第20話 意識なき合流
トンテン、トトトン
ヒュー、ヒョロロロロ
ドン、ドン、シャラララ
ドン、シャララ
緖結び神楽の音色が心地よい。
私をいざなうように、山道のなか、ぽつぽつと篝火の灯りが仄かに照らす。私はいま確信していた。この灯りの先に実加が──妹がいる。
あの日から八年間、考えない日はなかった。
頭のなかを廻るは最後に彼女を見たときの情景ばかり。緖結び神楽の舞台上でたおやかに舞う巫女は、しかし舞台を降りれば無邪気な少女であった。
よくやった。
えらいぞ。
自慢の妹だ──。
喉元まで出かかった声は、気恥ずかしさに隠された。駆け来る彼女の笑顔に気圧されて、唯一伝えられた言葉は「おつかれさん」のひと言のみだった。
でも、だって。
あの笑顔が最後だとだれが思うだろう?
私は地続きの一日を過ごしているつもりだった。母が亡くなってから父と三人、手を取り合って生きてきた。これからもそうやって生きていくと思っていたのに。
──実加がいない!
唐突に耳に飛び込んだのは、焦った父の声。私たちは神社境内はもちろんのこと、村中をくまなく探した。私たちだけではない。村の人間が総出で探したのである。それなのにあの子は、どこにもいなかった。
──神隠しだ。
──しばらくなかったのに。
──今宵の神楽はすばらしかった。
──きっと気に入られてしまったのだ。
村の老人たちは憚りもなくそんなことを大声で話した。一晩も捜さぬうちに、彼らはあの子をあきらめた。
神隠しなどあるものか。
私は見たのだ。
あの子が、神楽を終えたのち、奴らととともに裏の山へ入っていったのを。
龍二。夏生。──泰全。
「お前たちが隠したんだ──ちくしょう」
一歩、また一歩と灯りを頼りに歩みを進める。
実加。みか。ミカ。
私はおまえの仇をとる。
きっとおまえもそれを望んでいるのだ。
諮らずも龍二や夏生が死んだ。
あとひとり。ひとりだ──。
私の口もとは意図せずゆるんでいた。
あと少し。
この先にあの子がいる。
──コーン。
ハッ、と息を止めた。
山の奥から聞こえた音。
記憶の何処かに聞き覚えがあった。
──コーン。コーン。コーン。
木槌で木を打つ音?
この音をどこで聞いたのか、私は朧気にも覚えていない。四方八方から鳴り響くこの音は、いったい。
──コーン。コーン。
──コン。コン。コン。
迫る。迫る。
私の呼吸が次第に浅くなっていくのがわかった。
この、恐怖は。
──コンコンコンコン。
音が迫る。
しかし私の足は止まることを知らない。ぐらりと頭を揺らしながら、のぼせたような視界のまま音の方へ歩みつづける。
嗚呼──。
あれは、化け物か?
闇。が
いや、無か。
そのまま無へと手を伸ばす。
しかし意思とは反対に、なぜか身体がぐんとうしろに引かれた。
──なんだ?
うしろを振り向く余裕はなかった。
私はまもなく、気を失ったのである。
*
依然、夢のなかにいる。
──とある娘の御霊を還す。
──器を貸すことができるか。
と、翁面の男に問われた一花は、いつものアルカイックスマイルをめずらしく引き締めて、男をじっと見つめ続けていた。男と一花の間に挟まれた三橋は、静かに彼女の挙動を見守る。
やがて一花がちいさな唇をゆっくり開けた。
「そのムスメってどっちの子?」
「────ほう?」
「ふたりいるけど、まだほかにもいるの? でもひとりは──ウーン、呼んでいるだけだからやっぱりあっちの子なのかしら。あたしが舞えば帰れるっていうのなら、べつにいーわよ。減るもんじゃないし」
「イッカちゃん!」
「だってさーア、ずうっとここにいるんでしょ。可哀そうよ。帰れるなら早く帰った方がいいじゃない」
「でも──あの、イッカちゃんに害が及ぶなんてことはないでしょうね。器を借りるなんて、ただでさえ意味がわからないこと」
「なんてことはない」
男は口元でほくそ笑む。
「心身委ねられればそれでよい」
「────」
信じてよいものかわからない。
いや、警察的感覚で言えば信じられるわけがない。いま一花を守れるのは自分しかいないというだけに緊張感が高まっているが、翁面の男はこちらの警戒心などお見通しのようでにっこりと一花に微笑みを向けている。
「ね。貴女ならわかるはずですよ」
「ウン、だいじょーぶよ綾さん。あたし、こういうの慣れてるからねーっ」
「慣れてるって──」
と言いかけたとき、木々の奥から音が聞こえた。
なにか物が落ちるような音。一花には聞こえなかったのか無反応だったが、異様な音を前に三橋はパッと立ち上がった。その拍子におなじ長襟巻に巻かれていた一花が「ぐえ」と唸る。
「なんだろう」
「綾さん、くるじい──あっ、あたしが立てばいいんだわ」
「見に行きますか」
「え?」
「奥」
男はいまだうっすらと笑みを浮かべている。
ちら、と視線を音のした方へ向けて翁面の男もゆっくりと立ち上がった。この男、音の正体についてもおそらく分かっている。こちらを試しているのだ──と、三橋は鼻頭にしわを寄せつつ一花の手を握り、音の方へ一歩踏み出した。
「!」
数歩すすんで、足を止める。
そこに、すこし前までバックミラー越しに見ていたあどけない寝顔──並木剛が獣道に倒れていたからだ。
「並木くん!」
慌てて駆け寄る。
が、揺り動かしても動かない。胸元が上下するところを見ると、意識を失っているだけのようだ。
「なんでこんなところにいるのか謎だけど、とりあえず良かった──」
「つよぽん生きてる?」
「うん。息はしてる。見たところ外傷もないし、命に別条はなさそうね」
「そう……」
と、一花はすこし沈んだ声を出した。
意外な反応におもわず彼女を見上げると、彼女は寂しそうに山の奥を見つめている。その目にいったい何が映るのか、三橋には知るべくもない。
とにかく彼をこのままにするわけにもいくまい、と剛を抱き上げようと身をかがめたとき、はらりと長襟巻が三橋の肩からこぼれ落ちた。
「あっ」
一花がちいさく叫ぶ。
そのとき社殿の方から素っ頓狂な悲鳴があがった。視線をそちらに向けた三橋は、いまの状況がどれほどヤバい状態かというのを理解した。
なぜなら棟門向こう、切っ先の尖った農具を振り上げた老人たちが、鬼の形相を浮かべてこちらを見ていたから。
「な────」
なにあれ、とつぶやく声は掠れて音にならなかった。老人たちはいまにも棟門のこちら側、白砂へ踏み入れんとしている。
翁面の男は呑気なものである。
「ほうら見たことか」
「いや、いやいや──なにあれ!」
「逃げ出したマレビトを見つけたのだ。死ぬ気で追ってくるはずですよ。一花さん、」
といってほくそ笑んだ男は、一花を跪かせる。彼女の首から垂れた長襟巻を剛の身体にかけた。
「その長襟巻を外してはなるまいよ。それから貴女は──」
そして三橋を隠すように袖を振る。
「ひと足先にお戻りなさい」
瞬間。
周囲にまばゆい光が迸り、やがて周囲は無と化した。
──やはりこれは夢なのだ、と。
三橋は妙に冷静におもった。
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