第34話ーイレギュラーー
「…さてと」
フィーゼはふぅ、吐息を吐きながら、用意したティーセットをテーブルに並べていき、キーユの向かい側にデンと腰掛けた。
「テーブルマナーもあったもんじゃないですね…。仮にも君は公爵家の従者でしょう?もっと気品を重んじなくては。お嬢様の顔に泥を塗る気ですか?」
ため息混じりに呆れ顔のキーユ。
「お前、いちいちうるさい」
と、口を尖らすフィーゼ。
お嬢だって今は風呂でいないんだし、とぽろっと漏らした言葉に、
「っ…」
キーユは微かに反応を示し、その頬はほんのり赤く染まっていく。それが目に入り、
「…ぁ、お前今、何かイヤラしいこと想像したろう?」
うわー、キーユさん、フケツ〜、とニヤリ顔でツッコむフィーゼ。
「ばっ、してな————!!」
キーユは慌てて否定するものの、その顔はもう言い訳できないほどに真っ赤になっていた。
「どうだか。
…ってか腕、もう大丈夫そうだな。あんなに血だらけだったのにもう治ってるって、さっきお嬢もおったまげてたが」
ふとキーユの腕が目に入ったフィーゼは、どことなくつまらなそうに呟く。
そんな彼の腕には誰が見ても明らかなほど乱雑で下手くそに、だが、一生懸命に包帯が巻かれていた。
「まぁ今は人間ではなく、精霊の姿なので、あれぐらいの傷ならすぐに治ります」
そう淡々と答えるキーユだが、その手は愛おしそうに、そっと包帯を撫でる。その顔はとても穏やかで、どこか嬉しそうな表情をしているように、フィーゼには見えた。
精霊は人間よりも回復スピードが恐ろしく速く、部屋に到着する頃にはキーユの腕はほぼほぼ治っていたのだが、念のためと、気休め程度ではあるがシンシアが包帯を巻いてやったのだった。
「ったく、腑抜けた顔しやがって…」
と呆れ顔でボソッと漏らすフィーゼ。
しかし、そんな彼の緩んだ顔を見て少し安心もしていた。部屋に戻る前に見たあの鋭い眼光は、今の彼とは全然違って見えたのだ。それはまるで、全くの別人のように思えたのだ。
「言っとくが、またお嬢に手を出すようなことがあったら、今度こそその息の根。止めてやっかんな?」
「っ、フフッ、おっかないですね、雪の騎士様は」
キリッと睨み付けるフィーゼに、いつものように笑顔で返すキーユがそこにはいた。
「おぃ、何だ?その、雪の騎士様って」
「ご存知ないのですか?学園での君の通り名ですよ。雪色の髪と瞳、そして、いつもお嬢様のそばについて彼女を守っている。女子生徒の憧れの的なんですよ?君は」
「…そ、そう、なのか」
キーユの言葉に、ぶっきらぼうに返すフィーゼ。
「あ、その顔は、モテてるとわかって照れたんですか?君にしては珍しいですね」
「違っ!!…あぁ〜もぅ、こんな話がしたいんじゃねぇのにぃ」
気を抜くとキーユのペースに持っていかれるフィーゼは頭を抱える。
「俺が言いたいのは、お前のその姿の話だ。お前、一体何者なんだ?精霊なのか?人間じゃなかったのかよ?」
その言葉に少し困ったように、
「見られたからには、どうしようもないですね。話します」
キーユはそう言ってゆっくり口を開いた。
「僕は純粋な人間ではありません。半分は人間で、もう半分は精霊です」
「はぁ?…何言ってんだ?お前」
フィーゼは眉間に皺を寄せ、にわかには信じられない様子だ。
「あはは…。そう言うと思ってました。君が言う通り本当ならあり得ないことですから。けど僕は、イレギュラーなもので」
「一体どんな手を使った?!」
「え?」
フィーゼはキーユの言葉に思わず立ち上がって身を乗り出す。そんな彼にキーユは思わずのけぞる。
「答えろ!あの焔の精霊を使役しているくらいだ。そのやり方なら、加護を持ったまま、人間になれるんだろう?!」
若干興奮気味なフィーゼに、キーユは、ハッと何かを察した。
「フィーゼ、もしかして君は、人間になりたいのですか?」
「っ…、悪い、かよ」
確信をつかれたフィーゼは、恥ずかしそうに全力でキーユから顔を逸らしながら、ゆっくりとまた席に着く。
「人間になってどうするつもりですか?人間なんて、自分1人では誰も、ましてや自分の命すらろくに守ることもできない、ただの無能に過ぎないのに」
「…っ」
(え、こいつ、人間のことそんなふうに見てんの?)
キーユの、人間に対しての意外なほどの言いように、フィーゼは心の中でそう言いながら思わず目を丸くする。しかし、
「お前が思うほど、人間はそんなに悪いもんじゃないさ」
「?」
フィーゼはひとつ息をつくとそっと切り返す。
「人間には温もりがある」
「…っ」
そう真っ直ぐ言い切ったフィーゼを、キーユは少し眩しく思えた。
「俺たち精霊にはそもそも“ 温もり ”、体温というものは存在しない。当然だ。俺たちは本来、四大元素、地水火風の神のもと、その一部が形を成して生まれた存在に過ぎないのだから。神の力を分け与えられただけで、神のように不死身なわけじゃない。傷の治りは人間より早いと言えど、刺されたり撃たれたり致命傷を受ければ、人間と同じく当然死ぬ。 けど、人間のような明確な寿命があるわけじゃない。何もなければ何千何百年と生き続けることもある、不老長寿ってヤツだ。でもそれは、主となった人間と “ 同じ時の中 ” で生きることはできないと言うこと」
「…たしかに、人間の命は限りなく短い。僕もかつて、何人もの主を見送って来ましたから」
やるせなく話すフィーゼに、過ぎ去った長い日々を思い出すキーユ。
「俺はどうにもあの子が先に逝く姿を想像できないんだ。ってかしたくない。受け止め切れない自分がいる。
あの子が死ぬのが怖い。
俺の側から消えるのが、居なくなるのが、他の何より怖い…」
「…っ」
いつもの強気な彼は何処へ行ったのか、と言いたくなるほど、今のフィーゼはとても小さくか弱く、キーユの目には映った。
「だからもし人間になれるなら、俺はお嬢と一緒に同じ時の中で、“ 死ぬまで生きてみたい ”」
フィーゼはフワッと笑ってそう言うと、
(本当の意味で、お嬢の隣にいたい…)
その言葉は心の中にそっと隠した。
「君の口からそんな言葉が出て来るなんて正直意外でした。僕じゃきっとそんな考えには至らない」
「それ、褒めてんのか? 学年首位」
「さぁ」
「さぁって、」
フィーゼは苦笑いで溢す。
「けど、残念、君は人間にはなれません。僕の場合は特例だったんです」
「…じゃあ、その特例って何なんだよ?!もったいぶらずに速く教えろよ!」
少し苛立つフィーゼにキーユは息を一つ吐くと、
「人間の器を得ること」
一言そう言い放った。
「精霊はもともと思念体です。実体を、身体を持たない。だから魔力を持たない人間には僕たちの姿は見えない。だから僕はこの、キーファンという人間の器に入り込んだんです」
「精霊が人間の身体に入り込む、だと…?」
「ね、理解できないでしょう?この身体には、二つの魂が共存しているんです」
「っ…」
予想外の言葉に理解が追いつかないフィーゼ。
「この身体の持ち主、クロノス帝国皇太子、キーファン・ヘウン・クロノスは、元より “ 時の神 ” 、クロノスと契約していた。僕が彼を見つけた時、彼は自ら命を絶とうとした。そんな生死の境に、僕はクロノスの意向でこの身体に入り込むことを許可されたのです」
「っ?! ちょっと待て。クロノス神と契約した人間がこの時代に存在しただと?!」
(あのクロノスと契約出来る人間が、あの強大な力に耐えうるだけの
フィーゼはそう言って、心の中で呟いていた。
“ 時 ” は目に見えない分、他のどんな力より扱うのが難しいと言われている。四大神の上をいく、誰も敵わない、最強の力。並大抵の精神力、肉体では、クロノスの力に契約者の身体が耐え切れず、すぐに崩壊してしまうのだ。それゆえに、クロノスと契約できた人間は歴史上、指折り数える程も存在しないと言い伝えられている。
「僕も驚きました。見るからにひ弱そうなこの身体が、クロノスの憑代だなんて。」
「ひ弱って…。言っとくが、今はそれがお前の身体でもあるんだからな?」
キーユの言い草に、フィーゼは思わずツッコむ。
「ってか、どう言うことだよ?自殺しようとしていた皇子の身体に入り込んだって」
「クロノスはその強大な力ゆえ、何千年もの間契約出来る者が現れなかった。そんなところにせっかく得た
「っ、ふざけるな! 神は私利私欲のために契約を取り決めたり、ましてや促したりしない!」
淡々と語るキーユに、フィーゼはガンッとテーブルに拳を落とした。
「神とは、いついかなる時であろうと万物、万事に公平でなくてはならない存在だ。飽くまで、契約者である人間には自分の力を貸すだけ。神が契約者を通して行えるこの世への干渉は、それだけだ。それ以上でもそれ以下でもあってはならない。なのに、お前のその言い方はまるで————」
(まるでクロノス自ら、自身の退屈を埋めるために、お前に契約を持ちかけたみたいじゃないか…?!)
フィーゼは最後まで言わず、心の中で呟く。
「君は神に幻想を抱き過ぎですよ。
神とて意思はある。
そう言うことです」
「そんなっ…」
キーユから突き付けられる言葉にフィーゼは動揺を隠せない。 これまでずーっと信じて疑わなかったことが、一瞬にして打ち砕かれてしまったことへのショックで、それ以上何も言えなくなってしまう。
「と言うわけで、僕は君のような完全な精霊ではない。だからこうして支障も出る」
「はぁ、それで、
「はい。月に一度、十六夜の月が上る夜。その夜だけは精霊の力が抑えられなくなり、人間の姿を保てない。 だから僕は、君が羨ましいです。こんな醜い姿を晒すこともなく、そんな恐怖に怯えることもなく、堂々とお嬢様と一緒にいられるんですから」
そう言って力無く笑うキーユに、
「お前が言うほど楽なもんでもねぇよ」
フィーゼはそれだけ返した。
「…っ」
ドヤ顔されると思ったら、ポツリと呟いた彼の意外な言葉に、キーユはただただポカンとするのだった。
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