ハエトリグサノ如シ

 四月、東京本郷の理化学研究所では軍学関係者が集い、一月に本州沖で発生した対潜掃討戦や探知網の実態について横須賀所属の将兵や技師から報告を聞いていた。


 南方作戦が一段落し、海上護衛総隊も人事異動があった為である。


 壇上では海洋物理学者の宇田道隆が、指揮棒とマイクを手にサウンドチャンネルについて説明していた。


「音を反射する層は季節にもよりますが中緯度で水深千m前後に存在し、水温が下がる高緯度に行くに従い浅くなります。


 地球サイズのトランポリンと考えて貰えれば理解が早いかと」


「という事は南方の浅い海では長距離探知が難しくなるのではないかね」


 傍聴者の一人、宇垣纏参謀長が挙手し発言した。


 彼は自分より頭の悪い人間への対応が酷かったので上官、部下問わず嫌われて追い出……暇だったのと三九年に紀淡海峡の対潜防衛演習を主催していた為、わざわざ上京したのである。


「仰る通りです。


 ですが日本の太平洋側には北は千島海溝から南はヤップ海溝、西は琉球海溝まで繋がってますから、一月の時のようにそれより東や南からやってくる潜水艦は音が減衰せず探知可能です。


 バシー海峡は最北海域以外詳しい情報が無い為探知距離、精度は落ちますが……」


「今は横須賀以外に聴音機はどの程度配備されているのか?」


 と、着任したばかりの大井篤参謀が尋ねる。


「昨年六月の実験以降、戦争突入に先立ち台湾海峡、次いで東シナ海に聴音機を敷設しました。


 台湾海峡の物は十二月、東シナ海は今月から運用を開始しています。


 小笠原諸島の工事は今月末までに完了予定で、他の海域は要員の訓練中で工事は梅雨明け以降になるかと」


「初島型だけでは足りんぞ」


「トロール船や延縄漁船を……」


 宇田の言葉に海軍、海保関係者から戸惑いの声が上がる。


 従来の聴音機は重要な港湾や海峡に敷設されている為、密度的にどうしても対応が遅れる海域があった。


 他にも探知範囲の増減は人員の慣れによる物も大きい為、配備後三ヶ月は探知範囲が二百海里以遠に到達する事はない。


 尚、海軍技術研究所は二・二六内閣襲撃未遂事件への対処で軍部が昭和帝の怒りを買ったあおりを受け、陸軍技術研究所共々三六年に解体。


 理研に吸収された。


 「潜水艦、もしくは航空機が敷設する機雷については?」


 機雷実験部所属の田村大佐の問いに、電気通信研究所助手で、古野電気に技術協力していた岩下光男が立ち上がった。


「訓練された人員が居る管区であれば潜水艦の推進音や注水音、又は投下音で探知可能ですが、確実に固定されている訳ではないので現場海域では木造船を走らせるか魚群探知機で探知する予定です。


 周波数により精度が変動しますが、機雷も反射し難い形状をしていない限り事前探知可能かと」


「そうか……」


 田村は理研に関わって以降米潜が大戦後半から装備するソナーの性能について知っていたが、主に九州方面から普及し始めた魚群探知機については未だ知らなかった。


 「二百海里先で探知されたのは旧型の潜水艦だが、現役の潜水艦の更なる静音化は可能か?


 機械のネジ止め箇所だけでなく通路にもゴムが敷いてあると聞くが」


 潜水艦勤務経験のある岡軍務局長の問いに、呉工廠から出向中の辻技師が答えた。


 「呉工廠の辻です。


 東芝や東電化学と協力して開発した低騒音電動機を搭載した伊二〇一型潜水艦を三月に起工済みです。


 米英の今後の対潜能力向上を考えますと、既存艦の改良より水中高速潜水艦への更新が急務だと考えます」


 その後も質疑応答が続き、会を終えた宇垣は戦藻録にこう記した。


「我ガ国ノ海溝ハトランポリンデハ無クハエトリグサノ如シ」


 ※開戦前に潜高型を建造するには第七十一号艦の建造も前倒しせねばならないので……。





 


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