夜のひるねをあなたと

のと

夜のひるねをあなたと

ペンケースにメモ用紙が入っていることに気がついたのは3限後の休み時間だった。



『福岡さんへ。一緒に夜のひるねをしませんか。今日午前1時に校門前で待ってます。三田より』



夜のひるねってなんだろう。午前?午後じゃなくて午前1時?



顔をあげて教室内にいるであろう三田さんを探す。



いた。いちばん廊下側の前から二番目の彼女の席は、窓側で最後尾の私の席からよく見える。


いつものように、真っ直ぐに背筋を伸ばして、綺麗なクリーム色のブックカバーをつけた文庫本を読んでいる。


寝ぐせのない艶やかなセミロングの黒髪に銀フレームの眼鏡をかけた色白の三田さんは、私が17年間生きてきた中で最も図書委員たるに相応しい図書委員であり、文芸部部員たるに相応しい文芸部部員だった。



三田さんは2年生ではじめて同じクラスになった。半年ほど経つが、選択授業のときに当たり障りのない会話をするくらいで、連絡先も知らない。


家庭部の幽霊部員である私と、いちおう文化部所属という共通点はあるが、本当に呼び出される心当たりがない。夜のひるねって何かのイベント?



分からないことだらけだが、不思議と怖さや気持ち悪さはない。


私の視線に気がついたのか、彼女は微笑んで小さく手をふった。


そのきれいな仕草に思わずドキリとして、メモを顔の辺りに掲げ、行きます、という返事の意を込めてゆっくり頷いた。




午前0時54分。



5分前行動をとる、とお互いがわかっているように、私達は校門前で落ち合った。



「来てくれてありがとう」


「うん。夜のひるねって何かのイベント?あ…眼鏡とった顔、初めて見たかも」


「夜に出掛けるときはコンタクトにしてるの。星や月が、よく見えるように」



文豪の小説に出てくる登場人物みたいだ、と思った。眼鏡のとき以上に美人だし、やっぱり三田さんは文芸部たるに相応しい。



「ずっと福岡さんとお話ししてみたいって思ってたの。コンビニでお菓子買って公園行こう」



まさか彼女から陽キャみたいなことを言われると思わず、やや面を食らった。私が会話の返事を考えている間に、三田さんは私の手を取りコンビニのある方向へ歩き出した。



えっナニコレ。



女子高校生が2人、手を繋いで深い夜の街を歩いている。補導される不安より、彼女の世界で息をしているというなんともいえない心地のよさの方が大きかった。


それぞれで精算をすませ、コンビニを出る。きちんとマイバッグを持参するあたり、三田さんらしいと思った。




公園に着くと、街灯から一番近い位置にあるベンチに座り、さっき買ったお菓子を各々口に含んだ。


「…」


「どうしたの」


異変に気づき、彼女は私の顔をのぞきこんだ。



「いや、チョコレートって、こんな美味しかったかなって思って。なんでだろう、甘くて、すごい美味しい」


時間帯のせい?今まで夜中にお菓子食べた事なかったからかなあ、と考えていると、三田さんが嬉しそうに笑った。


「今、それだけリラックスしてるってことなんじゃない?」



ほぼ話したことのないクラスメイトのポジティブ思考がなんだか面白くて、


「そうかも」


と、チョコレートを頬張ったまま相づちを打った。



「どうして私と話してみたいって思ったの?」



彼女が差し出してくれたクッキーを受け取りながら尋ねる。



一瞬、時がとまった気がした。それは、してはいけない質問だった、という空気ではなく、されるべき質問に至った、という緊張をまとった空気だった。



彼女は空を見上げて呟いた。




「ねえ、私達、サンドバッグになるために生まれてきたわけじゃないのにね」




その一言で、すべてを理解した。


すべてを理解したことを伝えるために、私はこう答えた。




「乗り越えられる試練しか与えないって、同じ痛みを味わった当事者なら、選ばない言葉だよね」




彼女の頬には涙が伝っていた。きれい。同級生の泣き顔、久しぶりに見たかもしれない。


ふと、いつもの夜とは違う感覚が身体に広がった。眠気がくるの、いつぶりだろう。



「夜のひるね」



「え?」



「ひるね、したい。膝枕してもらってもいい?」



さすがに引かれるかと思ったが、三田さんは「いいよ」と言って膝の上に広げていたお菓子をそっとよけた。


頭を預けると、ふわっと香水が香った。詳しくないが、明らかに三田さんのものではない、男物の香りだった。



目を閉じる。今日は帰ってから、昔同級生をいじめて自殺未遂まで追い込んだ話を繰り返し聞かされた。


『デブでブサイクだった。あんたはあの女に似てる』


母親のねばついた声が脳内に響く。大丈夫。大丈夫。大丈夫。物理的な痛みがないだけ今日はマシだったから。



三田さんが私の髪をなでる。



彼女の、こころの声が聞こえた気がした。


気がつくと私も目から涙がこぼれていた。



「どうせなら、サンドバッグじゃなくてぬいぐるみが良かったなあ」


自分の声かわからないくらい小さく呟く。



ほぼ会話はなかった。だけど、この時間が永遠に続けばいいのに、と思うくらい居心地のいい空間だった。





翌日、三田さんは何事もなかったように自分の席で本を読んでいた。ただ1つ、今までと違うのは、ブックカバーに流れ星のシールが貼ってあることだ。私が買ったお菓子のおまけについていたシール。祈りを込めて渡した流れ星。





またいつか、泣かない夜のひるねをあなたと。

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