第3話 ざくろへ

 ゼミが終わり、このあと一コマ空くため、大学近くに部屋を借りたという泰全の家に行くところだった。

「つよしくん」

 と、声をかけられて私は振り返った。となりの泰全もワンテンポ遅れて振り返る。

 藤宮恭太郎だ。となりには古賀一花もいる。この学科に入学してから三ヶ月、一度も喋ったことがないふたりである。ゆえに、先ほどはこちらの名前を知られていたことにすら驚いたのだが、彼らは不気味なほどフレンドリーな笑みを浮かべている。

「あ、──おつかれ」

「どこ行くのオ」

 一花が懐っこく問うてきた。

 内心の戸惑いを隠しながら、私は親指で泰全を示す。

「コイツんち」

「なにしに?」

「いや──何ってこともないけど。なんで?」

 と聞くと、彼女は藤宮を見上げた。

 経年劣化の目立つ校舎にとうてい似つかわしくない麗人は、にっこり笑って私と泰全のあいだに身を割り入れると、ぐっと肩を組んできた。掴まれた肩がミシ、と軋むほど力強い。

「メシに行こう。あとひとり、こっちのツレが合流するけれど。いいよねゼンくん」

「た、タイゼンな。えっと」

 麗人越しにこちらを見る泰全。

 その表情はあきらかに引きつっている。気持ちはわかる。小学校でつるんだ八木龍二以降、久しくこんな陽キャに絡まれることがなかった。数ヶ月前に再会したとき、互いに陰キャ宣言をしたふたりには少々荷が重いテンションだった。しかしここで断るとのちのちのゼミ活動に支障が出る可能性もある。

 ──ぜひ仲良く三年間過ごしてくれたまえ。

 ふいに四十崎のことばを思い出した。

(まあ、一度くらいなら)

 意を決して返事をしようと顔を上げたとき、藤宮がワハハハッと声を上げた。

「そうそう、仲良くしなくちゃ。一度と言わず二度、三度!」

「エッ──」

 口から漏れてた?

 おもわず口元を抑えたとき、背後から「コラ」という、言葉と反比例してひどく落ち着いた声がした。ホールドされて動けない我々をよそに、恭太郎と一花がひょっこりと背後に目を向ける。

 身じろいで、わずかに見えた声の主は、ふだんからこのふたりとともに行動する生徒だった。たしか彼の名は──。

「なんだ将臣。おまえ、システムマップが通用しない校舎のなかで迷わずここまで来られたのか? 今夜は赤飯だな」

「うるさい。おれのゼミはとなりの研究室だから、通り道なんだ。それよりおまえ、存在だけで圧があるのに軽々とパーソナルスペースを破るなよ」

 と言って、我々から藤宮を引き剥がすと、彼はうっそり微笑んでこちらを見た。

「並木くんと槙田くん、コイツらと同じゼミなのか。災難だったね」

「あ、いや──浅利くんは別なんだな」

 そう。浅利将臣。

 噂によると入学試験をトップの成績でパスをしたという、秀才だ。入学式でもこのふたりとともにいたところを考えると、私と泰全のように古くからの友人なのだろう。藤宮恭太郎にのが何よりの証拠である。

 彼は柔和な顔で奥の研究室を指さした。

「となりの穂積ゼミなんだ。何かと接点があるかもしれないな。穂積先生と四十崎先生はけっこう仲良いみたいだから」

「穂積ゼミって、宗教的なやつ?」と、泰全。

「実家が寺なもんで、その都合で」

「ああそうなんだ。やっぱ白泉の文化史学科って曲者揃いだよな」

「ふふ、まあたしかに──」

 浅利がちらと恭太郎を横目に見た。

「ソイツに気に入られたってことは、キミたちもなかなかひとくせありそうだな。……」

 最後はひとり言のようだった。

 気に入られた──のだろうか。とてもそうは思えないが、とりあえず藤宮の言っていたツレとは浅利のことだったようで、メンバーも揃ったし行くぞ、と藤宮はふたたび私の肩に腕をまわすと、のっしのっしと廊下を歩き出した。

 古い記憶がよみがえる。

 小学校時代、龍二がこうして私を引っ張ってくれた。そのうしろを夏生や泰全、それから実加がくっついて歩いて行ったっけ──。


「小学校からの友だちなのか」


 と。

 唐突に藤宮が言った。

 しまった、聞いてなかった。なにか会話をしていたのか──とあわてて顔をあげると、妙なことに彼はじっと私を見下ろしている。瞳がキラキラ輝いているのでビー玉のようだ、と場違いに見とれた。

「え? あ──泰全?」

「そう」

「うん、ド田舎だけど。学校自体に二クラスしかなくて、そこに通ってた」

「学校に二クラスって、学年ちがう子はどうすんのオ」

 と、古賀一花は目を見開いた。

 代わりに答えたのは泰全だ。

「一から三年生、四から六年生って感じで分かれてた。ちいさな村のなかにある小学校だったから──もうないかもなぁ」

「どうかな。引っ越して以来、帰ってねえから……」

 あの村の話は、あまり好きではない。

 泰全たちと過ごした時間は楽しかったが、村の生活自体は退屈なことも多かったし、なによりあの日──実加が消えたあの夏祭を思い出すたびに、憂鬱になる。

 幸いに私たちの昔ばなしがつづくことはなかった。なぜなら、またも藤宮が唐突に「メシだメシだ」と騒ぎ出したからである。まるで発作だ。とはいえ私は感謝した。よもやこの男が、こちらの顔色を見て話題をすり替えるなどの気遣いをするわけはないだろうから、きっと偶然なのだろうけれど──。

 校舎の外に出ると、浅利将臣がこちらに向かってなにが食べたいかと聞いてきた。特段希望はなかったので泰全を見ると、彼も曖昧な笑みを浮かべたまま硬直していた。分かる。陽キャに要望を聞かれても、容易に回答できない気持ち。分かるぞ──という気持ちを込めて泰全を熱く見つめると、彼はすこし焦った顔で浅利を見た。

「この辺りで、店知ってる?」

「ああ。定食でもいいならうまいとこ知ってるよ。一花に恭も、ざくろでいいよな」

「んァ!」

「やったァ」

 と、一花がピョンと飛び跳ねる。

 聞けば大学から十五分程度の場所にある、馴染みの定食屋なのだという。入学してわずか三ヶ月ですでに馴染みの定食屋があるとは、やはり侮れない人種である。

 とはいえ浅利将臣に限っては、奇人だけでは括れぬ妙な安心感もある。藤宮と一花のふたりに絡まれていたときよりも幾分か心が楽だ。ルックスも上々、人当たりも良く常識人でこれといった欠点は見つからない。僧侶見習いになる人間には、神が二物も三物も与え給うものなのか──と感心していると、浅利はにっこりわらって「さあ行こう」と南東に向かって踏み出した。

 直後、その腕をガッシと掴んだ藤宮が方向転換する。

「おまえ、日本が島国で良かったな。ここが大陸だったら『ざくろ』に行くまでにブラジルも経由することになるぞ」

「馬鹿にするな。国境越えた辺りでさすがに気付く」

「せめて県境で気付け!」

「アッハ……その脳内コンパス早く捨てればいいのに」

「…………」

 なるほど。

 と、おもわず吹き出してしまった。

 馬鹿にしたわけではない。安心したのである。浅利だけじゃない。藤宮も一花も、当初のインパクトこそ強かったが、会話を聞けばわけもない。すこしクセが強いだけのふつうの同級生なのだと。

 この瞬間から、私は彼らに対してすこし心を開くようになった。同時に、陰キャだ陽キャだといって枠にはめることの愚かさも反省した。

 私は泰全に顔を寄せて「意外といい人たちかもな」と囁いた。てっきりそうだな、という笑みを返されるかと思いきや、彼は曖昧に微笑むだけでなにも言わなかった。


 目的地『ざくろ』は、思った以上に大学の近くにあった。

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