づいていた?

 どういうことなのかさっぱりわからない。


「サンコーでは隣りのクラスと一緒に体育の授業をやるだろう? 男女で別れて。だからシャーロッくんにはなくても、僕には彼女と接する機会があったんだよ。それほど直接的なものじゃないけれどね」


「では体育の授業中に、何か俺に惚れていることを示唆するようなことを言っていたのか?」


「まあ、端的に言うとそうなるかな」


 俺たちが所属するサンコーでは、確かに体育の授業は二クラスごとで、男女でそれぞれ分かれて実施されていた。

 記憶を辿れば、その体育の授業を共に行う隣りのクラスに有栖川がいたような気もする。

 しかし授業をするタイミングが同じというだけで、他クラスの女子や、それはおろか同じクラスの女子達とも一緒に体育をするわけではない。 

 そういう意味では無関係なのだが、どうやら守屋はそこで何かしら有栖川の俺への好意を証明するものを見つけたらしかった。


「それで、有栖川はどんなことを言っていたんだ?」


「うん。あれは男子が長距離走をしている様子を皆で眺めていた時のことなんだけどね」


「長距離走か。あまり好きではない競技だ」


「シャーロッくんが好きな運動競技なんてあるのかい? 基本的に全部苦手だろう?」


「うるさいぞチャチャ。茶々をいれるな」


「上手いこと言ったつもりかい? そうでもないよ」


「だ、だからうるさいと言っているだろう! いいから話の続きを頼む!」


「君が話を逸らしたんじゃないか? まあいいや。それでその時に、たまたま有栖川が近くにいたんだけど、彼女、長距離走をする男子達を見ながらこんなことを言っていたんだ」


 男女分かれて授業をやるとは言っても、グラウンドなどは共同で使用することが多い。

 何かしら暇が生じた時に女子達が、男子達の方を見学するくらいならできただろう。

 それは反対も言えるのだが、通常俺は、体育の授業についていくのに必死でそんな余裕はなかった。


「“島田くんは最後まで走っていて凄いわね”、と。彼女はたしかにそう言ったんだ」


「お、おう。そうなのか。だが、申し訳ないが、それが何なんだ? むしろ恥ずかしい場面を見られただけではないか?」


 誤解のないように言っておくが、サンコーでいう長距離走といえば、それはつまり千五百メートル走のことだ。

 つまり最後まで走っている奴がどんな奴かといえば、他の生徒が早々に千五百メートルを走り切っているのに、いつまでたっても完走できないノロマな奴ということになる。

 前から思っていたのだが、この能力の劣る者が見せしめのような形になってしまう競技を授業に取り入れるのは止めるべきではないか?


「よく考えてごらん、シャーロッくん? 彼女の発言に奇妙な点があるだろう?」


「奇妙な点? まあ、たしかに、最後まで走っている奴が最も無能なのに、その人物、つまりは俺のことだが、とにかくそいつを凄いと評価するのは不思議だが、有栖川はアホだからな。皮肉とかではなく、単純に競技のルールを理解していないのだろう」


「違うよ、シャーロッくん。おかしいのはそこじゃない。いやもっとも、そこもおかしいんだけれど、有栖川の性質から考えるとそこは不思議じゃない。彼女だから、彼女ゆえに不自然な発言が紛れているんだ」


 島田くんは最後まで走っていて凄いね、この短い台詞のどこに奇妙な点があるのだろうか。

 有栖川がルールを理解できていないことも、むしろ彼女らしいと言える。


「“島田くん”、おかしいのはそこだよ。なぜ、君の名を彼女が正確に知っていたのか、それがおかしいんだ」


 守屋は確信を持った様子で、彼女の抱いた疑念を口にする。

 俺の名前を有栖川が正確に知っていること。

 俺はその事を何も不思議に思わないが、守屋はそうではないようだ。


「俺の名前だって? べつにいいじゃないか。有栖川が俺の名前を知っていても。一応、オナチューだしな」


「いいや。それは不自然だ。思い出してごらんよシャーロッくん? 先週、君と二人で彼女に会いに行った時、彼女は僕のことをなんと呼んでいた?」


「え? それは普通に守屋だろう?」


「違うよ。彼女は僕のことをまず最初に、“モリタ”、と呼んだ。そしてその後また僕のことを呼ぶ時は、“タモリ”、そう呼んだんだ。もちろん僕が自分の名を名乗った後にね」


 直前に名乗られたのにその名前を忘れてしまうなんて、さすがアホの有栖川だ。

 そこまで考えて、俺はたしかにおや? と思う。

 あの時、有栖川は俺の名前は一度も間違えなかった。

 しかも守屋の話では、クラスメイトになる前の一年生の頃から、俺の名前をきちんと覚えていたという。

 それは確かに、ほんの少しだけ、不思議な感じがする。


「彼女は自分が興味を持たないことはまったく記憶できない人なのさ。アホ、とかそんな風に皆には言われているけれど、実際は興味のないものに対してはまともに対応できない、ただそれだけのことなんだよ。噂で聞く限り、ほとんどの教師の名前すらちゃんと言えないらしい」


「な、なるほど。だがお前が先週有栖川に会った時の話を聞いていたかは知らないが、彼女は俺に中学時代、ちょっとした恩義を感じていたんだ。そのおかげで特別覚えてくれていたとは考えられないか?」


「花壇の話だろう? その話なら僕も、一応片耳に聞いていたよ。だけどそれも冷静に考えてみると妙なんだ。矛盾しているとすら言っていい。彼女の話をよく思い出してごらんよ」


 あの時の守屋は推理が外れて意識が飛んでいたのかと思ったら、ちゃっかり俺と有栖川の話は聞いていたらしい。

 俺はその会話を懸命に掘り起こしてみた。


「“種を植えていた。でも忘れっぽいから、よく世話をするのを忘れていた。だけどある日、見かけた。花壇に水やりをするあなたのことを”。彼女はそう言っていたよね」


 すると俺が貧困な記憶力を駆使して思い出す前に、有栖川の台詞を守屋が再現する。

 その再現された言葉に違和感はない。

 おそらくそのようなことを言っていたはずだ。


「種を植えたことを忘れる。それはつまり、有栖川は植物自体にそこまで興味がなかったということになる。それにも関わらず、その興味のない植物に、水をやっていたシャーロッくんを見かけ、その名を調べ上げ、その後中学を卒業し、クラスが同じになったわけでもない状態なのに、まだ君の“島田紗勒”という名を覚えている。これは奇妙を越えて、異常なことだ」


 これまで溜め込んでいた推理を守屋は一気に吐き出していく。

 その幾度なく思考を繰り返したのであろうと一瞬で分かるほどの、強烈な言圧に俺は何も言い返すことができない。


「教師の名前すら覚えられず、数秒前に目の前で名乗られた“モリヤ”という名前も覚えられない有栖川が、彼女にとって記憶する価値のない種に、偶然水をやっていただけの少年の名前を何年間も覚え続ける。もしそんな事があり得るとしたら可能性は一つだ」


「では、その守屋が考える可能性が……?」


「そうだよ。有栖川アスミは島田紗勒に惚れている。それが僕の考える唯一の可能性さ」


 有栖川アスミは俺に惚れている。


 助手の皮を被った名探偵は、錆びついた椅子に座りながら、そうやって再びいつかのように言い切るのだった。





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