十一話【進の贈り物、稲井の誘い】

 歩いて帰宅した俺に母さんが話しかけてくる。何か小言でも言われるのかと思ったが、小言の代わりに受け取ったのは兄さんの置き土産だった。俺がゲーセンから帰ってきたら渡すように言われていたらしい。


「今だから言うけどね」


 受け取って二階に上がろうとしたところで母さんが声をかけてくる。


 「あの子が中学生の頃『自分が東京かどこかの大学に行ったら、翔に部屋をあげてもいい』って言ってたのよ。翔が天井を青く塗った日だったかしら」

 

――今更そんなことを言われても困るじゃないか。



 ズシリと思いダンボール箱を自分の部屋に運び、中を覗いて驚いた。そこに入っていたのは何冊もの本と一枚の手紙だった。

 今時、しかも弟に手紙を送るなんて――半ば呆れながら読んでみると、内容はとてもシンプルだった。


『翔。お前が元気でやっているみたいで安心した。僕が高校で使っていた参考書と〈Colorful Bullet!!!〉の攻略本を置いていくから参考にしてくれ』


 その手紙の通り、参考書の上に妙にカラフルな本が置かれていた。どうやら新品のようだが、まさか兄さんは一回目の対戦の後にこれを買っていたのだろうか?

 それだけじゃなかった。兄さんの参考書はどれも俺にとってレベルが高いが、その中でも難易度が低い問題や、試験の際に役立つポイントなどが付箋を貼ってまとめられていた。

 さらに、これは笑えばいいんだろうか? 着衣水泳の方法を記した本や、猫の気持ちが分かるとうたう本まで入っていた。俺が川に飛び込んで猫を助けた話を聞いて、「これを読めばもっと上手に溺れる猫を助けられるぞ」と思って買ってきたに違いない。

 思い出した。兄さんは頭がいいのにコミュニケーション能力だけは乏しいのだ。だからこそ俺は兄さんの考えがよく分からなかったし、モテる割に兄さんに彼女ができなかったのもそれが原因だったのだろう。


「行動で示してくれるのはカッコいいけどさ……ちょっとズレてるんだよ、兄さん」


 口下手な兄さんだ。今度帰ってきたら、俺の方から話を振ってあげようかと思った。



 兄さんがくれた本にあらかた目を通した後、俺は胸の高鳴りを押さえながら携帯電話を開いた。稲井に勝利の報告をするためだ。

 ご褒美――ご褒美――俺が犬なら尻尾をブンブン振っているかもしれない。そうでなくても女子に電話をかける経験なんてほとんどなかったから緊張する。プルルルルと呼び出し音が鳴るたび「早く出て欲しい」という想いと「もう少し心の準備もしたい」という想いがせめぎ合う。


「――もしもし、天宮君?」


 稲井が電話に出た。原始人じゃあるまいし、電話口から彼女の声が聞こえることが不思議に思える。

 声色からしてブライトモードじゃなく通常モードの稲井のようだ。そりゃ家の中でコスプレはしないか。


「ありがとう。稲井さんのおかげで兄さんに勝てたよ」

「本当に? おめでとう!」


 大はしゃぎというわけではないが、自分のことのように喜んでくれる彼女の声を聞いて、ようやく特訓の苦労が報われた気分だ。しかも、お楽しみはもう一つ残っている。


「それでさ。あの、ご褒美って結局何をくれるのかな……?」


 なるべくさりげなく、欲しがっている気配を悟られないように平静を装って訊いてみた。


「そのことなんだけどね。天宮君、明日の午前中って暇?」

「えっ?」まさかデートの誘いだろうか?「う、うん! これ以上なく暇!」

「そ、そう? それならちょうど良かった。実は、一緒に行く人が決まらなくて迷ってたの。最悪、一人で行っても良かったんだけど」


 彼女がどこに行きたいのか知らないが、これはいよいよデートでは? 電話の向こうにまで自分の心臓の音が聞こえるのではないかと思うほど高鳴りが止まらない。

 しかし、俺が好きになったのはブライトで、稲井のほうはあくまでただのクラスメイトであって……誰が聞いているわけでもないのに変な弁解をしていると、稲井は思いがけないことを口にした。


「実は明日、〈Colorful Bullet!!!〉では初めての『レイドボスイベント』があるの。参加できるのは招待を受けたSランク以上のプレイヤーと、そのフレンド二人までなんだけど、天宮君も参加で決定ね」


 ああ、ゲームの誘いでしたか。そうでしたか。

 ホッとしたような、残念だったような……期待が外れた後というのは、どうしてこうも落胆が大きいのだろうか。

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