三話【大会を前に】
「くっそぉ……璃恩の奴、ガチで強いじゃん」
俺はボロボロの精神状態で筐体から外に出た。こんなプレイヤーを見慣れているのか、外で待っていた大学生らしき男は俺に一瞥をくれるだけだった。
そもそも俺は駆け出しで最低ランクのC3。それに対し璃恩のランクはB1で、5ランクの差があった。勝てるはずがない。おとなしく練習相手として付き合ってもらうのが良かったか。
「璃恩はまだ出てこないな。ここで待つか」
薄暗い空間にミラーボールの照明が乱舞する二階フロア。大音量でラジオも流されているのでとても落ち着ける場所ではないのだが、フロアの三分の一は休憩スペースになっている。そこだけ蛍光灯の照明が明るく、自動販売機に椅子とテーブルも置かれているので多少マシだ。日によってはここでカードゲームに興じる猛者の小学生もいる。
休憩スペースに向かおうとした時、一階に続く階段から一人の中年男性が上がってきた。この年代の人が来るのも珍しいが、彼の手に数枚のポスターとガムテープが握られているのが目を引いた。
紫煙をくゆらせる男は上機嫌で、俺の前を通り過ぎると鼻歌交じりで壁にポスターを貼り始めた。半分白髪に染まった男の肩越しにポスターを見る。暗くて読みにくいが、ポスターの上部に大きく書かれた文字ははっきりと視認できた。
「『第二回 Colorful Bullet!!!大会開催!』だって?」
俺の呟きが聞こえたのか、男は振り返ってタバコを空いた指に挟んだ。
「少年、君も参加するかい?」
男の笑顔に「参加するんだろ?」という文字が貼りついているように見えた。
「えっ? いや……俺まだ初心者だし」
「だろうな、そんな顔をしている」男は無精ひげを撫でながら失礼なことを言った。「だが気にすることはない! これは祭りみたいなもんだから、勝ち負けなんて二の次よ! 参加賞だってあげちゃうぞ!」
随分ハイテンションなおじさんだ……正直めんどくさい。
俺とおじさんのやり取りに気付いたのか、フロアにいた大人たちが数人と、いつの間にか筐体から出てきた璃恩が近寄ってきた。
「璃恩、遅いぞぉ!」泣きつくような声が出てしまった。
「いや、ごめんごめん。電子マネーのチャージを済ませてたから……あっ!」
璃恩は男の姿を認めると、笑顔で会釈した。
「店長さん、こんにちは!」
「おいおい、璃恩君。もっと気軽に『
そう言ってハイテンションなおじさん――もとい、店長の遊治さんはアッハッハと大口を開けて笑った。
遊治さんはコンクリートの壁にポスターを貼りながら、集まってきた俺たちプレイヤーに向けて大会の内容を説明した。
開催日は三日後、四月二十七日(土)の午前十時。参加上限は三十名で、うち二名は第一回大会で優秀な成績を収めたプレイヤーがシード権を得ている。開催三日前というタイミングで告知したのは、〈Colorful Bullet!!!〉をよく遊んでくれている――つまりはライスボックスに足しげく通ってくれているプレイヤーを優先したかったからだとか。この場にいるプレイヤーは約十五名なので、今参加登録すれば確実に参戦できる。
「土曜日か。朝からバイトだから、残念だけど僕は参加できないや」
璃恩は『優勝賞金五万円!』の煽り文句を名残惜しそうに見ながら辞退した。
「翔ちゃんはどうする?」
「俺は……参加しようと思う」
つい先ほど璃恩に負けた悔しさのせいか、「もっと戦って経験を積みたい!」という想いが湧き上がっていた。俺の『空色』はこんなもんじゃない。それを証明したかった。
璃恩とのプラクティスを除けば、俺の対戦成績はCランク相手に二勝一敗。優勝はほぼ不可能だろうが、どうせ失うものもない。大会時のプレイ料金も店側の負担だし、無料で遊べるならむしろお得だ。
「そっか。頑張ってね、翔ちゃん! 何事も経験だし」
「……今の言葉、俺が負ける前提で言わなかったか?」
自分で分かっていても、他人に言われるとなぜ腹が立つのだろうか。
「あっ、ごめん。もし優勝したらおごってね。バイト先で祈ってるから」
「おう。ハンバーガー三つにポテトとシェイクも付けてやる」
そう息巻く俺を、璃恩だけじゃなく他のプレイヤーもどこか憐れむような目で見ていることに気付いた。
所詮、地方のゲーセン主催の小さな大会――そんな雰囲気とは思えなかった。
* * *
その翌日。
仮にスマホとSNSが普及していなくても、同じクラスの出来事はすぐに知れ渡る。昨日璃恩が女子二人に怒鳴った件はクラスメイトほぼ全員の知るところとなった。俺の想像だが、おそらくあの二人が事実に多少尾ひれを付けて積極的に広めたことだろう。
しかし璃恩の人徳か、クラスに中学以前の稲井を知る生徒がほとんどいなかったおかげか、璃恩は「いじめられている稲井さんを助けたイケメン」と高い評価を受けた。こいつの人生には向かい風を追い風にする機能でも搭載されているのだろうか。
そして自動的に、璃恩に慕われる俺まで株が上がっていく。『ザ・璃恩ズ』から問題の女子二人が去って代わりに三人の女子が加わり、そのうちの一人は俺にも気さくに話しかけてくれる。
「俺、お前と友達になれて良かったと思うよ」
「えっ? 翔ちゃん、急にどうしたの?」
今日の体育の時間は男子がサッカー、女子がテニスだ。俺と璃恩は同じチームで、フリーキック練習の順番待ちをしている。キーパー役じゃなくて助かったと心底ホッとした。
男子がいるグラウンドからはテニスコートが見えるので、女子たちがラケットを手にボールを追いかける姿が見える。
「あーあ、なんで体育の時間は男女別なんだろ」
「あいつ意外と胸大きかったんだな。ちょっと揺れてね?」
「おい、あんまじろじろ見んなよ! バレるぞ!」
男子たちがゲスい感想を述べる中、俺はテニスコートの一角が気になっていた。
色褪せた水色のベンチに稲井が座っていた。体操服に着替えてはいるが、ラケットもテニスボールも持っていない。ぼんやりと退屈そうに、クラスメイトがテニスに興じているのを眺めている。
「どうしたんだろうね?」
俺の視線に気付いたのか、あっさりゴールを決めてきた璃恩が声をかけてきた。
「後で体育の先生に訊いてみるか?」
「そうだね」
俺の番が回ってきた。思い切り蹴り込んだボールはキーパーの正面に飛んでいき、一歩も動かずキャッチされた。女子に見られていたのか、遠くから笑い声が聞こえてくる。
「……さすが翔ちゃん。キーパーの負担を軽減する見事なシュートだ」
「やめてくれ。何も言わないでくれ」
結局活躍が一つもなかったサッカーを終えると、俺たちは歌のお兄さんのように爽やかな体育教師に稲井のことを訊きに行った。これで見学の理由が「生理だから」と言われたら気まずいが――まあ、そんな理由ならそもそも教えてもらえないだろうが――すんなり教えてもらえた。昨日稲井を助けたのが先生の耳にも入っていたのが効いているようだ。
「稲井は小学生の頃、交通事故に遭ったらしくてな。かなり酷い怪我で、脚を切る寸前だったらしい。今は治っているし、幸い傷跡も残っていないらしいが、激しいスポーツは避けているんだ。ご両親にも確認を取ってある」
思いがけない理由だったが、納得する部分もあった。稲井は他の女子と比べると若干背が高く、肉付きは平均的だ。その割には、以前ぶつかった際には小さな子供のように軽く感じたし、昨日も女子がぶつかっただけで派手に転んでいた。踏ん張る力が弱くなっているのだ。
言いふらさないよう先生に釘を刺された俺たちは、礼を言ってから遅れて更衣室に向かった。
「ひょっとしたら、脚の怪我もいじめられてた原因だったのかもしれないね。良くも悪くも、人と違うっていうのは注目を浴びるし。怪我をからかう奴、気を遣われる稲井さんに嫉妬する奴……そんなのがいなかったとも限らない。しかも稲井さんはおとなしい性格っぽいし、ひたすら耐えていたのかもしれないよね」
窓から覗く空を眺めながら呟く璃恩。その目には、松葉杖をついて校内を歩く小学生の稲井の姿が映っているのか。それとも、母子家庭になって徐々に貧しさを滲ませていくかつての自分の姿が映っているのか。
俺は曖昧に「そうだな」と相槌を打つことしかできなかった。
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