十話【弟の道、兄の道】

*  *  *  天宮翔  *  *  *


 この戦いで最優先すべきは、お化け屋敷を先に押さえること。だからこそ、俺はお化け屋敷を捨てた。

 セオリー通りの戦い方では、自分の上位互換である兄さんには勝てない。非効率的でも意表を突く奇策を講じたほうが勝率は高いと考えた。

 まず、兄さんがお化け屋敷に入ったのを確認して、時間稼ぎのために出入り口にインクを撒いた。そしてコーヒーカップのカップ部分を装置から外し、中に穂先を入れてたっぷりのインクを溜める。それをジェットコースターの座席に固定し、俺がお化け屋敷周辺でインクをばら撒いているように見えるようセッティングした。

 前回の対戦で兄さんに「お前の戦い方は単調で柔軟性に欠ける」と指摘された。だから俺はあえてセオリーを捨て、この状況を活かせる戦い方を考えた。

 そのおかげで、俺は兄さんの無防備な背中を捉えることができた。


「喰らえっ!」


 上段からまっすぐ縦に振り下ろした筆は、兄さんの後頭部から腰まで一本の空色の線を描いた。

 兄さんが振り向きざまに筆を振る。反撃を筆の軸で受け止めつつ、一気呵成に穂先を何度も突き出す。コーヒーカップの仕掛けにインクをほぼ使い切ったため、このチャンスを逃せばインク残量で勝る兄さんには絶対に勝てない。

 俺は兄さんに頭脳で勝てないが、単純な殴り合いなら互角以上に持ち込める。インクを塗ったことで兄さんのアバターの身体能力が落ちたのも大きい。呼吸をするのも惜しんで攻撃を繰り出し続ける。


「やるじゃないか、翔」不利な状況に立たされている兄さんが笑う。「あえてセオリーを捨ててリスクを取る……学ばせてもらったぞ」


 あろうことか、兄さんは自分の筆を手放した。

 俺の一瞬の混乱を見逃さず、自由になった両手で俺の胴体を抱きかかえてきた。


「うあっ⁉」

「うおぉっ!」


 兄さんは、俺も初めて聞く雄たけびを上げながら突き進む。俺の背後――その先にあるのは天色のインクが塗りたくられたお化け屋敷だ。


「くっそ!」

「おおぉっ!」


 インクまみれになった兄さんが、渾身の力で俺をお化け屋敷の中に放り込んだ。

 着地と同時にベチャッと粘性のある液体が体にまとわりつく。その直後、地面のインク溜まりに体が吸い込まれ、瞬きする間に俺の体はお化け屋敷の上空に飛ばされていた。

 まずい! 下を見れば、兄さんはホルスターから拳銃を抜いていた。武器を手放した以上、兄さんは温存していたCB弾三発で勝負を決めなければならない。

 パン! パン! パン!

 三連続の破裂音と共に天色の弾丸が上空に撃ち出される。俺が奈雲に勝利した状況に酷似しているが、今回は俺が撃たれる側だ。

 体の自由が利かない。一発目はゴーグルの横をかすめ、二発目は顔の前に出した左手に当たる。かろうじて防いだが、左手は銃弾の衝撃を受けて弾かれた。

 そして三発目は無防備になった額に――


「何っ⁉」


 額に当たる直前、俺は右手に握る筆を蹴り上げた。筆で防御するには間に合わないと悟り、それならばと体が勝手に動いた。弾かれた筆は俺の額を強く打ったが、CB弾を防ぐ盾となってヘッドショットを防いだ。

 ドスン! お化け屋敷の屋根に落ち、転がりながら地面に降り立つ。ちょうど目の前には、武器を失い、CB弾も撃ち尽くして完全に無防備になった兄さんの姿があった。


「完敗だ。僕の負けだよ」


 その言葉とは裏腹に、兄さんは晴れやかな笑みを浮かべていた。


「――うん。俺の勝ちだ」


 俺も拳銃を抜き、ゴーグルを外した兄さんの額に照準を定める。空色の弾丸が兄さんの額に撃ち込まれ、空色に染まった兄さんの体が弾けた。空色のインク溜まりを振り続ける雨が洗い流していく光景を前に、俺は雨雲に向かって罵倒した。「静かにしやがれ」と。


『ランクマッチ勝者、プレイヤー1「空色のショウ」おめでとうございます。これにて対戦を終了します。次回も良い戦いを』


 アナウンスと共に遊園地を覆っていた雨雲が晴れていき、雲の切れ間から光が差し込む。光の向こうに見える青空は空色にも天色にも見えた。


*  *  *  天宮進  *  *  *


 東京へ向かう高速バスの中に天宮進の姿があった。ゴールデンウィークの終わりが近いこともあり、バスはほぼ満席。通路側では太った中年男性が居眠りし、押しやられるように進は窓の外を眺めていた。隣で平和そうに眠る男、春の暖かい日差し、バスの小刻みな揺れ――この数日で精神的に疲労が蓄積していた進のまぶたが徐々に重くなる。

 彼が実家に帰省したのは暇だったからではなく、家族に自分の元気な姿――さらに言えば、東大生として余裕のある姿を見せるためだった。

 家族の誰も察していなかったが、進は天宮家の長男として常にプレッシャーを感じていた。それは中学生の頃に秀才として頭角を現し始めてから一層強くなった。

 進はそれを疎ましいとは思わなかった。何より怖かったのは、自分を自慢に思う家族を失望させることだった。だから両親には「東大生の優秀な息子」の姿を、弟には「誇らしい自慢の兄」の姿を見せてあげたかった。

 だからこそ、弟が高校の入学式をすっぽかしたり、ゲーセンにはまったりすることに自責の念を感じずにいられなかった。優秀な兄の姿が弟の劣等感を掻き立て、人生を狂わせている――その事実に弟との接し方が分からなくなってしまった。

 しかし、それはいささか間違いだった。彼は〈Colorful Bullet!!!〉を通して、到底敵わない兄に立ち向かう心の強さを手に入れつつあった。そして勝利まで手にした。

 自分と違う方向ではあるが、弟もいっぱしの男として目覚めつつある。そのことが兄としてたまらなく嬉しく、つい笑みがこぼれる。


「別にいいさ。お前のためなら、悪役だって」


 でも、せめて家に置いてきたものだけは受け取ってほしいな。弟の喜ぶ姿をまぶたの裏に見るうち、進は静かな寝息を立て始めた。

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