読書部の謎解きディスカッション

くろすけ。

第1話

 

「犯人はあなたです!」

 目の前で指を指された男は、動揺を隠せないようで、しきりに後頭部の髪を掻きむしっていた。


 ・・・・・・ページを捲る手が、止まらない。

 まるで自分が、この物語の主人公になったかのように心臓の鼓動は高鳴っている。


 「————ありがとうございます。本当に、もしあなたがいなかったら、私は今頃あの犯人によって、殺されていたかもしれません」

 両手を胸に当て、小さく頭を下げようとする彼女の言葉を、その男は遮った。

 「お礼など不要ですよ。私は私の正義を貫いただけですから」

 そう言って深く黒いハット帽を被り直して、男は彼女に小さく微笑んだ。



 ・・・・・・僕も、いつかなれるかな。

 パタンと閉じた文庫本を机の上に丁寧に置き、ベッドに仰向けになった。

 まだ鼓動が治らない。

 ・・・・・・なりたいな。こんな風に、誰かを守れるヒーローのような、そんな名探偵に。




 ————キーンコーンカーンコーン。

 慌ただしく校内を駆け回る足音や友達同士の談笑を聞き流しながら歩いていると、いつの間にか目的地に到着していた。

 ポケットに突っ込んでいた右手を出して、目の前に設置されたドアをノックすると室内から可愛らしく甘えたような女の子の声が聞こえてくる。

 「はーい、あなたぁ〜 鍵は開いているわぁ」

 物凄く気持ちの悪い猫なで声に西山東輝は、一瞬で入室する気が失せてしまい、回れ右をしそうになったが、責任者の自分がいないのはまずいと思い直し、溜息をつきながらもドアを開けた。

 「おかえりなさぁい、ご飯にしますぅ? お風呂にしますぅ? それと————はぶっ!」

 目の前に立ち、腰をクネクネと動かしながら、上目遣いでこちらを見つめてくる女の子の顔面に、自分の持っていたカバンを押し付け、口を無理やり塞いだ。

 「フガッ! もっ! 先輩っ! ちょっ————」

 「毎回毎回、よくやるなお前は」

 東輝は左手で自分のメガネの位置を直しながら、カバンをそっと放してやった。

 「ぷはっ! あぁー、死ぬかと思いましたよ東輝先輩! もうっ、愛する後輩になんて仕打ちを!」

 そう言って北野南は、赤い顔でほっぺたを膨らませている。

 学校指定のブレザーの制服を着用した彼女は、身長が小柄で東輝の胸元くらいまでしかなく、ぱっちりとした目にロングヘアーを一つ結びにしている、その姿は中々の美人さんなのだが・・・・・・中身が見ての通り、残念な子だった。

 ————本当に、人は見かけじゃねぇな。

 人生においての教訓を知った東輝はそんな南を無視して、十畳ほどの広さの室内中央に置かれた長机に座り、カバンを置いた。

 ここは東輝が通う学校の化学準備室である。

 入ってすぐ右側の壁にはホワイトボードがあり、今はそこに南が悪戯書きをしたらしい『東輝LOVE』という文字がでっかく書かれている。

 左側の壁には、様々な薬品の瓶や実験で使う道具などが置かれている木製の棚が壁一面に設置されており、その中には何やらドクロマークのシールが貼られた謎の瓶などもあって大変怖いエリアだ。

 放課後に、わざわざこんな薬品臭い場所に来た理由は簡単で、東輝が所属している部活動の活動場所だからである。本当は場所を変えて欲しいと、何度も顧問に打診はしているのだが、「他に場所が無い」と断られ続けて、今やもう諦めている。

 「————先輩! 私を無視しないで下さいよー」

 いつの間にか向かいの席に腰を下ろしていた南が、机を両手でバンバン叩いていた。

 「あぁ、おはよ」

 「もう放課後です! こんにちはです! 先輩!」

 「こんにちは、南」

 「相変わらず、先輩はクールですねぇ。そこが愛しいのですが!」

 「あっそ」

 そう言いながら、側に置いていた自分のカバンの中から、一冊の文庫本を取り出し始めた東輝を見て、南は慌てたように手をパタパタと動かし始めた。

 「待って下さい! いきなり読書タイムですか? もう少しおしゃべりしましょうよぉ、先輩ぃ」

 「あのな、俺達の部活動は何だ?」

 「はい、読書部です!」

 「活動内容」

 「はい、自身が持ってきた本を読み進める事です」

 「よし、では活動開始————」

 「わぁ~ん、先輩のイジワルー」

 他の生徒から見れば、ただ暇を潰しているように見える部活だが、一冊本を読み終えるごとに読書感想文を書かなければいけなかったり、秋の文化祭では文集を作ったりして、割と大変な部活動だ。今まで部員は、西山東輝しかいなかったが(普通は廃部になるのだが、何故か顧問が手回しして難を逃れた)今年の春に、新一年生の北野南が入部した事によって、今年の文集作りは少しは楽になるかと思っていたのだが・・・・・・。

 「南、三年の俺は来年には卒業して、この読書部からいなくなるんだぞ。もっと真面目に活動しねぇと、これから大変になるぞ」

 「えぇー、二人しかいないのに、先輩がいなくなったら寂しいです! あっ、あと二年間卒業を伸ばして下さい! そうすれば、二人仲良く卒業できますし!」

 「・・・・・・」

 「わっ! 黙って読書に戻らないで! 先輩ぃぃぃぃいいい」




 それからしばらくの間は、ブツブツ文句を言っていた南だったが、自分の持ってきた本のページを開くと途端に集中して読み進めていた。なんだかんだ言っても、彼女も本好きであるという事を東輝も分かっているので、この後輩を嫌いにはなれなかった。

 ————まぁ、鬱陶しい時は、本当に鬱陶しいが。

 そんな事を考えていると、ふと顔を上げた南と目が合ってしまう。その瞬間、彼女は嬉しそうにニコニコして持っていた本を閉じて机の上に置いた。

 「そんなに見つめられたら、照れちゃいますよぉー、もうっ」

 別に見つめていたわけじゃない。という言葉を飲み込んで、視線を落とし物語に戻ろうとすると、向かいの席から南が顔を近づけてきた。

 「何だ」

 「そういえば先輩って、推理小説好きですよね?」

 「ん、あぁ」

 小学生の頃に初めて読んだシャーロックホームズで、推理小説の魅力に取り憑かれてしまってからというもの、東輝は毎日のように推理小説を読み漁るようになってしまっていた。

 物語に登場する探偵と同じように事件を推理して、自分の考えた答えが合っていた時の達成感は、何とも言えない極上の喜びだ。

 そんな自他共に認める推理小説バカの西山東輝と、この後輩北野南の出会いも実は、この学校で実際に起きた、とある事件を東輝が解決した事によるものだった————。

 「そんな推理小説好きの先輩が気に入りそうな、ちょっと面白いお話があるんですよー」

 「面白い話?」

 「そうなんです! なので、たまには部員同士、親睦を深めるために私の話を聞いてくれませんか!」

 「別に、親睦なんか深めなくていいよ」

 正直、今読んでる短編の推理小説のオチが気になって仕方がないので、早々に物語の世界へ戻りたい。

 「えぇー、ひどいですよー。私は東輝先輩と、もっと仲良くなりたいんですぅ! 先輩も、私ともっと仲良くなりたいでしょう?」

 「・・・・・・え?」

 「え? って、傷付く! 私も傷付きますよー、わぁ~ん」

 「・・・・・・」

 まぁ、確かに自分はこの後輩、北野南という女子の事をよく分かってはいない。いつもテキトーにあしらって、それで終わりだ。

 手元の文庫本と、目の前で今にも泣き出しそうな女の子を、交互に見つめた東輝は小さく息を吐いた。

 「ハァ」

 目の前で「パタン」と文庫本を閉じた姿を見て、南は目を丸くして驚いていた。

 「分かった、たまには付き合ってやるよ」

 頬杖をつきながら、ぶっきら棒に言ったその言葉に、南は物凄く嬉しそうに、はしゃいでいた。

 



 「————で、何の話だ?」

 しばらく目の前で小躍りしていた南だったが、やっと落ち着きを取り戻し、今は向かいの席にちょこんと座っている。

 そんな彼女だが、黙っていると本当に小動物のような可愛らしさがあるなぁ、などと思っていると、南は突然右手の人差し指をピンッと立て口を開いた。

 「〝推理ゲーム〟なんてどうですか?」

 「推理ゲーム?」

 両手を膝の上に戻した南は、小さく頷く。

 「実は、今日の五時間目に、私達のクラスで行われた小テストで、ある事件が起きたんです」

 「ある事件?」

 「はい。まぁいわゆる〝カンニング〟ってやつなんですけど」

 「カンニング? まぁ事件といえば事件だが————」

 どこの学校でも、その手の話はよく聞くし、受験とかの大きな試験ならまだしも、学校の小テストくらいで事件というのはどうだろうか。

 などと東輝が思っていると、その心を見透かしたように南は首をゆっくり横に振っていた。

 「ただ、本当にカンニングを〝したかどうかが分からない〟ので先生が、犯人に説教が出来ないんですよ」

 「どうゆう意味だ? したかどうかが分からない?」

 「犯人は特定出来てるんです。うちのクラスのバカ丸出し三人組の猿谷、犬山、鳥本なんですけど」

 酷い言われ方をしているので、ツッコミを入れようかと思ってしまったが、とりあえず南の話の続きを聞くことにする。

 「鳥本って奴は、この中で一番頭が良くて、他のテストでもいつも80点以上を取ってるんですけど、他の二人はバカで赤点常習犯。この前は5点なんてのもありました。でも今日は三人とも87点。三人とも同じ点数なんですよ! これ絶対カンニングですよね?」

 なるほど、その話を聞くと確かにカンニングの可能性は高い。おそらく鳥本という生徒が他の二人に手を貸したのだろうけど。

 「点数が出てるって事は、テスト中にはカンニングがバレなかったんだよな」

 「そうなんです! 採点をしたら三人とも同じ点数だと判明して、先生も怪しんでいたんですけど、本人たちは『やっていない』の一点張りで」

 最初はつまらなそうだなと思っていたが、中々面白い事件だった。一体どうやって先生や他の生徒の目を盗んで、カンニングを成功させたのか?

 段々と推理小説好きの血が騒いできていた————。

 「ん、何だ?」

 気が付くと、南が東輝を見ながら微笑んでいた。

 「いいや~、先輩が楽しそうなので、私嬉しくって!」

 ————まずい、顔に出てたか。

 一旦深呼吸をして、自分を落ち着かせると東輝は椅子に座り直し、姿勢を正した。

 「・・・・・・まぁ、暇つぶしにはなりそうだな」

 「でしょ? お互いに意見を出し合って、答えを導きましょうよ!」

 左手に付けた腕時計を確認すると午後五時を過ぎていた、完全下校時刻まで約一時間というところだ。

 「とにかく、テスト中の出来事を、なるべく詳しく話してくれ」

 「了解です! 先輩!」

 



 朝のHR時、北野南のクラス担任、鬼沢桃太先生から放たれた一つの連絡事項で教室全体がざわめいた。

 その内容とは、今日の五時間目の数学の時間に抜き打ちの先生オリジナル小テストを行うというもの、しかも赤点だった生徒は放課後に補習があるというオマケ付きだ。

 連絡が終わった先生が教室を出て行くと、あちこちから不満の声が上がっていたが、その中でも一番声が大きく騒いでいたのが例の三人組だった。

 「オォー! マジかよ! 何で、何で・・・・・・今日なんだぁぁぁああ!」

 猿谷はその場で飛んだり跳ねたりしながら、絶望的な声を上げている。そんな様子を見ていた犬山が自慢の長髪を搔き上げながら声を掛けた。

 「おいおい、頼むぞ猿谷、我々には今日発売されるゲーム【軍隊野郎共Z】を入手し、協力プレイで遊ぶというミッションがあるのだ、失敗は許されないぞ」

 「わーってるよ! てかお前も、馬鹿なんだからもっと焦ろ! この軍隊マニア! あぁあああ! どうすっかなぁ! なぁ鳥本、何か良い案ねぇか?」

 「えっ、いきなり、い、言われても」

 小さい体をいつもプルプルと震わせている鳥本は、怯えたように猿谷に応えていた。

 ————あぁ、うるさいな、こいつらは。

 そんな三人組のやり取りを見て、すぐ後ろの席に座っている北野南は小さく溜息をつく。

 ちなみに南は、数学は割と得意な教科なので余裕で五時間目を迎えられる、というよりも大事な放課後の、愛しの東輝先輩との時間を、補習なんかに絶対に邪魔させない。

 そんな南が不敵に笑っている席の前では、三人組の話し合いがまだ続いていた。

 「————んっ? どした、犬山」

 「私に、いい作戦がある。二人とも、よく聞くんだ」




 そして問題のテストの時間が始まる。

 南のクラスでは小テストの際、席順をくじ引きで決める事になっている。この時の三人の配置は、鳥本が左手前方の窓際、猿谷が右手出入り口側の列の中程、犬山が猿谷の左斜め後方の席となった。ちなみに南は全体が見渡せる教室中央の列の一番後ろの席になっていた。

 試験開始の号令が掛けられ、室内はペンを動かす音だけがしばらく耳に入ってくる。

 問題は全十問と短かったが、軽い証明問題などもあって、中々時間が掛かりそうなテスト内容だった。

 南がそんな証明問題に手こずっていると、いきなり静寂を打ち破るように猿谷が立ち上がり手を上げる。

 「先生! 俺、トイレに行きたいっす!」

 「何? 我慢は」

 「無理っす! やばいっす! もうそこまで来てるっす!」

 「わっ、分かった! 静かに行ってこい」

 「うっす!」

 許可をもらった猿谷が教室から出る直前、一人離れて座っている鳥本の方を見た気がしたが、この時は気のせいかと思った。

 その後、猿谷が教室に戻ってくると今度は「コンコン」と小さく机を叩く音が聞こえ始めた。なんとなく気になり、誰だろう? と辺りをキョロキョロ見渡してみたが、南の席からはどこで鳴っているのかはよく分からなかった。継続的ではないし、本当に薄っすらとしか聞こえてはいないが、さすがに何度目かの音がした際には先生が「おーい、うるさいぞー、誰だ?」と注意をした。

 すると音が止み、ようやく落ち着いて問題に挑めると思ったその時、一人の男子生徒が手を挙げた事によって、再び南は集中力をそちらに奪われてしまう。

 「どうした? 犬山」

 犬山はピシッと右手を挙げつつ、左手で自慢の長髪を掻き上げる。

 「申し訳ありません、鬼沢先生。私が現在使用しているシャーペンの芯が切れてしまいまして」

 「おっ、おう。それで?」

 「つきましては、替えの芯を後ろのロッカーに間違えて仕舞ってしまったようなので、取りに行く許可を頂きたいのですが」

 ————もう、うるさいなぁ。

 集中力を何度も乱されているせいで、南のイライラゲージはどんどん上がっていた。

 これでもし補習になってしまった時は、どうなるか、分かっているんだろうな?

 そんな怨念は、さすがに彼らに届くはずがなく、鬼沢先生が椅子から立ち上がる。

 「あぁ〜 いや、俺が取ってやる。お前もカンニングを疑われたくないだろ?」

 「ありがとうございます。お願いします」

 先生はメンドくさそうに歩き出し、犬山のロッカーの中を調べ始める。

 ちょうど南の背後で先生が「あれ? 無ぇなー?」と探している最中、なんとなく顔を上げてみると猿谷と犬山が鳥本の方へ顔を向け必死に何かを伝えようとしていた。

 何をしているのだろうと思っていると、やっとシャーペンの芯を見つけた先生が「あった、あった」とロッカーを閉めた音が聞こえたので、猿谷と犬山はすぐに元の体勢に戻っていた。

 試験開始から二十五分ほどが経過し、残り時間が少なくなってくると、少しでも解答を埋めようと必死でペンを動かす者や諦めてふて寝を決め込む者、窓の外を口を半開きにして眺めている者などがいる中、突然、鳥本が咳き込み始めた。

 「ゴホッ・・・・・・ゴホッゴホッ!」

 「おーう鳥本、大丈夫か?」

 「ゴホッ! ・・・・・・あっ、はい。すみません、だっ大丈夫です」

 「全く、今日はやけに騒がし————」

 ————キーンコーンカーンコーン。

 授業終わりのチャイムが校内に鳴り響くと、後ろから解答用紙が集められ、先生の手に渡っていく。

 「よし、じゃあ帰りのHRにテストの返却をするからな。赤点取った奴は、そのまま補習だから覚悟しておけよ」

 生徒たちの不満気な表情に見送られながら、鬼沢先生は教室を後にした。




 「なるほどな」

 目の前で静かに、南の話を聞き終えた東輝は、腕を組みつつ背もたれに体を預け天井を見上げていた。

 「カンニングをした事は、間違いないんですよ! テスト中の三人の怪しい行動が証拠です!」

 「分かんねぇぞ。もしかしたら必死にヤマを張って、それが見事に的中したのかもしれないだろ?」

 「・・・・・・」

 「分かってるよ。それでも三人が同じ点数になることなんて、ありえないって事はな。可能性を潰しているだけだから気にすんな」

 両腕を目一杯天井に伸ばしながら、欠伸を噛み殺した。この夕方の時間というのは学生にとって、いや、人類にとって一番睡魔に襲われる時間だろうと、別の事に思考が移りそうになったので、目の前に座る後輩に話を振る事にする。

 「んで、南は何か思いつかねぇか? 一応その場に居たんだから」

 東輝の質問に南は待ってました! と言わんばかりに、ニコニコしながら答えてくる。

 「ふふん、私が思うにですよ。猿谷がトイレに立った時が怪しいと思うのですよー」

 「ほう。で、具体的には?」

 「トイレに行ってしまえば誰にも見られる事なく、鳥本と連絡が取り合えるじゃないですか! 例えば・・・・・・スマホとかで」

 割と良い案だった。今のスマホはサイレントモードでメールなどを受信した時の音も消せるから、隠れて何かをするには持ってこいのアイテムだが。

 「猿谷がトイレに行ったのって、始まってどのくらい時間が経った時だ?」

 「んっ? えーと五分〜十分くらいだったと思います」

 「そんな短い間に、鳥本は問題を全部解けるのか?」

 「あっ」

 「おそらく解けて二、三問だ。それじゃ、高得点は取れねぇよ」

 先に問題の内容を知っていたなら余裕だろうけど、それなら初めから三人が、それぞれ暗記すれば連絡を取り合う必要も無い。

 猿谷が、トイレに篭って問題の答えをネットか何かで調べる可能性もあるが、それではあまりにも時間が掛かるし、南達のクラス担任のオリジナルの問題じゃ、余計に調べるのが困難だろう。

 という事で、この案は却下になった。

 自分の意見を見事に打ち砕かれた南は、ムスッとした表情のまま頭を机の上に乗せてしまう。

 ————ゲームなんだから、そんなにムキになるなよ。

 「そういえば、机の中とかはどうなってたんだ?」

 そんな彼女の雰囲気を変えるために、東輝は思い付いた事を口に出してみる。

 「はうー えっと、空でしたよ。自分の持ち物は全て後ろのロッカーに仕舞うことになってるんでー」

 しかも座席はクジで決めているという事は、机の中に何か細工をした。なんて事もありえないか・・・・・・うん、却下。

 「ん」

 化学準備室の扉から入って真正面に位置する向かいの窓からは、夕焼けで真っ赤に染まった空が見えていた。時計を見ると、いつの間にか後二十分で、完全下校という時間になっている。

 「どうしましたー? 先輩ー」

 「いや、何でも無い。そういえば、途中で音がしたって言ってたよな?」

 「音? あぁ、机を叩くような『コンコン』って音の事ですか」

 「例えば、その音の回数で答えを教えたとか、どうだ?」

 国語や社会ならまだしもテストは数学だ、数字なら音だけでも。

 「ブブー。東輝先輩それは無理ですよー」

 「何で?」

 「確かに数学の問題でしたけど、解答の半分ほどは証明問題で数字だけでは解答出来ないんですよ」

 今度は東輝の意見が却下される番だった。

 顔にこそ出さなかったが、これは意外と悔しいものである。

 「えっと、あとはロッカーにシャーペンの芯を取りに行かせた事だったな」

 「はい。唯一先生が目を離したのはそこです! 残り時間も少なかったですし、おそらく、ここが最後のチャンスだったんじゃないかと私は思いますよ!」

 「んんー」

 メガネを外し、こめかみを押さえながら東輝は考えてみた。

 隣の席同士なら、少し覗けばカンニングは可能だろうけど、三人はバラバラに座っていたから、その方法は取れない。

 「何か紙とかを投げ————たりは、もちろん無理だな」

 「さすがにそれは見つかっちゃいますよー ・・・・・・あっ、もしかしたら!」

 バンッと机を叩き立ち上がった南は、両手を腰に当てエッヘンと言った様子で一つのアイデアを出してきた。

 「テレパシー、ですよ!」

 「・・・・・・は?」

 「テレパシーです、先輩! ほらっ、猿谷と犬山が鳥本に向かって何かを伝えようとしていたって言ったじゃないですか! 多分彼らは超能力をマスターして!」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 「本気で言ってるか?」

 「かっ、可能性を・・・・・・潰しただけ・・・・・・です」

 東輝の冷ややかな目を避けるように、静かに椅子に座り直す南。

 それにしても、ここまで意見を出し合っても答えが見つからないとは、恐るべき悪知恵を持った三バカだと関心してしまった。

 ————バサッ。

 突然の音に東輝はびっくりして目線を上げると、南が両手を合わせて謝っていた。

 「ごめんなさい! ミヨ先生が読んでいた本を、肘で落としてしまいましたぁー、あぁ〜 ごめんねぇー、よしよぉ〜し! ってか、ちゃんと持ち帰ってくれないかなぁ」

 机の隅の方に置かれていた、その本は、【出口のない海】 横山秀夫 だった。

 この本は読書部顧問、本田ミヨ教師が先週ここで読んで、そのまま置きっぱなしにしてる物だ。

 こんな奇怪な部活の顧問を引き受けてもらっているから、あまり悪い事は言いたくないが、本田先生は基本的には部活に顔を出さずに「西山、あとは任せたぞ」というようなテキトー人間だった。ただ見た目はスカートスーツが似合う高身長のモデル美人で、男子生徒のみならず、男性教職員からもチヤホヤされるルックスをしており、中々の人気者だったりするのだが、北野南と同じく、中身が大変に残念だ。

 ————あれ? てか俺の周りの女って、そんな奴ばっ・・・・・・いや、考えんのやめよ。

 にしても先生、中々渋い本読んでるな。確か、太平洋戦争を題材にした本だったよな?

 推理小説以外は、あまり興味はないので、実際に読んだ事は無かったが、父親が前に家のリビングでコチラの映画版を見ていた事があったので、ある程度内容は知っていた。

 「おぉ、可愛い可愛い本ちゃん。本当にごめんよぉ、痛かったねぇ」

 「・・・・・・」

 ————アレ、もしかして。

 目の前で頬ずりをする南を見て、ある一つのアイデアが東輝の頭に浮かんでくる。

 「・・・・・・」

 「先輩? どうしました?」

 「・・・・・・まさか」

 突然顔を上げた東輝が、ポケットからスマホを取り出して何かを調べ始める。

 声を掛けずらいほど集中していて、南はどうしていいのか分からなくなってしまう。ただお遊びで持ちかけた推理ゲームが、ここまで東輝を熱くさせてしまうとは、思ってもみなかったのだ。

 「でも、真剣な表情の先輩、マジかっけぇ・・・・・・ぐふふふふ」

 小さく零れ出た南の一人言は聞こえなかったようで、目の前の東輝は、晴れ晴れした顔でスマホの画面を見つめていた。

 「南」

 「ふぁっ! ふぁい!」

 そして机の上にスマホを置いた東輝は、自信満々の笑みを浮かべて言い放った。

 「・・・・・・結論が出たぞ」




 腕時計の針は、午後五時四十五分を指していた。他の部活動で残っている生徒も帰り支度を始めたらしく若干、外が騒がしかった。

 「ウソウソォ! 先輩、本当に分かったんですか? わぁぁ! 教えて下さいよぉ!」

 ————いや、ここが校舎内で一番うるせぇかも。すんません。すぐ終わらせますんで。

 心の中で誰ともなく謝った東輝は咳払いをして、改めて話し始める。

 南には恥ずかしくて言えないが、まるで推理小説の探偵の気分になってしまい高揚感が増してきていた。

 「俺達は、テスト中の出来事ばかりに目が行ってたが、ヒントは最初に転がってたんだ」

 「最初に? どうゆう事ですか?」

 小首を傾げる南を横目で眺めつつ、東輝は机の上のスマホを操作し始めた。

 「今回三人組は、何でカンニングをした?」

 「えっ? それは補習が嫌で————」

 「そうだ。では、何で補習を嫌がっていた?」

 「んーと、確か、欲しいゲームの発売日が今日で。みんなで遊ぶためって」

 「そのゲームのタイトルは?」

 「【軍隊野郎共Z】・・・・・・でしたっけ?」

 小さく頷いた東輝は、操作していたスマホの画面を南に見えるように差し出した。そこには【軍隊野郎共Z】のゲーム公式ホームページが表示されている。

 「どうやら、このゲームは本格的な戦争が楽しめるって内容の物らしい」

 公式ホームページには、そのゲームに出てくる拳銃の名前や専門用語など軍事的な記述がびっしりと書き込まれている。

 「ほへぇ、なんか難しそうですね」

 この手のゲームをあまり知らないようである南は、よく分からないと言った表情で目を細めていた。

 そんな画面を、ある程度見せた後、再び手元でスマホを操作する東輝の姿を南は黙って見ている。

 「さっきお前が落とした本田先生の本は、偶然にも戦争をテーマにした本なんだ」

 【出口のない海】 横山秀夫

 第二次世界大戦、終戦間近に展開されていた、人間魚雷『回天』。そんな発射と同時に死が約束されている魚雷に、自ら搭乗を決意した並木浩二の戦争青春小説。 

 「————この本の内容を思い出した時、俺は〝三人はこの手の戦争ゲームが好き〟という事を思い出して、もう一度、三人組が起こした出来事を考え直したんだ。するとバラバラの行動に〝気になる点〟が浮かんだ」

 「気になる点ですか?」

 「〝音〟だ」

 「へ、音ですか?」


 猿谷が、トイレに行きたいと動く音。

 誰かが、机を叩く音。

 犬山が、先生にロッカーの中を調べさせる音。

 鳥本が、突然咳き込む音。


 「俺が一番気になった音は、やはり机をコンコンと叩く音。おそらく、この音でしか伝えられないはずだ」

 「でも、先輩」

 「分かってる。叩いた回数じゃ数は伝わっても、文章は伝わらないって事はな。でも、ここまで来たら映画やゲームなどで軍隊が関わっている作品に触れた事のある人間なら、答えが分かる」

 「・・・・・・?」

 一呼吸置いて、目の前の後輩の顔を伺ってみるが、眉間に皺を寄せて首を捻っているので、東輝は今回の事件解決の最大のキーワードを口にする事にする。

 「答えは〝モールス信号〟だ」

 再びスマホを目の前に向けられた南は、その画面を見て驚いたように目を見開いる。

 そこには、アからンまでの文字の隣に様々な点と線が書かれている一覧表のようなものが表示されていた。

 「モールス信号っていうのはな、音や光などの短点と長点の組み合わせで、文字や数字を表す事が出来る方法なんだ。現在だと主に一部の漁業、陸上自衛隊の野戦通信なんかで使用されているらしい」

 「音で・・・・・・じゃあ!」

 「そうだ。机をトントン叩く音が、おそらくモールス信号になっていたんだろう。やっていたのは、もちろん鳥本だ」

 「うへぇー、マジですか! あんなの雑音だと思っていましたよ!」

 グデェーっと机に突っ伏す南をスルーし、東輝は帰り支度を始める。

 「モールス信号ならば、文字も伝えられるから、証明問題も教えることが出来る」

 「うぅ〜、じゃあ他の二人がやっていたのは・・・・・・」

 「コンコンと机を叩く音が続けば、さすがに怪しまれると思ったんだろう。カモフラージュってやつだな」

 そろそろ帰るぞ、と言うと、慌てた様子で南が体を起こし、同じように帰り支度を始めていた。その間に補足説明をしてやる事にする。

 「それから、最後の方で机を叩く音が注意された時に鳥本って奴は焦ったんだろうな、「もう机は叩けない」って、そこで最後に出したのが————」

 「まさか・・・・・・〝咳〟ですかっ?」

 「多分な、ある意味で凄い執念だ」

 おそらく今回のカンニングは、軍事的なゲームが好きで、モールス信号を三人共通で理解できている事から、軍隊マニアの犬山あたりが作戦を発案したのだろう。

 「まぁ、証拠は残らないから確認しようがねぇし、俺の妄想って可能性もあるけどな」

 「そんな事ないですよぉ! 絶対これが正解です! ・・・・・・んん〜、何とかあのバカ三人に、カンニングした罰を受けさせられませんかね」

 「もういいだろう、その場で言えたならまだしもな」

 そう言うと、東輝はカバンを肩に掛け、入り口の方へと歩き出す、その姿を見た南は納得できない表情をしながらもカバンを持って付いてきた。

 「その場で言えたらか」

 自分のスマホで先ほど東輝が見せていた【軍隊野郎共Z】のホームページを開きながら、ブツブツと何かを口にしていた南だったが、突然立ち止まったかと思うと、急に鼻息を荒くし始めた。

 「ほぉほぉ、これはこれはぁ、よし! 先生に話せば何とか・・・・・・」

 「どうした? 化学準備室の鍵閉めるから、早く出ろ」

 「先輩の推理は正しかったのだと、私が証明して見せますよ。むっふふふふふ」 

 「は?」

 その不敵な笑い声は、夕闇に色付く校舎内に不気味に響き渡った。




 ————くそ、なんて事だ! よりによって、またこんな日にテストが被るとは。

 五時間目の数学の時間、犬山は苦々しい顔で机の上に置かれた白い問題用紙を見つめていた。

 つい先日も猿谷、鳥本の二人と楽しみにしていた【軍隊野郎共Z】の発売日に小テストが被り、モールス信号を使ったカンニング作戦で何とか凌いだというのに、一週間経った今日、またも小テストが行われていた。

 「では、始め!」

 教卓の前に立つ担任の鬼沢が開始の号令をかけると、周りの生徒達のペンが動く音が一斉に聞こえてくる。

 ————今日はアップデートディスクの発売日だというのに、赤点を取って放課後補習にでもなれば、買えない。

 【軍隊野郎共Z】の追加要素が入ったディスクが、発売から一週間後に発売される事は、公式ホームページを見たファン達の間で話題になっていた。最初からそのデータも加えて出せば、という声もあったが、制作の都合上どうしても間に合わなかったらしい。

 ————何としても放課後、我ら三人で買ってプレイしなければならないんだ!

 新キャラクター、新マップ、新武器・・・・・・犬山達にとって、それは宝箱のような代物なのだ、それを手に入れるためなら犬山は悪魔に魂を売る事も厭わない。

 ————頼むぞ、猿谷、鳥本。

 このテストが始まる前に、再びモールス信号でのカンニング作戦を決行しようと打ち合わせはしておいたので、また自分と猿谷がみんなの気を引き、その間に鳥本が信号を送る。

 ————ふふふ、この作戦に気付ける者など例え神でも・・・・・・ふふふふ。

 笑みを押し殺しながら、先生や同級生の様子などを警戒していたその時、鳥本がいる方角から先週と同じく机を叩く小さな音が聞こえてきた。

 ————コツコツ、コツ・・・・・・コツコツコツ・・・・・・。

 来た! モールス信号だ! と犬山は必死に聞き耳を立て、その内容を読み解く。

 ————えーと、なになに? ・・・・・・わい、いこーる・・・・・・えっく・・・・・・すの・・・・・・。

 「わい・・・・・・いこー・・・・・・る・・・・・・えっくす・・・・・・の・・・・・・」

 「はっ?」

 テスト中で静まり返る教室の中、可愛らしい声が突然発せられた事よりも、犬山はその内容にビックリしてしまい思わず声が漏れてしまった。

 猿谷と鳥本も慌てて辺りを見渡していて、動揺しているのが簡単に分かった。

 「————という感じに、鳥本君が送るモールス信号で、彼らはカンニングを成功させていたんですよ、先生」

 「なるほどな。しかし、よく分かったな北野」

 「それはぁ、私の尊敬し、愛する先輩が名探偵なもので〜」

 ————なっ! き、北野!

 ちょうど教卓の目の前の席に座っていた北野南が、何だか嬉しそうに頰を赤らめながら、ゆっくりと立ち上がりコチラに振り返った。

 「当たりでしょ? 猿谷君、鳥本君、そして犬山君」

 一人ずつの顔を見ながらニコッと微笑まれたので思わず「可愛い」という言葉が出そうになるのを何とか飲み込んだ犬山は、額の冷や汗をさり気なく拭いながら立ち上がる。

 「な、な、な、な、な、何をい、い、い、言っているのか私には分からないな!」

 「んっ? 一からゆっくり説明してあげよっか?」

 「いやっ! いやいや、遠慮する! そっ、それより————」

 小首を傾げる北野南に、犯人ならではの言葉を犬山達は叫んだ。

 「しょっ! 証拠はあるのか!」

 「そ、そうだぞ! 北野! 証拠を見せろよ!」

 「え、えーと、そのあるんですか? しょ、証拠」」

 三人は一斉に、北野南を見つめる

 「・・・・・・」

 ————ふふふ、どうだ? この作戦には証拠なんてものは残らないんだ。貴様のこの告発は無駄に終わるんだ。

 「ハァ」

 立ち上がり猛抗議を続ける三人を見て深い溜息を付いた北野南は、ゆっくりと自分の椅子に腰を下ろしながらボソッと一言を呟いた。

 「じゃあ、何の音も立てずにテストを受けてね。それであなた達、全員また高得点取れればいいんでしょ?」

 「はっ!」

 「なっ!」

 「こっ!」

 


 意味不明な奇声を上げた三人は、その日の放課後、担任教師にみっちり怒られた後に、夜遅くまで補習を受ける羽目になっていた————。という話を、放課後の薬品臭い化学準備室の中で、西山東輝はニコニコした顔で話す、可愛らしい後輩から教えてもらったのだった。

 「いやぁ、流石は東輝先輩です! よっ! 名探偵!」

 「・・・・・・名探偵か」



 『名探偵だって、西山君、また言ってるよ』

 『いつまでも子供じゃないんだから、漫画の読み過ぎだろ』

 『実際に殺人事件とかに遭遇するわけねぇじゃん。馬鹿みてぇ!』



 ・・・・・・ナニ、オモイダシテンダヨ。

 黒く暗く澱んだ何かが、頭の片隅からジワジワとにじり寄ってくる感覚に、思わず東輝は目を閉じた。

 「・・・・・・」

 「およ? どっしました?」

 「いや・・・・・・なんでもねぇよ。ほら、読書始めるぞ」

 「? はい」

 推理小説で起きるようなスリリングな事件なんて、あり得ない。まぁ殺人事件とか誘拐なんて事が、実際に起きても困るが。

 だからきっと、こんな平和な日常を繰り返す世界には、必要ないんだろう・・・・・・名探偵なんてものは。

 「・・・・・・」

 何だか寂しくなってしまった気分を払拭するように、先週買った、本格ミステリ小説の文庫本を静かに開いた。




 この時の彼は、まだ気付いていなかった。

 この先に出会う、様々な事件を・・・・・・。

 そしてこの先、彼がこの学園で、こう呼ばれる存在になるという事を・・・・・・。

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