第5話 信仰と祭

「村祭りか──」

 粗末なアルミテーブルに肘をつき、穂積薫ほづみかおるはつぶやいた。

 この大学に入職してから勤続二十年。着任当初に非常勤講師だったむかしに比べると、准教授、教授という着実なステップアップを経て、いまでは文化史学科の学科主任を任されるほどになった。身が引き締まるというか、相応の年齢になってしまったというか──おかげで責任やらなんやらが増え、研究一辺倒に生きるわけにもいかなくなった今日この頃である。

 さて、ここは自身の研究室。

 両壁に設置された本棚にはところ狭しと研究用書籍が並ぶ。穂積の専門は、神社仏閣に保管された古文書解読を中心とした宗教観や信仰変遷についての研究である。齢五十ながら、ふだんは『古文書学』や『宗教学』といった文化史学科必修科目を多く担当しており、かつ学年主任まで持ったものだからほかの教授陣よりも多忙になってしまった。

 対面に座るは、午前中に顔を合わせたばかりの穂積ゼミ生、浅利将臣。

 類稀なる記憶力と学力、知識欲と胃袋を持つルーキーとして、わずか入学三か月程度だというに学科講師陣のなかですでに有名な生徒のひとりである。てっきり、彼と仲の良い藤宮恭太郎と古賀一花とともに、四十崎ゼミへ行くとおもっていたから、ゼミ希望者の名簿を見たときはおどろいた。

 授業態度も芳しく、穂積ゼミ創設以来の逸材ではないか──と穂積自身はひそかに胸を躍らせている。

 そんな将臣はつい先ほどより、今後の研究テーマについて相談しに来たわけだが、話の流れで「村祭りについて」という話題になったのである。穂積はにっこりわらった。

「地域の村祭りなんかはたいてい神への信仰をもとに生まれたものが多いよね。まあ、そこに在る神とは神道というより、土着信仰からくるものが多いけれど」

「これまでフィールドワークをされてきたなかで、印象深い祭はありましたか?」

「うーん。たいていは仏教か神道起源のものばかりだから、そうめずらしくはないね。たとえば仏教系の祭。あれはあくまで釈迦という代表がいて、やれ生誕祭だ、やれ涅槃会だと日にちが決まっているだろう。盆祭りだって仏教視点でいくと盂蘭盆会が軸だし。逆に神道は自然あるところ神もありって感じで、人々がすこしでも畏怖を感じたらそこから新たな祭事がうまれるのだけども、それだって祭の目的は大体が豊穣を願ったり、感謝したり、あるいは祟り神のご機嫌取りばかりだよ」

「おもしろいですね。いつの時代も人間が信仰を生む。そのなかで天候や天災から神の機嫌を推し量って──人の感情に天井がない限り、それらは無限に生み出されてきたんでしょうから。でも、となるとさすがにいまの時代、倫理的にアウトな祭はなくなりましたか。たとえば生贄とかそういう」

「それはどうかな。そういうのを秘祭なんて呼ぶのだろうが、それは文字どおり秘密裏にやるものだからほとんど表に出ないんだよね。むかしは山奥の民家とか訪ねると、いまとなりの村には入らない方がいい──なんて言われることもあったけど。時代が下るにつれて世の中どんどん高齢化しちゃって、いまとなってはそういうのはないよ。きっと我々が知らぬうちに廃れたお祭りとかもいっぱいあるんだろうなあ」

「むかしはそこここに神がいたんでしょうね。科学の発展とともにそれはどんどん消えて──いまとなっては新たな祭が生まれることはないでしょうが。まあ、アイドルやら映像コンテンツの配信主やら、あれに課金だなんだと金を払う奴らもある種の現代信仰なんでしょうかね」

「はは、僕には理解できない世界だ。とくに日本人というのは、新興宗教には極端に目を尖らせるくせに、自分たちの興味あるコンテンツや人に対しては周りがなんと言おうと湯水のように金を使うじゃない。つくづく矛盾な生き物というか」

「フフ、新興宗教はほとんどが詐欺紛いのものですからね。アイドルと一緒くたにしちゃまずいでしょうが、とはいえ新興宗教に心救われている人間が、いないわけじゃないのも事実ですしね。なんだか、神とは何かという答えがいまの会話のなかに集約されているような気がしてなりません──」

 といって将臣は閉口する。

 この賢い頭でいったい何をおもうのだろう──と穂積は暢気に彼を観察する。おもえばこの生徒、家が寺だと聞いた。かくいう穂積も実家がなかなか由緒ある寺なこともあって、この生徒とはずいぶん近しい気を感じている。むかしは毎日の勤行やら説法やらと仏教の考え方をよく説かれたものだが、人生の折り返しをすぎたいまとなっては、それらの話も教養のひとつにすぎないものとなった。

 穂積薫自身は特段仏教徒ではない。長男でもなしの気楽なポジションである。

 たしかこの生徒は長男で、将来的に寺を継ぐ立場にあるらしい。そのわりに神だなんだというのだからおもしろい子である。穂積はばりばりと頭を掻いて、身を乗り出した。

「それより浅利くん、君のテーマについてだけれど」

「え? ああ。そうでしたすっかり話が脱線して──でも本当に、方向性もだいぶ定まってきた気がします。ただでさえぼくのテーマは特殊だったので」

「たしかに史料の少なさは懸念されるけども、ご実家の収蔵庫をもっと確認してみるといい。それでまったく見つけられないようであれば、また再度見直せばいいさ。なにせほかの大学と比べてテーマ決めに一年も猶予があるんだからね。もしかすると隣ゼミの案件かもしれないし──少なくともまだ半年間はどっかり構えちゃってもいいとおもうよ」

「そうします。ただ、なるべくゼミ移動はない方向でいきたいですね。穂積先生の下でやりたい気持ちが大きいので」

「わあ。うれしいこと言ってくれるなぁ。まあ、向こうのメンバーもなかなかに濃いからね。ただでさえ主がアレなのにサ」

「ええまったく」

 と将臣がはにかんだときである。

 研究室の扉が三度、小刻みにノックされた。こちらの返事も待たずに扉を開けたのは、にやついた顔の四十崎獅堂──。


「なんです。人の研究室の悪口大会ですか」


 と言いながら、彼は右手に手提げかばんを持つ帰宅スタイルでやってきた。

 穂積は嘯く。

「アレとしか言ってないよ。これからご帰宅かい」

「ええ。穂積先生は」

「あ、おれの用事はだいたい終わりました。穂積先生、ありがとうございました」

「いいんだよ、これも仕事だから。それじゃあ僕も帰ろうかな、なんなら飲み行く?」

「いいですね。浅利くんは──」四十崎が将臣を見下ろす。「まだ未成年か」

「残念ながら」

「それでも飯ならいいでしょ。ちょっと待って、荷物まとめるから」

 といって穂積は手元の資料を二、三ほどカバンに突っ込むと、手早く荷物をまとめて立ち上がった。もとより少量の荷物しかなかった将臣はすでに帰宅に向けて万全の状態である。

「それじゃ、未成年でも入りやすいところに行こうじゃない」

「いいですねえ。『なんば』とかどうです」

 言いながら四十崎、穂積の順に研究室を出る。

 最後尾につづく将臣が研究室を出る間際、いまいちど室内に目を向けた。その目はなにかを探すようにめずらしく──尖っていた。

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