もらいて嫁

おじさん(物書きの)

ここではないどこか

 いつかいつかと夢見て焦がれて、三十路男が空を見る。おまえ聞いたか聞いとくれ。風の噂か虫の知らせか、山の向こうのある村に、たいそう美人な娘子が、嫁かず独りでいるそうな。

 こいつは良いこと聞いたぞと、いてもたってもいられずに、一心不乱に山を越え、切らした息に枯れた喉、麦茶で一息やりましょう。

 茶店の女中の話では、峠の先のお屋敷に、噂の娘子いるらしい。よしきた今すぐ出発だ。ちょいとお待ちよお前さん、そんなボロ着で行くのなら、命を捨てるお覚悟で。そいつはご免こうむるぞ。それなら近くの呉服屋で、ちゃっちゃと仕立ててお行きなさい。

 言われるままに呉服屋へ。ここで一番上等な、着物を見立てくれないか。へえへえそれならこれなどが、生地も仕立ても上等で、着れば坊ちゃんどこいくの、女子が放っておきません。よしきたそいつを貰おうか、この際つりなど取っておけ。

 これなら文句もあるまいと、茶店に戻って一回り。ボサボサ頭のお前さん、それじゃ鼻で笑われ尻蹴られ、娘子一人貰えまい。

 ならば理髪と走り出し、こいつをばっさりさっぱりと、流行りの形で決めてくれ。ちょっきんぱらぱら、ちょっきんぱらぱら。一刻うとうとお客さん、どうです自慢の仕上がりは。なんとも俺ではないような、一皮剥けたというべきか。

 どうだどうだと茶店に戻って二回り。あらやだりっぱなお前さん、どうだいあたしを見初めては。冗談よせやと店を出て、峠の先のお屋敷に。

 なんともりっぱな門構え。ふらふら入った庭先で、なんだ貴様は泥棒か。それは誤解というもので、もしやあなたがお父様。貴様にそんな呼ばれ方、される覚えはありゃしない、叩き切ってくれようか。待ってくださいお父様、暴力無縁でいきましょう。なんだ貴様はまだ言うか。

 なにやらお庭が騒がしい。すいっと障子を開けたなら、視界に飛び込むいい男。お父様ああお父様、そちらのお方はどなたです。部屋に戻っておきなさい、こいつはただの盗人だ。それは誤解と先ほども、山越え谷越え、嫁をもらいに来たのです。花嫁修業も何もかも、半人前の私でも。そんなの関係ありゃしない、俺のところに嫁にこい。

 時は夕刻、山の中。闇にぼんやり提灯ゆらゆら。先頭あるくは衣裳持ち、寄り添い掲げた緋色傘。白装束の娘子が、駕籠に揺られて山を行く。提灯ゆらゆら提灯ゆらゆら。夜通し歩いて山を抜け、本日晴天花嫁行列。

 不思議なこともあるもので、雲の一つもない空に、雨がぱらぱら降ったとさ。

 何とも優しい娘子で、掃除洗濯さらりとこなし、料理の腕前文句なし。一つ難癖つけるなら、人の化け方半人前。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もらいて嫁 おじさん(物書きの) @odisan_k_k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る