雌伏の時 その一
藤本が渡航準備に大童だった頃、浩達は東北帝国大学に出勤していた。
兄弟は理化学研究所に籍を置いていたが理研は全国に研究拠点があり、その内の一つが東北帝国大学だったのである。
浩は工学系だったが製図しようにもCADが無かった為ドラフターを開発。
亮平はアルゴン、窒素等の不活性ガスとヨウ素を充填したハロゲンランプを酸素を製造していた三菱重工や電球製造のノウハウを持つ東芝と協力して実用化。
外貨と各種技術開発の種銭を稼いでいた。
「お二人にお客様がいらっしゃいますよ」
「誰?」
「日本製鐵の三鬼隆さんと永野重雄さんです」
事務員の一言に急いで応接室に向かうと、中には見知った顔があった。
「お待たせしました……あっ、村上教授」
来客の応対をしていたのは村上武次郎博士だった。
浩の声に振り向いた二人は苦笑していた。
「いやいや、連絡も無しに来たからね。
立っているのも何だ、座りなよ」
二人が腰掛けると三鬼は話を再開した。
「昨日まで大湊に居たんだって?
疲れている所に済まないね。
今日は
「と、仰りますと?」
浩の疑問に三鬼はやや申し訳無さそうな表情を浮かべ、亮平に顔を向けた。
「亮平君が去年言っていたLD転炉だったかな?
十気圧程の圧力で純粋な酸素を炉に吹き込むという」
「はい」
「原理は分かるし電球の実績もあるから導入は決まったけども、日本は平炉が多いから稼働には後二年は待って欲しい。
それと君達が主張するオーストラリアからの鉄鉱石の輸入は外務省と商工省、大蔵省の反対で潰れた。
満洲で鉄が採れるのに他所から鉄鉱石を買うのは如何な物かと言って来てね。
君達の言っていた場所から石油が出たから資源探査能力はあると分かりそうな物だし、海軍は最悪石油代の外貨を充てれば良いと購入に賛同していたんだが……。
僕らの力不足だ、済まない」
三鬼はそういうと、永野と揃って頭を下げた。
「顔を上げて下さい!」
亮平の声は震えていた。
地元の偉人であり、後の日本経済界を背負って立つ男が頭を下げる姿なぞ見たくなかったのである。
「鉄鉱石の品位が半分に落ちるのは痛いですがそれでも今まで通りですし、輸入もあくまで”可能なら”という話ですから」
「そうか……精錬後の設備と塩釜の造船所は拡張するし他に出来る事があったら言ってくれ」
三鬼はそういうと部屋を後にした。
「送ります」
「外に車を待たせてあるから良いよ」
ドアの閉まる音を聞きながら兄弟は顔を見合わせた。
「困ったな……」
「ああ……」
「何だか穏やかな様子じゃないね。
品位が半分とか言ってたが」
と、村上博士。
「満洲で採れる鉄鉱石は純度が三〇から三五%なのですが、オーストラリア産は凡そ五七から六五%。
今現在の日本の粗鋼生産量がアメリカの十五分の一に満たないので、追いつくには高品位の鉄鉱石で量を稼ぐのが手っ取り早いのですが……」
「鉄が安くならんのは困るな……」
村上は浩の言葉に渋面を作った。
村上は理研の三太郎の一人、本多光太郎らと共に現在最高の磁力を持つ新KS鋼磁石を開発。
個人ではステンレスの研究開発を行っていたが、ステンレスは価格が通常の鉄の倍もするので価格変動は死活問題だったのである。
「今釜石線で導入中のブレーキシステムが普及すればほんの少し輸送量が増えますから、LD転炉と併せて今は我慢ですね」
乗り心地に閉口した兄弟の発案で、鉄道省に掛け合い釜石線に電磁自動空気ブレーキを導入。
各路線で試験されていたが何故か採用に至っておらず、従来は定常運行されている物は十二両編成が限界の所を十六両編成も可能とあって陸軍の後援を受けたのだ。
「船の制御にも使えるんですが、まずは陸で不具合の洗い出しですね」
来年は第四艦隊事件も控えてますからすぐに載せて巻き添えを食う訳にも行きませんし、と浩は言った。
「制御といえば浩君、ロボットの出来はどうなってる?」
「未だ仮組みのままです」
「そうか。
くれぐれも怪我には注意するように」
「はい」
浩はドラフター開発後、産業用ロボットの開発に取り組んでいたのである。
※……ハロゲンランプは一九五九年に米国のGEが発明。
世界最古の産業用ロボットは一九三八年に登場していますが、モーターの磁石には新KS鋼が使われていました。
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