第十一話 深夜

七月に入り、神楽道ここのは充実した日々を送っていた。


懸念していた星雫青音との交際も順調と言えた。


(あんなに普通に見えるのにな〜)


ここのにとって青音は見た目がパッとしない男の子であった。


良く言えば大人しく優しい同級生。


悪く言えば自主性に欠ける無個性。


そんな見た目だけなら有り触れているというのに、青音の過去は生半可なものでは無かった。


全国中学校ハンドボール大会三年連続優勝。


マイナーとは言え、世界で見ればそれなりのプレイ人口を誇り、デンマークでは国技と言ってもいいぐらいの人気スポーツであった。


日本においては、体力測定でハンドボール投げという項目が採用されたりと触れ合う機会は皆無とは言えないぐらいには認知はされている。


そんな一つの分野において、絶対的な強さを示しハンドボール界の|大星(シリウス)とさえ呼ばれ賞賛されていたのが中学時代の青音である。


誰もが彼がプロになり活躍することを疑問に思わなかった。


だが、彼は全ての推薦を蹴り、ありふれた高校に進学を果たす。


ここのにとっては予想外の人物が人生に関わってきたと当初はうんざりもしていた。


だが蓋を開けてみれば、自分の功績などまるで無かったように振る舞う青音に疑問を感じた。


(本当は周りを見下してるんじゃないの?)


個人的な理由で“敵“を作れないここのにとって、何をしてくるか分からない青音は注意を払うべき対象だ。


そして彼女は青音と同じクラスになっても慌てず、直ぐに女子たちをまとめるような立ち回りをした。


それにより青音に告白し抜け駆けしようとする女子を牽制しつつ、クラスの平和を保っていた。


だがそれも時間稼ぎにしかならない。


青音の付与価値に目を輝かせる女子は少なくはない。


今までは新生活に馴染むことを優先しようと周りを宥めたりもしたが、そろそろ我慢出来なくなる女子は現れる。


ここのは焦った。


だが、幸いなことに青音の友人たちが他人を彼に近寄らせないように動いてくれた。


友人たちの努力の甲斐あって、予想以上に長く平和は保てた。


そして周りに対する根回しを終えて、ここのが取り敢えず青音と付き合うことでこの平和を恒久的なものにすることを決意した。


(これが一番角が立たないんだよねー)


欲を言えば自分意外で適任が居れば、その子を祭り上げるつもりだった。


だが全て上手くいく訳では無い。


ここの以上にクラスの女子含めた学校の女子生徒で青音と付き合っても問題が起きなさそうな子は居なかったのだ。


(ほんっと、みんな欲張りさんだよねー)


間違いなく荒れるのだから、そうならない可能性が最も高いここのが犠牲になるしかない。


(犠牲か……何様だっつーの)


自分のあまりもの考え方に自己嫌悪する。


結局のところ、青音を巻き込んだ形だ。


(彼は自分の人生を生きているだけなのに)


普通という価値観は人それぞれだ。


それなりに青音と時間を共にしたことで分かったこともある。


(星雫君にとって過去のすごい功績も今の生活も大して変わらない“普通“なんだ)


だから青音は威張ったり自慢したりしない。


時折見れる青音の退屈そうな顔がチラリとここのの脳裏に過ぎる。


(何かを求めている……でも、それが分からなくて退屈している?)


そんなふうに言語化しづらいものを人の機微に聡いここのは感じ取っていた。


それははたしてなんなのか。


考えれば考えるほど惹き込まれそうになる。


夜中と言っていい頃合。


ここのは祖父母と共に暮らす民家の自室で悶々とした気持ちを抱いていた。


(ぶぅー最近、君の事が気になって寝付けにくいぞー!)


触れ合ったことすらない“仮“の恋人なんざ、ビジネスパートナーそのもの。


(なのに、君はこんな私と一緒に居て、なんであんなに楽しそうに笑ってくれるの?)


クラスでの人気者の仮面と、気だるげで口調すら乱暴になる仮面・・


前者は一切の本心すら見せない者たち用。


後者は趣味が合うネット上の友人や青音と接する時用。


そしてそれらの仮面を剥がしたここのを誰にも見せたことがない。


それで良いと思ってた。


誰にも見せたくない一面だ。みんな誰しも持っている隠すべき本性というのはある。


そう言葉を重ねれば心が軽くなると思っていた。


ここのはベッドの上でクッションを抱き締めながら、チクリと痛む胸を押さえた。


(君が私の本当の気持ちを知ったら……)


きっと嫌われる。良くても距離を置くだろう。


(でも星雫君は優しいから、案外無理して今の関係を続けてくれるかも……)


何回もたどり着いた結論に絶望したくなる。


初めて理解して欲しいと、ここのは思ってしまった。


思わずにはいられなかった。


でも無理なのだとかぶりを振る。


「だめだ。寝れな〜い……コンビニ行こ」


どろんとした目をしたまま気だるげにジャージを着て、財布とスマホを持ち既に寝入った祖父母を起こさないように音を立てずに家を抜け出した。


その一連の流れは非常に熟れており、彼女が常習犯なのだと分かる。


ここのは何か悩んだりストレスが溜まると、夜中に家を抜け出しコンビニに行く。


暗い道を歩き、夜風にあたると少しだけ気が楽になる。


「今日は何を買おうかな〜」


買うものは決めていない。


選ぶ楽しみも気晴らしにちょうどいい。


ほどなくして一軒のコンビニに辿り着いた。


「いらっしゃいませ〜」


(最悪)


コンビニの店員は男性だった。


それだけでここのの気持ちは急落下する。


だけどそれをおくびにも出さず、ササッと店内を物色しはじめる。


(あ、これでクラスの子が美味しいって言ってたやつ)


新発売とSNSで大バズり! のポップな紹介文が添えられたクリームドーナツを手に取る。


(うぇ〜い。カロリーすげぇー!)


少なくとも夜中に今どきのJKが食すものでは無い。


(だからこそ挑んでしまうのさ!)


今度のデートは青音をカラオケに誘って、カロリー燃焼に付き合わせよう。


そう画策して気分が浮上する。


週に一度だけと決めていたアリバイの為のデートは、ここのにとって楽しい時間になっていた。


そして少し息を整えて、気を引き締めてレジに向かった。


サッとカウンターにクリームドーナツを乗せ、直ぐに財布の中身を確認する為に手を引っ込めたように装う。


自然な動作だったようで男性店員は気にした素振りすらない。


「商品が一点〜袋はお付けになりますか?」


ください。そう言いそうになり、ある可能性に気づく。


「……いえ、結構です」


そう言いつつレジのモニターに表示された額に舌打ちしたくなる。


(なんで半端な値段で売るんだよ〜!)


税込189円。


財布の中に入っている硬貨ではピッタリに支払えない。


「……電子決済で」

「かしこまりました〜」


財布を仕舞い、スマホを素早く操作し、支払いの為のバーコードを表示させる。


ピッ! と軽い音と共に、スマホの画面に支払い完了! の表示がされる。


(ウザイ!)


ここのは電子決済が好きでは無い。


お金の細かい管理をしている彼女にとって、確かに便利なものだが、あまりにも呆気なくお金を使った感覚が無いまま支払いを済ませる為、危機感を覚える。


今のここのは祖父母に養って貰っている身。


貯蓄も有り年金もある為、祖父母は気にせずに使いなさいと言ってはくれるけど、それを、真に受けるほどここのは厚顔無恥ではない。


ここのは個人的な事情もあり、バイトをするのも難しい。


だからと言って、ネットだけで済ませられるバイトにはスキルが必要で、それらを学ぶ余裕があるほどここのは自分が優秀だと自惚れてはいない。


その為、趣味に使う分と周りの子に合わせる為の資金や学費はいずれ返すつまりで細かく記録を付けていた。


これまでもかなり苦労を掛けたし、心配もさせた。だから、祖父母の前では普通の孫のように振る舞うように心掛けしている。


少しでも以前のここのを見せたら心配させてしまう。


だから普通の生活すら日々神経をすり減らしている姿は知られたくはない。


コンビニでの試練を乗り越え、外の夜風にあたる。


「ふぅ〜……何とかなった」


いつもの事だ。いい加減慣れろ! そう自分を叱りたくてたまらない。


でも、どうにもならないということを痛感してもいた。


ここのとて普通の女の子だから。


辛いことには強くはなれないのだから。


(いつもの公園で食べよー)


実はコンビニに行ったあとは決まって近場にある公園のベンチに座って、戦利品をゆっくり味わうのが彼女のルーティーンであった。


ここで、ここのが素直に家に帰っていたら、運命は変わっていたのかもしれない。

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