第2話 四十崎ゼミ始動

 白泉大学文化史学科には、世の奇人変人が集まるという。

 この噂は入学後に聞いた。

 当初は「そんなまさか」と懐疑的であったが、入学から三か月経過した現在、首を痛めるくらい頷きたくなるほどには、その言い伝えに対して全面同意を表したいとおもっている。

 そもそも、教師からして変なのだ。

 すべからく研究者というのは変人である。しかしここの教授陣は輪をかけておかしい。ある人は研究に没頭するあまり三日ほど寝食をサボって講義中に立ったまま寝始めるし、ある人は腕を骨折した際に治療で使用した骨接ぎボルトを講義中に嬉々としてクラス中に回し出すし、ある人は唐突にサンスクリット語で講義を始めたかとおもえば、なにを言っているやら分からぬなかで勝手にひとりで笑い始め、しまいにはノリノリで踊り出した。

 講壇を見下ろす学生側からすれば、狂気である。

 そしてこの度参加することになったこのゼミの主もまた──おかしい。


「こんな酔狂なゼミに人生の貴重な時間を費やすおろかな君たちを、数年間指導していくことになった。四十崎獅堂あいさきしどうだ。どうぞよろしく」


 無造作にうしろへ流された豊かな黒髪、シワまみれのワイシャツとよれたネクタイ。渋く落ち着いた声色と、濃い隈の目立つするどい眼光。一見すると教授にすら見えないこの男こそ、我々ゼミ生がつき従うことになる主である。

 専攻は民俗学。

 若い部類ながら彼のしたためる論文は学問の芯を捉えているとして、界隈ではよく名の知れた骨太研究家だという。彼を知ってからまだ三か月程度だというにその変人エピソードは枚挙に暇がない。ゆえに、彼の存在だけでも例の噂の信憑性をじゅうぶん高めているだろうが、とはいえ噂はあくまでも学生についてである。

 案の定、学生のなかにも奇人変人は、いる──。


「では記念すべき四十崎ゼミのメンバーとなった諸君、ひとりひとりから自己紹介をいただこうか。じゃあそっちから」

 と、四十崎に指定されたひとりの女子生徒。

 いつも眠たそうに垂れた瞳とは対照的に、つねに微笑みを湛えるつつましい唇が印象的な彼女は、おもえば入学式当日から目立っていたようにおもう。

「はーい……じゃああたしから。古賀一花でーす。よろしくしてね」

 と、妙に気の抜ける声色で彼女はあいさつした。

 独特な可愛らしさも目立つひとつではあるが、もっとも大きな要因はつねにそばにあるとなりの存在だろう。一同の視線が彼女の隣に向けられた。まるで授業中とはおもえぬほど横柄にふんぞり返って座る、美麗の男──。

「────」

「おーい藤宮くん。キミだよ、キミ」

「────」

 彼は顎をあげた顔をすこし左にかしげて、テーブルを挟んだ対面に座る私を斜目からじっと見つめている。透きとおるような深緑の瞳に吸い込まれそうで、私はぐっと奥歯を噛みしめた。なにを見ているのだろう。いや、向けられているのは耳──か?

「フジミヤー」

「ああもう!」

 と、息が詰まるほど端正な顔をゆがめて、四十崎をにらみつけた。

 しかし准教授はひるまない。どころか、シッシッと手を払って「ジコショーカイ!」と再度うながす。

「うるさいなあ。恭太郎だ。きょうたろう。キョータロー! 覚えたか? だいたいおなじ学科なのにいまさら言う必要があるのか? いや、ないね!」

「じゃあキミ、対面の子の名前知ってるか」

 と、四十崎が唐突に私を見た。

 藤宮がぐるりとこちらを向く。先ほど向けられていた以上の眼力を前に、私はおもわず身を引いた。研究室内にただよう重苦しい沈黙──。やがて恭太郎はひょこりと肩をすくめた。

「知っているとも。つよしくんだろ」

「え」

「ちがった?」

「い、いや──そうだけど」

「ほうら見たことか!」

 といって鼻を鳴らすと、彼はようやく私から目をそらした。

 四十崎はオオ、とわざとらしく拍手をして藤宮に草臥れた笑みを向ける。

「古賀くんと浅利くん以外の名前を知っていたとは。すまんすまん、キミを見くびっていた」

「僕を見くびる? 寝言は寝て言え」

「俺いちおう教師なんだが──まあいいや、じゃあつぎ」

 といって四十崎はそのまま私に視線をスライドさせた。

「つよしくん」

「あ、っと。──並木剛です。どうも……」

 こういうのは苦手だ。

 むかしから、人に注目されていると言葉に詰まってうまく話せない。こんな不器用な自分が情けなく、大嫌いだった。しかし奇人変人というのはそもそも他人のどうこうに興味がないらしい。一花はあっけらかんとした笑顔で盛大に拍手をし、となりの藤宮はなぜか手のひらを額にぺちぺち当てて拍手代わりにしている。

 四十崎も適度に拍手をして、

「はいよろしく。じゃあそのまま隣」

 と私の右隣に目を向けた。

 はい、と背筋を伸ばすのが横目に見える。

「槙田泰全──よろしくお願いします」

 おだやかな自己紹介である。

 一花は変わらず盛大に、藤宮はぐっと身を乗り出して泰全を見つめながら、今度は机を叩いて拍手代わりにする。

「なんと。うちのゼミはこの四名のみだ。──すばらしい」

「アイちゃんってなかなか人気ないのねエ」

「そんなわけあるか。毎日キャーキャー言われて困ってるくらいだ」

「ほおーん」

 藤宮が耳穴をほじる。

 不遜な態度を横目に、四十崎はいつもの調子でつづけた。

「半年間はゼミ移動のインターバル挟んでるからっていうのと、今年は交換留学生の受け入れがあるから、人数を絞ったんだよ。うちのゼミには後期からひとり入ってくる」

「交換留学生? どこからですか」

 と、泰全が口を挟んだ。

「イギリス。とはいえ講義を受けるようになるのは夏休み明けからだ。多少の出入りはあるだろうが基本は五人態勢の少数ゼミ。ぜひ仲良く三年間過ごしてくれたまえ」

 四十崎はにっこりわらって一同を見まわすと、ひとしきりゼミの流れや卒業までのプロセスについて説明をはじめた。しかし私の耳にはほとんどの内容が入ってこなかった。仲良く? 三年間? このメンバーで?

 私はちらと藤宮を見る。

 なぜか、彼は私ととなりの泰全を見比べては口をすぼめたり、頬をふくらませたり、変顔大賞でもやっているのかとおもうほど百面相をした。泰全もそれに気が付いたのか、私の方へ身を寄せると彼に聞こえない程度の小声で、

「おもしれえな、彼」

 と耳打ちしてきた。

 おもしろい──おもしろいのか。

 いまひとたび、彼を見る。

 するとなぜかすん、と真顔にもどって四十崎の方へと顔を向けた。先生の話をしっかり聞くようなタイプには思えないので、おそらく私たちに飽きたのだろう。おかげで私もようやく四十崎准教授の話に集中することができた。

「──で、俺の専門は民俗学だが、なかでも各地に伝わる祭りについては興味深く見ている。うちのゼミは年次があがるにつれてフィールドワークも多くなる予定だが、とくに祭りには力を入れたいとおもってる。みんなも、興味ある祭があれば遠慮なく教えてくれ」

 祭。

 私のとなりで、泰全の肩が揺れた。

 おもわずそちらを見ると、彼もまた緊張した面持ちでこちらを見ていた。アイコンタクトはわずかな時間だった。話はすでに次回のゼミについての話題に移っている。

 数か月前の、泰全のことばを思い出す。


 ──あの日のシリョウモンから来るぞ。

 ──一昨年に龍二、去年に夏生が死んだ。

 ──ふたりの命日、あの日だったんだ。

 

 一昨年と昨年、あの日ともにいたふたりが死んだ。

 ならば──今年は?

 私は手のひらがじとりと汗ばむのを感じた。

 祭。タマフリサイ。

 

 今年もやっているのだろうか。


 私はこの時、遠い記憶のなかにあるかすかな神楽囃子を聞いていた。

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