九話【ブライトの正体】
帰りのホームルームが終わった。
俺は璃恩の席に行き、タイミングを見計らって二人で教室を出た。数メートル先を歩く彼女の後ろ姿を見逃さないよう、かつ怪しまれないように尾行する。
「なんか、スパイとか探偵みたいで楽しいね」
隣の璃恩が楽しそうに囁く。不謹慎だが俺も同じような気持ちだ。もっとも、女子生徒の目をやたら引き付ける璃恩に尾行は向いていないなと悟ったが。
彼女が駅のホームに向かったので、俺たちも切符を買って後を追う。
「ああ、切符代が……」
悲しそうに財布の中を覗く璃恩に詫びつつ電車に乗り込む。俺たちを乗せた鈍行は穏やかな揺れを繰り返しながら淡々と南に向かう。
「まさか海まで行かないよな」
「翔ちゃん、今年の夏は海に行こうよ。海釣り教えてあげるからさ」
「それも楽しそうだな……おっ? 降りるみたいだぞ」
電車に揺られること約十五分。ホームに降りた瞬間、ここが高級住宅街の一角だと理解した。
彩華高校前駅周辺はごみごみした下町の雰囲気で、俺たちのような学生が馬鹿騒ぎしているのがお似合いの街並みだ。
それに対し、高架駅から見渡せる街並みは清潔感に溢れ、整然と並んだ家々は良くできたミニチュアのように感じる。一軒一軒の敷地は俺の家の倍ぐらいに広く、交通量が少ない割に歩道も車道も道幅にたっぷり余裕がある。ただ犬の散歩をしている人まで――むしろ犬までセレブに見えてきた。
「しょ、翔ちゃん……僕たち場違いじゃないかな?」
「ば、馬鹿! ただの風景に怯えてんなよ!」
ここが高級住宅街だろうがスラム街だろうが関係ない。俺たちは目的を再確認して、改めて彼女の後を追った。
そして駅から十分ほど歩いたところで、ようやく俺たちは目的地に着いた。
彼女の自宅は二階建てのレトロな洋館風の邸宅だった。白亜の壁に瑠璃色の屋根は
四角く切り揃えられた生け垣が周囲を囲む。敷地内には春らしく色とりどりの花々が咲き乱れ、甘い香りも微かに漂ってくる。
今は開け放たれている両開きの門扉の横には「稲井」と書かれた表札が掛かっていた。
「でも、驚いたなあ。稲井ちゃんがブライトかもしれないって。なんでそう思ったの?」
「詳しくは省くけど、大会中にブライトが赤面する場面があったんだ。普通は頬がほんのり赤くなる程度だけど、暗がりでもわかるほど赤くなった。少し前に稲井さんが同じぐらい赤面するのを見たんだ」
「ふうん。でも、それだけじゃないんでしょ?」
「二人で体育の先生から聞いたけど、稲井さんは昔交通事故で大怪我を負ったって話だろ。それで稲井さんが歩く姿とか意識して見てたんだけど、よく見るとちょっとぎこちないんだよな。大会に来ていたブライトも同じような歩き方だったんだ」
今思えば、彼女と一緒にいた男は人ごみの中を歩く補助のために付き添っていたのかもしれない。
「たしかに、僕も第一回大会のときにブライトを見たけれど、背格好も年齢も稲井ちゃんと同じぐらいだったかも。だけど、それなら学校で訊いてみればよかったんじゃない? 『君がブライトなの?』って」
「そうしたかったけど、稲井さんっていつも自分の席に座ってるだろ。そこに、良くも悪くもクラスで目立ってる俺たちが話しかけたりしたら、彼女に変な注目が集まるかもしれない。他人より赤面が顕著なことだって気にしてるかもしれないし」
「なるほど。ちょっと気にし過ぎな感もあるけど、やっぱり翔ちゃんは優しいね」
「……俺を赤面させてどうする」
「それで、稲井ちゃんの家を突き止めたわけだけど、ここからどうするの?」
――璃恩には言えないが、俺は稲井の家が知れただけでほぼ満足だった。
しかし、すぐに帰るのも付き合ってくれた璃恩に申し訳ないし、彼女がブライトだと確認する絶好の機会でもある。
「……なあ、璃恩。お前がインターフォン押せよ」
「えっ? それはちょっと……」
「なんでだよ! お前、今まで何度もクラスの女子の家に遊びに行ったことあるだろ!」
「それはそうだけど、僕みたいなオンボロアパートの住民には荷が重いってば!」
「……はあ、わかった。ここまで付き合わせたのは俺だし……やるよ」
ボタン一つに大げさだが、俺は意を決してインターフォンを押した。ここでは聞こえないが、彼女の家の中では来客を告げる音が鳴っているはずだ。
時間にして十秒ほど。心臓が早鐘を打つ俺にとってはもっと長い時間に感じたが、ガチャとゆっくり玄関の扉が開いていく。
まだ制服姿のままの稲井光亜が俺たちの前に姿を見せた。思えば、今日はずっと彼女の姿を見ていたのに、こうして正面から向き合うのは初めてだった。
彼女は少し警戒しているようで、扉に体を半分隠している。それも仕方ないか。同じクラスとはいえ、あまりしゃべったことのない男子二人がなぜか自分の家の前にいるのだから。
俺が黙っていると、璃恩が肘で小突いてくる。何か話しかけたらどうだと言いたいんだろう。
俺もそのつもりだったし、ここに来るまでに会話のパターンを何通りか考えておいた。しかし、いざ彼女を前にすると、大会で口走った爆弾発言を思い出して顔が熱くなってくる。
俺の表情を見て彼女も同じことを思い出したのか、俺に負けない勢いで顔を紅潮させていく。庭を挟んで、無言で顔を赤くする高校生二人の姿はさぞ滑稽だろう。実際、璃恩は何度も俺と稲井に視線を往復させている。
「……あっ、あのさ! 稲井さんって、もしかして……」
俺が恥じらいをこらえてようやく声を絞り出した、そのときだった。
「あのときのクソガキッ! どうしてここにいやがる!」
閑静な住宅街に突如響く怒号。
声のほうを向けば、目の覚めるような赤いボディの高級車が近づいてくる。左ハンドルの運転席から身を乗り出しているのは、先日とは髪型も服装も違うが、間違いなくブライトの傍にいた執事風の男だ。
「やっべ!」唖然とする璃恩の腕をつかんで引き返す。「逃げるぞ璃恩!」
「えっ? ちょっ、ちょっと待って!」
駅につながる緩やかな坂道を二人で駆けていく。あの男は俺を稲井から引き離すのが目的だったのか、車が追いかけてくる気配はない。
「翔ちゃん! 結局、稲井ちゃんがブライトか確かめられなかったね!」
「いや、あいつは間違いなくブライトだよ! あの男の登場で確信した!」
「えっ? あのやり取りのどこにそんな要素が?」
懸命に走りながら、俺は愉快でたまらなかった。自分を負かした同級生の女子の家を突き止め、謎の男に怒鳴られて知らない街を駆け抜ける――ほんの一か月前は自分がこんなことをするなんて予想もしなかった。
今回は言えなかったが、稲井に言いたいことがあった。「いつかお前に勝つ!」って。
大会出場前は、〈Colorful Bullet!!!〉は俺にとってただの楽しいゲームだった。しかし大会を通じて真剣勝負の勝利と敗北を経験し、何より
俺は『空色のショウ』だ。小さく縮こまった空じゃなく、どこまでも広がる無限の空になりたい。今は夕焼けに染まった空を見ながら、そう思った。
俺から事情を聞けずにふてくされる璃恩と別れ、帰宅したころにはすっかり日も落ちていた。家ではパートから帰ってきた母さんがちょうど夕食を作り終える頃だった。ただいまと言えば、フライパンに視線を落としたままおかえりと返される。
「ん?」
空になった弁当箱をシンクに入れていると、キッチンの微かな変化に気付いた。カレンダーの五月三日(土)に小さな印が付いていたが、今は大きな丸印で囲っている。
「母さん、三日って何かあるの?」
俺が訊ねると、母さんは笑顔を見せながら答えた。
「さっき電話があったんだけど、進が帰ってくるの。連休中に帰ってこられるかわからなかったんだけど、ようやく決まったみたい」
――兄さんが帰ってくる。俺はその事実をすぐには受け止められなかった。
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