歌下手な彼女が世界を救うこともある

ねこ沢ふたよ

第1話 早朝練習

 早朝の教室で熱唱しているのは、花村葉月。

 合唱コンクールが近いから、歌に自信のない幼馴染は、一人で練習している。


 だが、一音も合っていない。


「モルダウ」


 それは有名な曲で、作者のスメタナが、故郷を流れるモルダウ川を想い作曲したものだ。とてもドラマチックに流れるモルダウ川。豊かな水流を思わせる音の羅列が素晴らしい楽曲。


 だが、葉月が歌えば、それはまるで三途の河のように不吉な不協和音をはらみ、行きつく先は、きっと永久に出られない地獄と化してしまう。


「葉月! 頑張ってるな!」


 俺が声を掛ければ、人間に見つかった子狸のようにハッとした表情で葉月が振り向く。


「高橋! ちょ、ちょっと聴かないでよ。あっち行ってて!」

「なんだよ。ここは俺の教室でもあるんだぜ!」

「……そうだけれど……でも、せっかく一人で練習しているのにさ……」


 むくれる葉月。


「この間さ、委員長に怒られちゃったから……」

「ああ、見てた。でも、あれは委員長、言い過ぎじゃね? 後で自分でもそう思ったのか、葉月に謝ってただろ?」


 合唱の時に、丁度葉月の前に立って歌うのが委員長だ。

 一音も合っていない葉月の歌声に邪魔されて歌い辛いと、委員長がキレたのだ。


「花村さん! もう歌わないで!!」


 委員長の言葉に、葉月の表情はとても暗くなった。葉月の表情を見て、委員長は慌てて「ゴメン! ちょっと言い過ぎた! あの……一生懸命なのは分かっているし、頑張っているのは分かっているし、その……でも、もうちょっとだけ練習してもらえれば……」ごにょごにょと言い訳した。


 普段は真面目で優しい委員長だから、本気で葉月の歌声につられて歌い辛くて、我慢できなくて言ったのだろうが……どんなに言い訳しても、酷い言葉であるのは変わらない。

 投げつけられた言葉に、葉月の心は傷ついたのだろう。

 それで、こんな風に、早朝に練習をするようになったのだ。


「自分では分からないのよね……」

「だろうな。分かってたらちゃんと歌うだろうし」

「うん……練習しているのだけれども、いまいち分からなくて」


 気にすることはない。皆プロではないし、完璧に歌える奴なんていない。そう言ってやりたいが、葉月は納得しないのは分かっている。こいつは、そういう奴だ。

 何か失敗して、辛い目に遭った時。そこから逃げずに一生懸命にそれを解決する方法を探して頑張る。

 近所の子ども達の中でたった一人自転車に乗れなかった時も一人でこっそり練習していたし、かけっこが遅くて馬鹿にされた時もそうだった。


 今でも走りは遅いし、頑張っても上手くいかないことの方が多いけれども、それでもしっかりと向き合おうとする葉月の考え方は、俺は嫌いではない。

 あ……いや、嫌いどころか……

 まあ、それはこの際置いておいて、今は、歌。

 葉月の歌下手をどうやって解消するかだ。


「そうだ! スマホで録音してみれば? それで、どこが違うかじっくり検証してみればどうだろう?」

「録音か……そうだね。それ良いかも!」


 俺は、スマホと取り出して、録音機能をスタートさせる。


「え……高橋のスマホに録音するの??」

「別にいいだろ? どちらでも。ほら、もう録音始まっているし!!」


 有無を言わさずに、録音をはじめれば、葉月が歌い始める。

 『録音』という言葉に緊張しているのか、少し声は上ずっている。 


「どうだった?」

「それは聞いてみないと」


 俺は、録音したばかりの葉月の歌を再生する。


「……うわ、酷いね……」

「そう? それほどでもないけど? いい声だと思うよ?」


 葉月の優しい声。一生懸命歌っているのが、ちゃんと伝わる。


「でも、一音も合っていないし……」

「まあ……そうかもしれないけれども。でも、それが分かったんだからさ、次はどう違うかを考えて。ちょっとずつ直せば良いだけ」

「それが難しいのよね……」

「ぼやくな。俺が練習に付き合ってやるから!!」


 そう。一人で頑張っていた葉月を手伝ってやりたくて、俺はいつもより早くに学校に来たのだ。

 葉月の性格なら、きっと早朝練習を始めると思ったから。

 有無を言わさず、一緒に練習するために。


 二人っきりで練習出来ればなんて下心は、ちょっとだけあることはある。

 そこで、「高橋ありがとう!」なんて葉月に喜ばれて、ただの幼馴染から進展……なんて妄想も、ないわけではないのだが。


「高橋……」


 お、イイ感じじゃない?

 葉月が俺をイイ感じの表情でみつめてくる。

 これは、頑張って目覚まし十個が駆使して早起きした甲斐があったというものではないだろうか?


「葉月……」


 ドキドキしながら俺も葉月を見つめ返す。


「とても素敵な歌声ですな」


 聞きなれない声に振り返れば、そこにいたのは、一匹の白いモフモフ。

 誰?

 ていうか、何?


 二本脚で歩き、靴を履き、ベストにスーツ、蝶ネクタイのかしこまった服を着て、シルクハットを被っている。

 なんだか大きなトランクにステッキまで持ってる。

 ファンタジーの挿絵から抜け出したような見た目だ。


「おっと失礼。私、ラルフと申します」


 帽子を取れば、長い耳。ウサギだ……。






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