神のご加護が届く場所

しろがね。

プロローグ

第0話-受け継がれし風-



 ここは世界の西側。クリミナード公爵が統治するクリミナード公国。遥か昔、風を司る神、イェティスが舞い降りたという伝承が残る国。


 ——————


 それは少女がまだ4歳のときだった。


「お誕生日おめでとう。はい、お婆ちゃんからプレゼント」


 祖母から誕生日プレゼントとして貰い受けたペンダント。祖母の手で首に下げもらったそのトップには、少女の瞳の色と同じターコイズブルーに光り輝く、この国の秘宝、氷翠石ひすいせきを打ち砕いて作られた “ 笛 ” がついていた。


「その笛はね、我がクリミナード公爵家に代々伝わる “ 御守り ” みたいなものなの。大切にしてね」


 キラキラと光り輝くそれに否応なく目を奪われていると、老婆はいつになく真剣な面持ちでさらにこう続けた。



「その笛には、“ 風の神様が宿っている ” の」



 カゼノカミサマ…?と首をかしげる。この国は風の神様に護られているということは散々聞かされてはきたが、その神様がココに?と半信半疑に笛を見つめる。


「その笛を吹くとね、風の神様にその音色が届いて、あなたの願いをなんでも叶えてくださるの」


 願いがなんでも叶う。そのパワーワードは幼い好奇心を一瞬の内に満たした。


「本当?!吹いてみてもい〜い?」


「もちろん!吹いてごらん」


 高鳴った胸に思い浮かべる4歳児の願いと言ったら、いっぱいお菓子が食べたい!とか、夜ご飯のデザートはケーキがいい!とか、そこらへんが妥当だろう。

 さて、何が叶うのだろう?と希望に満ち溢れたキラキラした顔で少女は勢いよく笛に息を流し込んでみる。…が、実際に鳴ったのは、【プス———】というただ息が漏れる音だけだった。期待はずれの現象に、あることがピンっと頭にひらめいた少女は、ねぇお婆さま、とそっと口を開く。


「もしかしてこれ壊れて———」


「壊れてるとかじゃないから!全然。全然大丈夫だから!そこは安心して?」


 言い終わる前に祖母は食い気味に言葉を遮り、力強くそう言ってのけた。そしてこう続けた。



「きっとまだ “ その時 ” じゃないのだわ」



 “ その時 ” って?と首をかしげて問うと、真っ直ぐ少女を見据えて優しい顔で老婆は口を開いた。



「あなたが “ 慈悲の心 ” を使う時」



 その時のことは今も少女の心と記憶に鮮明に残っている。


「ジヒノココロって、なぁに?」


「フフッ、あなたが生まれながらに持っているものよ。心配いらないわ。その笛が鳴らせるようになる頃には、きっとわかるはずだから」


「お婆さまは鳴らせるの?」


「お婆ちゃんは、とうとう鳴らせなかったな〜」


 祖母は小さく息をつくと困ったように笑いながら言う。だがそれは自然とあまり残念そうなものには感じられなかった。


「お婆さまには、“ その時 ” が来なかったの?」


「…ん〜、そうね。その頃にはもぅ、お婆ちゃんにはお爺ちゃんがいてくれたから」


 祖母は近くの棚に飾ってあった写真立てを見やった。そこには今は亡き祖父と並んで微笑み合う2人の若き頃の姿が写っていた。幸せそうな2人の表情はいつ見ても目を奪われてしまう。

 それからまた改めて老婆は少女に向き直る。


「シーちゃん、これだけは忘れないで?お婆ちゃんがいつも言っていることだけど、この世界はね、良いことをしても、そうじゃないことをしても、



 “ 巡り巡って必ず自分の元へ還ってくる ” の」



「巡り巡って、還ってくる??」


 その言葉がやけに素直に心の中にストンと落ち込む。


 それがどんなものでも、例えどれほど時間がかかっても、どれほど姿形が変わろうとも、必ず自分の元へ戻ってくる———。


 それはどこか恐ろしくて、どこか安心感を覚えさせた。


「嫌なことが返ってくるよりは、良いことが返ってきてくれた方が嬉しいでしょう?だから、できるだけ良いことがたくさん返ってくるように、あなたもできるだけたくさん、良いことをしましょうね」


 “ 良いこと ” ?


 フワッとした表現にただただ首をかしげるしかできない少女に、



「生まれ持った慈悲の心を正しく使うこと。

 あなたがあなたでいてくれること。

 ———ただそれだけでいいの」



 祖母は相も変わらず、優しい笑顔で答えた。


「ほら、よく聞いて?

 これからあなたにどんなことがあろうとも、その笛が、風の神イェティス様の優しい風が、いつもあなたのそばであなたをお護りくださるわ」


 だからどうか、あなたが生まれ持ったその慈悲の心を、決して忘れないでいてね———。

 祖母はあえて声には出さず、表情だけでそう語っているかのようだった。


 穏やかで優しくて、普段から大好きな声。それなのにこの時だけは、どこか違って聞こえてしまったのだ。だから、思わず聞かずにはいられなかった。



「お婆さまは———?」



「っ…」


 真っ直ぐな声が飛んできて、祖母はふと、孫娘の顔を見た。


「シーアはお婆さまがそばにいてくれたらいい。風の神様じゃなくて、シーアはお婆さまがいい!!」


 祖母はその言葉に、そっと少女と同じターコイズブルーの瞳を伏せる。


 それを見た途端胸騒ぎがした。影を潜めていたはずの、忘れていたはずの “ 何か ” が、また少しずつ心に忍び寄って来るかのようだった。


 少女は縋り付くように椅子に深く腰掛けた祖母にギュッと抱きついた。


「大丈夫。あなたはあなたのお母さまに似て、誰よりも優しい、慈悲の心を受け継ぐ子だもの。その心があれば、いずれはその笛も必ず鳴ってくれるはずよ」



「お母、さま…?」



「だからきっと大丈夫。あなたは何も恐れることはないわ。風の神様はちゃ〜んと見てくださっているから。あなたが困った時、そっとあなたに寄り添って、優しい風を吹かせてくれるはずだから。あなたが良いことをしていれば、

 巡り巡って、必ずあなたを護り、助けてくださるはずだから———」


 老婆は変わらず穏やかな口調でそう言いながら、孫娘の中に巣食う不安を消し去るように、その大きくて温かい手で頭を優しく撫でてやるのだった。


 それは、雲一つなく、空が青く澄んで、よく晴れた日だった。ふいに窓の外から吹き込んだ風がふわふわとカーテンを舞い上がらせて、目の前の祖母の美しい金色の髪をキラキラと揺らしていた。それが、少女が見た祖母の最後の元気な姿だった。


 その姿はまるで、風をその身にまとった女神のように、少女の瞳には映っていたのだった———。




 ————————————



 これは、神の力を手に入れた一人の少女が、自分の本当の願いを見つけ、叶えるまでの物語。



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