第7話 打算と麗人

「立てますか」

 お手を、と右手を差し出すジェイドの仕草は紳士的であり、騎士然としていた。女性にしては上背もあり、引き締まった体躯をしていることがジャケット越しにも分かる。切れ長の瞳は涼やかでありながらも力強く、それでいてどこかあどけなさも残る。イケメンというよりは、ハンサムな顔立ちだ。

 ユーニスが信頼を寄せていたというのも、よくわかる。四面楚歌という環境のせいかもしれないが、わたしも、一目でジェイドに惹かれていた。

「……はい」

 ユーニスは、ジェイドとどんな会話をしていたのだろう。どんな風に振舞っていたのだろう。そんなことを考えながら、ジェイドの手を取ると、ピクリと、彼女の指先に緊張が走った。

「ユーニス様。どうかされましたか」

 どういう意味だろう。心なしか、ジェイドの表情に険しさが混じる。

 まさか、別人だと見抜かれたのだろうか。この一瞬で。

「いつものあなた様であれば、大丈夫だと、心配しすぎだと仰り、おひとりで立ち上がられるのに。よほどの恐怖を味わわれたのですか」

 ああ、この人は。

 日記に記されていた、偽りのないユーニスを見ていたのだ。

「……ええ」

 どうしてユーニスが死んだのか、わたしはまだ知らない。だからそれ以上の事は言えず、曖昧に肯定することしか出来なかった。

「わたしは一度死に、そして蘇りました。……どうして、そんなことが起きたのかは分からないのですが、そのショックで記憶が混乱しているらしく……。つい今しがた、ユアンにも別人のようだと言われてしまいました」

 「何も知らない大人しい傀儡のお姫様」ではないユーニスは、果たして丁寧な言葉で喋っていたのか、砕けた口調で喋っていたのか。探りながら、たどたどしく言葉を紡いでいく。

「そうですか……。私がその場にいられれば、そのような想いをさせることもなかったのに。申し訳ありません」

 ジェイドが頭を垂れる。その仕草に、少なからずほっとした。現状、彼女が唯一の味方と言える人物なのだ。彼女に悟られる訳にはいかない。ユーニスになりきらなければならない。

「顔を上げてください、ジェイド。……この通り、わたしは無事なのですから」

「……そう、ですね」

 歯切れの悪い返事をするジェイドに、内心、ハラハラする。どうか気づかないでと祈る。

「でも、ユーニス様」

 顔を上げたジェイドの表情からは騎士然とした凛々しさは消え、どこか、捨てられた子供のような顔をしていた。

「このジェイドには、どうか、そんな振る舞いをしないでください。私を今も信頼してくださるのならば」

 心が痛む。

 ジェイドが縋るように見つめ、忠誠を誓っているのはわたしではない。わかっていながら、それを利用しようとしている。

「……わたしは」

 ユーニスは、どのように接していたのだろう。

 どう振舞えは、ユーニスだと思ってもらえるだろう。

 どうすれば、ジェイドはわたしの味方になってくれるだろう。

「ジェイド、あなたを誰よりも頼り、信頼しています。たとえ混乱の中にあろうとも、この言葉に嘘偽りはありません」

 背を伸ばし、まっすぐにジェイドを見つめ、凛と振舞う。ユーニスとして。

 その想いが通じたのだろうか。ジェイドの瞳から不安げな色が消え、力強い灯がともる。わたしの手を取り、その甲に口づける。

「私の想いは、ユーニス様と共に」


 傍目には、何も知らない都合のいいお姫様。

 その本性は、若くて青くて強かで気高い次期公主。

 そして中身は――どこにでもいる地味なアラサーオタク。


 恭しく臣下の礼をとるジェイドの、形のいい頭を見下ろす。良心が痛まないと言えば嘘になるけれど、わたしが殺されないためにも打算は必要だと正当化する。

「顔を上げて頂戴、ジェイド」

 それに、興味もある。

 なぜ、ユーニスが殺害されたのか。

 誰が、ユーニスを殺害したのか。

 それを知りたいと思う。

「あなたが戻ったこと、とても頼もしく思います。今までと変わらず、わたしの傍に」

 日記の内容、そしてジェイドの態度から推測するに、傍仕えの護衛と見て命じる。その言葉にジェイドは顔を上げ、力強く頷いた。

「命ぜられずとも」


 ジェイドの手を借りてようやく立ち上がることができたわたしは、辺りの様子を伺う。

 階段に落ちてきた花瓶は無残に砕けていた。破片の数や大きさからいって、女性ひとりでも容易く運べる大きさだろう。表面は飾り気がなく平坦で、絵の一つも描かれていない地味な陶器だ。中に水が入っていたのだろうか。辺りは水浸しだが、花はない。花を生けず、水だけを入れた花瓶が偶然落ちてくなどありえるだろうか。

 上を見上げるが、さすがにもう誰の姿もない。


 ――そういえば、と不意に思い出す。

 一瞬見えた、あの映像は何だったのだろう。

 あれに驚いて足を止めなければ、この花瓶はわたしの頭に命中していただろう。

 第六感や虫の知らせの類だろうか――。


「何の騒ぎです?」

 上階から、声が降ってきた。振り返るとそこには、継母の姿。

「上から花瓶が落ちてきただけです。幸い、事なきを得ましたが……」

 言葉を切り、相手の出方を伺う。しかし、義母の表情には変化がない。相変わらず、作り付けたような笑顔が張り付いているだけだ。

「大変。怪我はなくて? ここはクロエに片付けさせるから、ユーニスは着替えていらっしゃい。もうすぐ夕食の時間になるわ」

 もうすぐ夕食、ということは使用人たちは部屋を出払っているだろう。とすれば、花瓶を落としたのは……?

「そうして人を払い、証拠を隠滅するおつもりで?」

 わたしを庇うように、ジェイドが一歩前に出る。

「この花瓶は何者かによって故意に落とされたものと思われます」

 ジェイドの顔を見て、継母があからさまに嫌そうな顔をする。苦虫を噛み潰したような、とでも言えばいいだろうか。目尻がひきつり、皺が浮かぶ。

「戻ってきたのね、ジェイド。報せを出してから数日も経っていないというのに、足の速いこと。相変わらず人聞きの悪いことを言うけれど、私がやったとでも?」

「いえ、イザベラ様には不可能でしょう。ですが、あなたが指示した可能性は否定できません」

「公妃とおっしゃい」

「私はあなた様を公妃とは認めておりませんので」

 ふたりの間に何かあったのだろうか。険悪な雰囲気、という言葉では片づけられないような悪意と敵意がぶつかり合っている。

 イザベラを公主の妻と認めていない、ということは、先代――つまりユーニスの生母とイザベラの間に何らかの因縁があり、ジェイドも関わっているということだろうか。

「……失礼、言葉が過ぎました」

 わたしの視線に気づき、ジェイドが睨み合いを止める。

「イザベラ様は、過去、落馬で左肩を痛めていると聞き及んでおります。水の入った花瓶を落とすことは難しいでしょう。ですが、何者かが故意に落とした可能性がある以上、調べもなしに片付けることには反対します」

「……勝手になさい」

 吐き捨てるように言い、イザベラがため息をつく。笑顔を張り付かせることすら忘れて、苦々しい顔のままわたしを見る。

「クロエを部屋に行かせます。ユーニスは食事までに着替えを済ませなさい」

 そう言って階段を上り、戻っていく。

 ジェイドを見ると、彼女もまた眉間の皺を指でほぐしながら、深いため息をついていた。

「申し訳ありません、ユーニス様。お見苦しいところを」

「……気にしないで。ジェイドとお母さまの仲が悪いのは、いつもの事でしょう?」

「そう……ですね。悟られないように振舞っていましたが、やはり、見抜かれていましたか」

 まずい。

 これは、ユーニスの言動として相応しくなかった。

 どうか気づいてくれるなと祈るように、言葉を重ねていく。

「り……理由までは分からないのですけれど、お母さまと接するときのジェイドは、いつもと雰囲気が違う気がして」

「……そうですか」

 返ってくるのは、そっけない返事だ。

 まずい。

 まずい、まずい。

 心臓が早鐘を打つ。

「私の母は」

 ぽつ、とジェイドが語り始める。

「先代の公妃様……ユーニス様のお母上に護衛として仕えていました。ですがユーニス様がお生まれになった際に先代は亡くなり、数年後にイザベラ様が後妻として迎えられた時、使用人は全員解雇。……母の落胆は、子供であった私にも伝わりました。そういった経緯もあり、イザベラ様を公妃と認めることが出来ないのです」

 ほ、と息を吐く。どうやら取り繕うことができたようだ。

 恐らく、ユーニスにとっても初耳のことなのだろう。

「……ありがとう、話しづらいことを話してくれて」

「いえ。……お部屋に戻りましょう」

 そう言って先に立つジェイドの後を追った。


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