頼義、覚悟を決めるの事(その一)
長い夜は明け、ようやく朝が訪れた。
頼義は左京にある邸宅の寝所で目を覚ました。と言っても竹綱に見送られて帰宅したのもつい一刻(二時間)ばかり前なので、ほとんど眠ることもかなわなかった。金平たちのこと、鬼たちのこと、そして「鬼狩り紅蓮隊」の存在。一日のうちに起きたもろもろの出来事に思いを巡らせてはまんじりともせずに布団の中からただ天井を見上げるばかりであった。
女房連の暴風雨がようやく立ち去った後、今度は父である頼信から呼び出しをくらった。当然お叱りはあるものと覚悟して神妙な面持ちで父のいる書院に頼義は参上したが、意外にも父は平静な様子で昨日の出来事を娘に問いただした。
「
とだけ問う父。坂田金平たちに会ったか、という意味であろう。
「はい」
娘もまた簡潔に答える。
「見たか」
またもそれだけを言って静かに娘の返事を待つ。
「……はい」
頼義は昨夜見た異形の化物たちの姿を思い起こしてにわかに戦慄する。
「ふむ。で、あるか」
それだけ言ってまた父は静かに黙り込んだ。もとより多くを語ることのない父である。兄である頼光とは対照的に柔和で物静かな人物として知られている。頼光公が燃え盛る烈火であるならば、頼信公は音もなく燃える炭火のようなお方よと内裏での評判も高い。それでいて武勲に関しては頼光にも劣らぬ実績を誇っており、先の丹波国における大掛かりな騒乱の折にも頼光と並び軍を率いて目覚ましい活躍を見せたという。
頼光四天王に対して、左大臣道長の最も信頼の厚い「藤原四天王」の筆頭として宮中においても大きな存在感を見せる名将も、頼義から見れば優しい、慈愛に溢れるごくごく普通の父親であった。その父親の顔を苦い思案に曇らせているのが他でもない自分であるという事実に、頼義は胸が痛んだ。
「すゞ子」という女名を捨て、男子として生きると宣言した時、普段は物静かな父もさすがに動揺し、声を荒げて思い直しを迫った。それでも娘の意思の固く揺るがないことを見て悟った父はそれ以上は何も言わず、病と称して
三日後にようやく姿を現した頼信は再び娘に向かってその意思の変わりなきを確かめると、黙って家伝の太刀と真新しい男物の衣装を娘に授けた。娘は大喜びで父に何度も感謝の意を述べたが、父はただ黙って視線を合わせなかった。その時のことを思い出すと、頼義はまたきゅっ、と胸が痛むのを感じた。
優しい父ではあったが、ただ一つ、この父は昔から娘と目を合わせることを避けているような所があった。そのことだけがいつも頼義の、「すゞ子」の胸の内に小さな氷の重しとなって引っかかっていた。
「かの者たちと会って、あの鬼どもを見て、なおその決心に変わりはないか」
再びそう問われて頼義ははっと息を飲んだ。確かに、これから男子としてあの「紅蓮隊」を率いて生きるということは彼らとともにあの鬼どもの征伐を生涯に渡って続けて行くということになる。
願い出れば役職の変更もかなうではあろう、しかしそれは
男子として生きるというのならば、今ここが最後の分岐点である。女子に戻って、普通の姫としていずれ誰かの求愛を受けてごく普通の妻として生きるか、女性としての幸せを捨て父や叔父と、あの「紅蓮隊」の若者たちのように一生を武に捧げて生きるか。わずか、ほんのわずか、頼義の中には迷いがあった。
(本当にそれでいいのか……)
と自分に何度も問うた。それでも、目をつむるたびに頼義の心を駆け抜けるのは、父や叔父の打ち立てた武名と一族の誇り、その血筋を決して絶やしてはならないという、熱い思いであった。
なぜ女の身でありながらこのような情熱にかられるのか、それは頼義自身にすらわからない。ただそれは頼義一個人の感傷などではなく、清和帝より連綿と続く源氏の血脈がそうさせるのだと、そうとしか言いようがなかった。その思いは、今また目をつむって思い起こしてみても、少しのゆるぎも感じなかった。
「はい!」
もう、頼義の中には一片の迷いもなくなった。その決意を見てとったのか、頼信は少しさみしげな表情を浮かべ、
「あいわかった。わが娘であるすゞ子は死んだ。わしはその死を
その言葉に、頼義もまた締め付けられるような悲しみを覚えたが、頼信は続いて言った
「そして、頼義という立派な跡継ぎが誕生したことをおおいに祝おう。今日は、
それだけ言って、頼信は立ち去った。後に残された頼義は父の気配が立ち去るまでただただ深く平伏し、涙をこらえていた。
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