第二章【黄色の女王】
一話【ユーレイ】
四月二十四日水曜日。
彩華高校に入学してから約二週間が経過した。入学当初のワクワク感はとっくに消え去り、全員が新たな学校生活に順応し始めていた。もちろん俺もその一人で、徐々に1年A組のクラスメイト一人一人の個性も見えてくる。特に目に付くことは二つ。
一つは、真面目な生徒と不真面目な生徒。偏差値的に県内平均レベルの彩華高校にはどちらも等しく集まってくるようで、「宿題を忘れたことなんてありませんよ」という優等生面の眼鏡女子もいれば、「えっ? 宿題なんてあったっけ?」という最初からやる気のなさそうなニキビ面の男子もいる。
そしてもう一つは、こちらのほうが重要なんだろうが、仲のいい生徒同士のグループが出来つつあったこと。入学初日に仲良くなったグループ、中学が同じだったグループ、この二週間で親睦を深めたグループ、それらの混合――これらのグループはまとまって学食に行ったり、机を固めて一緒に弁当を食べたりするので分かりやすい。
俺の属するグループを一言で表すと『ザ・璃恩ズ』になるだろうか。まずは俺と璃恩のペアが作られ、璃恩の容姿と人格に惹かれた女子が三人加入。その恩恵に預かるためか、璃恩と共にスクールカースト上位を狙うためか、男子も二人加入。つまりは璃恩を中心に形成された計七名のグループなのだが、当の璃恩はグループだとかスクールカーストだとかの概念には興味がないようで、勝手に周囲の人間が集まってきているだけという形だ。
そして俺は「あの人気者の璃恩が異様に懐いている得体のしれない男」という理由で一目置かれているらしい。俺たちのことを知る人間が少ない彩華高校だからこその評価で、気付いた当初は変に居心地が悪かったが、おかげでずぶ濡れイメージが忘れ去られつつあることには感謝した。
今日は水曜日。週の真ん中であり、七時限目まで授業がある唯一の曜日ということで俺たち生徒の疲労は一丁前にピークに達していた。よく先生たちは俺たちに疲れた顔を見せないなと舌を巻く。
さて。父さんや世の大人たちは家でぐったり過ごすところだが、俺たち高校生はもっとアクティブに疲労を吹っ飛ばす。
「翔ちゃん、一緒に帰ろー!」
先に帰り支度を済ませていた璃恩が疲れを見せない笑顔で寄ってきた。後ろには『ザ・璃恩ズ』の女子二人もついてきている。
「おう、璃恩。お疲れ様」
「お疲れ様って、大学生や社会人じゃあるまいし~」
「それで、今日も行くのか?」
「うん、もちろん!」
高校生になってまだ三回目の水曜日だが、俺と璃恩の間には「水曜日の放課後は一緒に遊びに行く」というルーティンが出来上がりつつあった。母子家庭の早乙女家には家計にあまり余裕がなく、璃恩が水曜日と日曜日以外はアルバイトで働いているためだ。
「あたしも行っていいー?」
「もちろん!」
取り巻きの女子二人の参加表明に璃恩が即答する。二人が璃恩目当てなのは当然なのだが、女子と学校帰りに遊びに行くというシチュエーションに俺は内心高揚していた。二人の顔を盗み見れば、ルックスは悪くない。ひょっとしたらどちらかと付き合うチャンスがあるかも……そんな妄想を抱きそうになった時だった。
「キャッ!」
女の子の短い悲鳴。つい最近全く同じ声を聞いたような。
声の上がった方向に顔を向けると、一人の女子が倒れていた。俺の隣の席の女子、
どうやら取り巻き女子の一人が突き出した腰にぶつかって倒れたらしい。しかし稲井を突き倒した女子は、彼女を一瞥しただけで謝ることもなく、再び璃恩に潤んだ瞳を向けるだけだった。
「おい、ちゃんと謝れよ」
稲井に謝罪一つない女子に怒った。璃恩が。
「……璃恩君、なに怒ってんの?」なれなれしく下の名前で呼びながら苦笑している。「あたしたち中学が稲井と一緒だったんだけど、この子、みんなからなんて呼ばれてたか知ってる?」
もったいぶる女子の言葉から逃れるように稲井はさらにうつむき、かけている眼鏡まで髪に隠れた。
「『ユーレイ』だったの。地味で存在感がないのよ。苗字が『稲井』だから『いない』って感じ?」
「こーゆーの『名は体を表す』って言うのよねー。あたし頭いいでしょ~」
二人の女子がケタケタ笑いながら稲井を見下ろす。
スクールカーストの中では地味でおとなしい奴ほど下位に置かれやすい。きっと稲井は中学時代、ひょっとしたらそれより昔からこんな扱いを受けてきたのかもしれない。
見るに堪えない。高校生活序盤でこれ以上波風を立てたくない……そう思っていたが、それは俺の『空色』を汚す。これで女子に嫌われても本望だと覚悟して、腹に力を込めた。
「そんな話関係ない! さっさと謝れ!」
激怒したのはまたもや璃恩だった。彼の豹変ぶりに二人の女子が唖然とする。
「はぁ? ちょっと、なに急にマジギレして……」
「さっさと稲井さんに謝れ! 頭を下げて!」
このままだと璃恩は二人を押さえつけてまで頭を下げさせるかもしれない。二人も身の危険を感じたのか「やっぱヤバいわ、このマザコン」「キモッ……」と毒を吐いてその場から立ち去った。
「……稲井さん、大丈夫?」
璃恩が二人の後ろ姿を睨んでいたので、俺が代わりに未だ倒れている稲井に手を差し伸べた。しかし彼女は俺の手を無視して自分で立ち上がると、スカートをはたいて荷物をかばんにまとめて俺たちに向き直り、小さな声で言った。
「ありがとう。でも」そこで一度息を飲み込む。「あまり余計なことはしないで」
それだけ早口で告げると、彼女は腰まで伸びる長い髪と膝丈のスカートを翻して教室を出ていった。
一瞬見えたレンズの向こうの瞳は濁っているように見えて、『ユーレイ』という彼女の蔑称を思い出してしまった。
こんなことがあったから、駅前に向かって自転車で走る俺たちの話題は自然と教室での騒動に関することになった。
「それにしても、璃恩があんなに怒るなんてびっくりしたよ。『女の子は大切に』がお前のモットーじゃなかったか?」
かつて奈雲を共に倒した俺に懐いている璃恩だが、基本的には女好きで、クラスメイトの女子たちに気軽にボディタッチすることも珍しくない。しかし下心がなく、友人としてプラトニックな付き合い方を心掛けている璃恩が「女たらし!」と軽蔑されることは一度もなかった。
身も心もイケメンな俺の友人は、前を見ながら苦笑いを浮かべた。
「正確には早乙女家のモットーかな。『女の子は大切に』っていうのは、僕が小学生の頃からママに口酸っぱく言われてきたことだから」
「それは知ってるけどさ。じゃあ、あの二人に怒鳴ったのはいいのか? もっと穏便に注意することだってできただろ?」
「僕の中じゃ、稲井さんを露骨に蔑んだ時点であの二人は『女の子』じゃなくなったよ。もっと醜い……ドロッとした何かだよ」
「なんだよそれ、抽象的だな」
「僕だって無条件で女子全員に優しいわけじゃないってこと! っていうか、この話題は気分悪くなるから終了っ!」
璃恩が自転車のハンドルから両手を放しバツ印を作る。自転車が左右に大きくふらついた。
「危ないからやめろって! それで、今日はどこ行く? 二週間前は一緒に味噌エビカツバーガー食べて、先週は本屋で立ち読み三昧だったっけ」
「じゃあさ、一緒に〈Colorful Bullet!!!〉遊ぼうよ! まだ一度も一緒に遊んでないじゃん」
「それもそうだな。よし、決まり!」
嫌な気分を振り切るように、俺たちはペダルを目いっぱい回してライスボックスに向かった。
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