角の欠けた黒茶色

 賢者シュリシス。人は彼のことをそう呼ぶ。

 だが、彼自身は自分のことを『攻略本こうりゃくぼん』と卑下していた。この地の者は「コーリャクボン」という言葉を知らない。

 しかし、この言葉を口にする彼はいつも苦虫を噛み潰したかのような表情をしていたために、決して良い言葉ではないのだろうと当たりを付けていた。


 実際にそれは事実で、何故そうまでして自身をおとしめるのかと言えば………。


「このスキルがチートに過ぎるんじゃよなぁ…」


 そう、彼は誰にともなく、いつの間にか癖になってしまった、少し不自然なお爺ちゃん言葉でそう独り言ちた。



 彼自身、いつからそうだったのか知らない。

 気がついたらそうなっていた。

 彼はよわい80に見える老齢の男性の姿をしており、皺苦茶しわくちゃな自分の身体に酷く驚き、混乱した。


 よく覚えてはいない。これより前のことを。

 それでも、何故か知識はあった。

 そして、その知識により明らかとした自身のスキルは多くが消滅しており、ただ一つだけ。

 見知らぬスキルがあるだけだった。


 名を『/add op』と言った。

 彼はその言葉の意味を知らない。だが、これが何なのかは知っていた。

 これは「管理者権限を付与するコマンド」だ。

 それはつまり、この世界を如何様いかようにも出来る。ということである。


 これに付随する知識があった。

 『/help』である。

 これはこの世界において使用できるコマンドの一覧を表示できる。そこには膨大な量があるが……それでさえ知識があった。


 したいことを思い浮かべるとどのコマンドが適切か分かるのだ。その結果、『/help』は使わなくなった。


 最初こそ、神にでもなったかのような全能感があった。すべてが思いのままになることが快感だった。


 真っ先に思い浮かんだのは空を飛ぶことだった。広い世界をこの目で見て、その風景を楽しんだ。


 のどが渇いたり腹が減れば、食べ物や飲み物を呼び出して食べた。食料として呼び出せるものは、調理前の食材に限らず、料理でさえ可能だった。ただ、品質はすべて最高であり、それら美食を楽しんだ。


 しかし、しばらくすると空中を移動することが面倒になり、食事を取ることが、喉の乾きを癒やすことが、排泄をすることさえ面倒になり、それを無効とするようにコマンドを打ち込んだ。


 それが出来てしまったのだ。


 そうやって彼は世界を冒険し、強い魔物を倒しては際限なくレベルを上げ……それさえ面倒になり、これ以上上がらないというところまで上げた。

 何もかもの自分の数値を一気に引き上げた。


 やれることが無くなるまでやり尽くした。

 精神的疲労が我慢ならなくなったところで、ようやく寝た。

 そうやってきたところで。


 やりたいと思っていたことをすべてやった後は、何もしたいことが無くなった。 

 何もかもを知り尽くした今、この世界への興味を失ってしまったのだ。


 つまるところ……『攻略本』である。

 それが彼の知る言葉の中で最も適切であり、皮肉も効いていた。

 彼は本では無いが、本と錯覚するほど受動的であるし、本と錯覚するほど読者にとって必要な情報を有している。


 だからこそ彼は賢者などではなく『攻略本』であった。


 それでも、彼のところに来る人々は絶えない。

 彼にとって価値はなくとも、彼らにとっては価値があったからだ。

 多くの人が彼のもとを訪れ、全てに答えを示してきた。機械的にそうやって何十年と経った頃。



 ある1人の年若い少女が彼の下を訪ねた。

 彼女は言った。

 ある異性のことが好きだと。

 彼を振り向かせるにはどうすればいいのか、と。


 賢者はありきたりな答えを返した。だが、それらは全てもう試したのだという。

 賢者はこれまでのデータから成功確率の高いものを上げた。その時はしのいだ。しかしそれでも駄目だった。

 賢者はその異性を検索して調べた。

 ゲイの気配があった。

 彼女に男になる覚悟はあるかと伝えた。

 コマンドを用いて、その人物の情報を編集出来たからこその提案だった。

 少女は心身共に少年となり、望みの同性と結ばれた。


 そんな風に、彼は時にその力を行使して人を導き続けた。この世の理不尽に立ち向かうと言えば聞こえは良いが、そんな殊勝な理由ではなかった。


 彼は単に暇だったのだ。自分のやりたいことが無くなったから、他人のやりたいことに手を貸すようになった。たったそれだけのことだった。


 だから、彼はあがめられることを酷く嫌う。彼はなんの苦労もなく、ある日突然降って湧いたいびつな能力を使っているだけだった。

 それはこの世に住む人々のことわりから外れたことだ、と。そう思っていた。


 理不尽に理不尽をぶつけているだけだった。それは決して自らの成果ではないのだ、と。


 そうやって今日も彼は賢者と呼ばれ、嫌な顔をする。嫌な顔をしつつも、願いは退しりぞけない。

 彼は確かに多くを救っていた。人々にはそれで十分だった。

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