第十一話 二・二四事件

 第二次ロンドン海軍軍縮会議からアメリカが脱退し、ワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告したことで、欧米のみならず日本国内でも混乱が続く中、陸海軍の内部ではある二つの派閥が壊滅の危機に陥り、クーデターへと動き出そうとしていた。


 である。


 皇道派は、前述の通り満州事変・河豚計画で陸軍内を掌握した統制派・宇垣閥によって劣勢に追い込まれ、天皇機関説問題での軽挙妄動により天皇陛下のお気持ちを察することができないとしてさらに勢力を削られるており、皇道派には狂ったように自らの思想に酔いしれっている人間しか残っていなかった。


 その為、第二次ロンドン海軍軍縮会議を巡って日本国内が混乱している間に、蹶起することが真剣に話し合われていた。


 一方艦隊派は、第二次ロンドン海軍軍縮会議を巡り、イギリスと妥協しアメリカに応対することを主張すると対米英七割を今度こそ勝ち取り英米に対立することを主張して対立していた。


 この対立は、町田内閣が内閣での審議が終わった後即座に昭和天皇の認可を得ることで英国との妥結が完全に決定、英国派の勝利に終わった。


 だが、天皇大権を脅かしかねない町田内閣の行動に、伏見宮博恭王ふしみのみやひろやすおう海軍軍令部総長を筆頭に艦隊派の上層部が懸念を示し、艦隊派の面々は弱腰の町田内閣など認めない、だと訴え続けた。


 本来であれば、立憲政友会などが町田内閣攻撃に使いそうなネタではあったが、天皇機関説問題で国民の支持を失いつつあった彼らにできることはなかった。


 そんな中、第二次ロンドン海軍軍縮会議がアメリカの脱退により決裂、日英仏はその後の会議でアメリカによる建艦に対抗する為、ワシントン海軍軍縮条約を無効化することを決定、海軍休日の終焉が世界に知れ渡った。


 本心では、早急に軍縮条約を破棄し理想の艦隊建造を狙っていた艦隊派としては最高の状況であり、大蔵省をキレさせるような建艦計画を嬉々として立てようとしていたのだが、山梨勝之進やまなしかつのしん海軍大臣率いる英国派がその動きに待ったをかけた。


 町田内閣と協力して動いていた英国派は、アメリカの軍縮条約破棄を受け対米英戦争に備えた軍備拡張が必要であるとは判断していた。しかし、と判断していて、馬鹿正直に超大型戦艦を建造しようとしている艦隊派を早急に止める必要があった。


 その為、人事権を握っていた山梨は海軍省・軍令部から艦隊派の人間を軒並み左遷した上で、過激な主張と活動を行っていた青年将校らを警戒し、在満日本軍へと派遣することが決定された。


 これらの動きに、艦隊派は当然勢力を大幅に削られたのだが軍令部総長らの陰ながらの支援によりかろうじて生きながらえており、統帥権を干犯するだけでなく理不尽に自分たちを左遷しようと企む、町田内閣を滅ぼさなければならないと怒りをあらわにしていた。


 そして、この二つの派閥が出会ってしまったのである。ともに町田内閣の手によって滅亡の危機に喘いでおり、天皇陛下の為に町田内閣を倒そうとしている。彼らが、協力し合うことはすぐさま決定された。


 蹶起日は、皇道派の多くが所属している第一師団と艦隊派の青年将校らが満州に派兵される前の226と決められた。


 しかし、計画は事前に露呈してしまった。陸軍側では、東京憲兵隊が皇道派による行動を警戒していた統制派や宇垣閥の指示で青年将校らを調査しており、2月13日の時点で数週間以内に事件が起こりうると報告していた。


 さらに、皇道派に所属しているとみなされていた山下奉文やましたともゆき少将が、2月13日に皇道派蹶起首謀者の安藤輝三あんどうてるぞう大尉・野中四郎のなかしろう大尉から蹶起趣意書を見せられたことを林銑十郎はやしせんじゅうろう陸軍大臣に告発したことで、蹶起計画は完全に露呈した。


 また、海軍側では蹶起を警戒していた特別高等警察によって身柄を拘束された青年将校の浜勇治はまゆうじ大尉が、当局に計画の一部を白状したことで海軍側にも蹶起に参加している部隊があることが判明した。


 町田内閣は、陸海軍からの情報で蹶起計画の存在を知ると、蹶起実行前に一斉検挙を行うと決定した。本来であれば、憲兵隊や首都近郊に存在する陸海軍部隊に命じるべきなのだが、反乱軍側に寝返る可能性を考慮し、保安省の警察予備隊及び特別高等警察を中核に検挙を行うよう命令が降った。


 1936年2月24日、は、陸軍省・参謀本部・第一師団・近衛師団・台湾軍・海軍省・海軍軍令部・鎮海要港部・大湊要港部・空母加賀・重巡妙高などで蹶起首謀者とそれに関与した軍人を検挙した。


 この内、陸軍省・参謀本部・海軍省・台湾軍・鎮海、大湊要港部などでの検挙は、統制派・宇垣閥・英国派が省内で大きな権力を握っていた為、皇道派や艦隊派に近い考えを持っているものも迂闊に動けず、荒木貞夫あらきさだお軍事参議官・真崎甚三郎まざきじんざぶろう教育総監・柳川平助やながわへいすけ中将ら皇道派の重鎮、加藤寛治かとうひろはる後備役大将・末次信正すえつぐのぶまさ軍事参議官・小林省三郎こばやしせいざぶろう中将・真崎勝次まさきかつじ少将・山下知彦やましたともひこ大佐・石川信吾いしかわしんご海軍中佐ら艦隊派の中心人物が逮捕された。


 空母加賀・重巡妙高などでは、青年将校である藤井斉ふじいひとし海軍大尉・三上卓みかみたく海軍中尉ら青年将校が逮捕された。


 一方、軍令部では、天皇陛下の承認を得ていることを理由に、伏見宮博恭王軍令部総長が保安省による取調べを受けることとなり、艦隊派の軍令部員が不敬罪であると反発、軍令部員が痺れを切らして発砲したことで軍令部内で戦闘が発生した。


 最終的には、戦闘勃発を把握した伏見宮が捜査への協力を自ら申し出たことで戦闘は終結したものの、警察予備隊は三名の死傷者を出し、軍令部側も神重徳かみしげのり少佐が死亡するなどの被害を出した。


 軍令部での戦闘以上に問題が起きたのが、第一師団・近衛師団での検挙だった。保安省合同部隊は、両師団に所属していた野中四郎大尉・安藤輝三大尉・栗原安秀くりはらやすひで中尉ら青年将校を逮捕しようと試みたが、野中らは指揮下にあった歩兵第一連隊・第三連隊・近衛歩兵第三連隊の一部の部隊に保安省合同部隊への攻撃を命令、する事態へと陥った。


 本来、陸軍側の勝利ですぐに戦闘は終わりそうだったのだが、警察予備隊が陸海軍との戦闘を考慮に入れて編成されていた為、戦闘の決着はすぐにはつかず、その時間を利用して東京に駐留していた警察部隊や待機していた警察予備隊の応援が駆けつけたことで、戦線は膠着状態に陥った。


 なにしろ、蹶起予定日の2日前に警察の手が及ぶなど予想外のことであり、青年将校側は警察予備隊との戦闘を上手く進めることができなかった。


 どちらかが壊滅するまで終わらないと思われていた警察予備隊と陸軍の衝突は、現地にが到着してから終戦へと向かうこととなった。


 これが、警察予備隊を支援するためのただの増援であれば、青年将校側も絶望的な抵抗を考えたであろう。実際、陸軍部隊の接近を伝えられた青年将校らはその時点では徹底抗戦の考えを固めていた。


 しかし、警察予備隊が慌てて開けた道を通る近衛第一旅団を率いている物の姿を見て、彼らは驚愕し絶望した。のだ。


 当然のことながら、警察予備隊と陸軍反乱部隊の衝突は東京の中心地で起きたことである。保安省合同部隊・陸軍部隊・民間人など先頭を目にした多くの人々から報告を受け、政府関係者は早々に状況を把握していた。


 そして、衝突の現場を偶然目撃していた鈴木貫太郎すずきかんたろう侍従長の夫人・鈴木たかが昭和天皇に直接電話したことで、昭和天皇も状況を把握することができた。


 昭和天皇は、武力衝突の事態にしばらく呆然としていたが、直ちに軍装に着替えて執務室にて内閣の判断を待った。臨時で閣議を開いた町田内閣は、戒厳令の施行を閣議決定し天皇の意向により枢密院の許可を経て速やかにされた。


 そこまでは良かったのだが、戦闘をどのように終わらせるかが問題となった。既に武力衝突は始まっており、応戦している保安省の増援派遣は満場一致で認められていた。しかし、反乱部隊に同情的な将兵らも多く、反乱軍を出していた第一師団を鎮圧に投入する事は出来ず、陸海対立を防ぐ為にも海軍陸戦隊の投入も憚られていた。


 結論が出ない中、林銑十郎陸軍大臣は現在までの戦闘の経過と事態への対処に関する協議内容の一切を上奏した。すると、上奏を受けた昭和天皇は、事態を把握した上で「」と発言、近衛歩兵第一連隊へ出動を命じた。


 町田内閣の閣僚達や宮中グループの面々は、天皇陛下の手を煩わせる必要はないと必死に再考を促したものの、昭和天皇の決意は揺るがなかった。


 こうして、昭和天皇自らが武力衝突の鎮圧に赴いたことで、戦意を喪失した反乱部隊は次々と投降、昭和天皇に否定されたことで戦意を喪失した青年将校達も抵抗を諦め、おとなしく逮捕された。


 皇道派・艦隊派による蹶起計画は、保安省による一斉検挙で阻止されたもののの発生を招き、昭和天皇自らが鎮圧する事態にまで陥ったのであった。

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