十六話

 太陽が西へ傾き、空が赤く染まり始めた頃。僕は人混みを掻き分けつつ、目的地へと辿り着いた。

 町の中央、時計塔の広場に設置されたステージの周りは、集まった人々で賑わっている。……そこには、やはり女性と子供しかいない。


 何とか間に合った。胸を撫で下ろしつつ、辺りを見渡す。表に魔女の姿は無い。僕はステージの裏側へと向かった。


 ちらほらと、魔女の姿が見える。その中に、町の住人と真剣に話をしている、ハリエットの姿があった。


「あっ、シオンちゃん!」


 僕の存在に気づくと、驚いたような声を上げる。


「良かった! 心配したんだよ!」


「……ごめん、勝手なことをしちゃって」


 目を伏せ、頭を下げる。しかしハリエットは、相変わらず花が咲いたような明るい笑顔で僕を迎えてくれた。


「ううん、おかえり! 戻って来てくれて、ありがとう!」


 僕の手をギュッと握る。ひんやりとした感触が、肌を通して伝わってきた。

 ハリエットは耳元に近づき、そっと囁く。


「……ほら、あっちにコラリーちゃんがいるから」


 彼女が指差す方向に、椅子に座って顔を隠すように俯いている魔女――コラリーの姿があった。


「さっきから、ずっとあの調子なの。声をかけてあげて」


 僕はゆっくり頷くと、コラリーの元へ歩み寄る。


「……コラリー」


 僕の呼びかけに対し、小さな身体がピクリと反応する。


「シオン?」


 僕を見上げるコラリーの目は、少しだけ赤く腫れている。


「……その、ごめん。急に居なくなったりして、心配かけちゃって」


 コラリーはスッと立ち上がり、目を伏せた状態で、僕の胸ぐらを掴んだ。力強い。相当怒っているに違いない。

 ……そう思っていた。


「ごめん」


「えっ?」


「ごめん。アンタの気持ちに、気付いてあげられなくて。逃げ出したくなる程、プレッシャーを感じていたんでしょ? 私がもっと早く、気付いてあげるべきだった」


 僕の胸に寄りかかるように、顔を埋めている。襟元が、コラリーの涙で濡れていく。


「コラリー……」


「でも、だからって、急に居なくならないでよ。……心配、したんだからね」


 なんで返せばいいのか分からない。コラリーは、ステージが台無しになることよりも、僕のことを心配してくれていた。その事が嬉しくて――。


「……ごめん。本当に、ごめん」


 ――謝罪の言葉以外、見つからなかった。


「もう、良いわよ。戻って来たってことは、歌ってくれるんでしょ?」


「うん。歌うよ」


 コラリーは僕の身体から離れる。目をゴシゴシと擦ると、力強い口調で話す。


「肝に銘じておきなさい! シオン、あんたは一人じゃない。私も居るし、ハリエット先輩と、フローラ先輩も着いている。だから、堂々と自信を持って歌えば良いの!」


 真っ直ぐな瞳で僕を見つめ、右の拳をこちらへ突き出した。

 

「さいっこうのステージにするわよ!」


「……うん!」


 僕も握り拳を作り、彼女の拳と合わせた。




 ステージ開幕まで、あと五分くらいか。簡単に、喉の調子を確認する。……うん、大丈夫。いつも通り歌えるはず。


 台本のような紙を持ったハリエットが、こちらに声をかける。


「シオンちゃん、コラリーちゃん。そろそろ準備良いかな?」


 ゆっくりと頷く。隣にいるコラリーも「大丈夫です」と返事をした。


 ハリエットに案内され、暗いステージの上へと登る。今は簡易的な舞台幕によって観客席と分断されている為、向こう側から僕達の姿は見えない。


「じゃ、私はここまでだから。私の合図で幕が上がったら、二人のタイミングで開始してね!」


 笑顔で片目を瞑るハリエットに、僕は尋ねる。


「……ハリエットは、舞台に上がらないの?」


「うん。私は、裏方から二人をサポートするから。……もちろん、フローラちゃんもね!」


 頑張って、と手を振りながら、彼女は去って行った。


 フローラ……そう言えば、町に戻って来てから、彼女の姿を見ていない。今、どこに居るのだろうか? 本当に、サポートしてくれるのだろうか?

 ……僕のステージを、見てくれるのだろうか?


 頭の中で考えを巡らせていると、コラリーが横から脇腹を突いてきた。


「……緊張、してる?」


「してない」


「そう。流石ね」


 コラリーは小さく微笑むと、ステージ後方に設置してあるピアノに向かい、腰掛けた。僕もステージの中央に置いてある、スタンドマイクの前に立つ。



 数秒後、始まりを告げるブザーが、会場に鳴り響いた。


「人間の皆さま、お祭り楽しんでおりますでしょうか? こんばんは! エンターテイメント所属、『花の魔女』ことハリエットです!」


 マイクを通して、ハリエットの声が聞こえてくる。明るくて透き通っていて、それでいて良く通る声。


「そんなお祭りも、いよいよクライマックスという事で。毎年恒例、私達魔女によるパフォーマンスを、披露したいと思います!」


 彼女の言葉に反応するように、住人達が歓声を上げる。彼女の名前を叫んでいる者もいた。……人気者だな、ハリエットは。


「今日の主役は、最近エンターテイメント所属となった『歌の魔女』シオンちゃんです! 過去の記憶を失い、魔法の使い方すらも忘れていた彼女は、今宵どんな歌声を届けてくれるのでしょうか?」


 巧みな煽り文句で、住人達のボルテージはさらに上昇する。ハリエットが話せば話すほど、歌のハードルが上がりそうで恐ろしい。


「ふふふっ、ぜひ最後まで楽しんでくださいね! それではシオンちゃん、よろしくお願いします!」


 彼女の言葉が終わる。それを合図に、舞台幕がゆっくりと上昇し始めた。

 


 観客席が顕になる。既に外は薄暗く、ぼんやりとしか見えていないが、相当の人数が集まっていることは分かる。


 歌う前に、何か一言話そうかと思っていたが、辞めた。目の前の住人達は、僕の歌声を今か今かと待ち望んでいる。そんな雰囲気だったから。


 一度だけ、後ろを振り返る。コラリーが、僕の目を見て頷いた。いつでも良いわよ、と言われた気がした。


 大きく深呼吸をする。……大丈夫。心の中で自分に言い聞かせ、歌い始めた。

 

 

 最初のアカペラ部分。住人達は固唾を飲み、観客席は静まり返っている。今、僕の歌声だけが、この町に響き渡っている。それはほんの数秒程度。

 しかし、その数秒だけでも、この町の空気を支配した気分になった。心が昂る。一言一句、噛み締めるように丁寧に発声する。


 僕の歌声と呼応するように、前髪に留めてあるブルースターが青く輝き出した。きっとこれも、誰かによる魔法の力。


 やがてコラリーの伴奏が加わる。彼女は後ろで演奏しているはずなのに、その音色は空から降り注いでいるかのように感じた。彼女も魔法を使っているのだろうか。


 繊細ながらも力強い演奏を皮切りに、薄暗かったステージに白い明かりが灯る。

 そのおかげで、観客一人一人の顔がはっきり見えるようになった。皆、笑顔で手を上げ、声援を送っている。良かった。僕の歌声を、受け入れてくれたみたいだ。


 曲の雰囲気が、徐々に盛り上がる。心拍数が急上昇し、息が上がる。汗も出てきた。久しぶりだ、こんな気持ちは。

 心の昂りに比例するように、ブルースターの青い輝きが強くなる。それは観客達の声援に反応し、チカチカと点滅を繰り返した。


 そしていよいよサビへと差し掛かった時、より一層強い光が、ブルースターの花から夜空へと放たれる。

 光は闇へと溶けた後、花火のように大きく広がり、満点の星空となって町全体を青く照らす。


 プラネタリウムを早送りしたような空の下、観客達は今日一番の盛り上がりを見せる。

 さらに、空から小さな星々が、輝きながら地上へと降り注ぐ。空中を泳ぎ回る流れ星によって、会場は幻想的な雰囲気に包まれた。


 間違いない。この演出は、フローラによるものだ。この町のどこかで、彼女はこちらを見ていて、僕の歌に合わせてステージを彩ってくれている。


 そう考えるだけで、歌声に一層力が籠った。


 空中を漂う星々は、やがてブルースターのブーケとなり、観客達の手元に渡る。きっとこれは、ハリエットの魔法だ。淡い光を帯びた美しい花を手にして、人々は大喜びしていた。


 最高の気分だった。こんな恵まれたステージで歌えるなんて、僕は……幸せものだと思った。


 やがて曲は終盤に差し掛かり、コラリーの優しい伴奏と共に、終わりを迎えた。観客席からは拍手喝采が鳴り響き、声援が鳴り止まなかった。


 舞台幕が、ゆっくりと下降する。僕は名残惜しさを感じつつ、観客席に向かって深々とお辞儀をした。幕が完全に降りる、その瞬間まで。ただただ頭を下げ続けた。


 顔を上げる。舞台幕の向こう側では、未だに拍手と歓声が響き続けていた。汗を拭い、呼吸を整える。


 フローラが、この舞台の主役に僕を選んだ理由……今では何となく、分かる気がした。


「……ありがとう」


 自然とその言葉が、僕の口から溢れ出た。

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