夕暮れときの青春剥離
灰色ユリシス
プロローグ 過去の出来事
高らかに鳴り響く電子音。
試合終了の合図だ。
うだるような熱気に包まれた総合体育館。
試合のコート上には二種類の人間がいた。
汗だくの中、喜びに満ちた表情でチームメイトに抱きつく者、力一杯のガッツポーズをする者。ハイタッチをかわす者。勝者の人間。
鎮痛の面持ちで両膝に手を乗せ、荒い息を吐き続ける者。放心してぼーっとしてしまう者。泣きそうになりながら必死にこらえる者。敗者の人間。
そんな人達を他人事のように見つめる、
審判がホイッスルを吹き、コートの真ん中に選手達を整列させる。
勝者と敗者が真ん中の白線によりくっきりと分けられる。
トンと僕の背中を叩くチームメイト。
「どした? 早く並ぼうぜ」
歓喜に満ちた表情を浮かべるチームメイトに僕は頷き、
気を付け! 礼! ありがとうございました!
サッと頭を下げる選手達に会場は惜しみない歓声と拍手を送る。
選手達はそれぞれの顧問の元に駆け寄る。
僕はチラッと敗者チームの彼らを見る。
皆、一様に悔しさを覚えているように暗い。励ますように顧問の先生が声がけをするが効果は薄い。
僕は言われもしない苛立ちを覚えた。
(そんなに悔しいなら、もっと本気になれば良かったのに……っ!)
そうすれば、僕のユニフォームが乾くことなど無かっただろう。
(前半で諦めた癖に悔しがるな! 僕の方が悔しいぞ! ……最後だったんだ……最後の試合だったんだぞ!?)
怒りに拳をキツく握ってしまう。
「なんだぁ? お前でもやっぱり噛み締めるものがあったりするわけ?」
「まあ、ウチのエースだしな。前半も大活躍してだし!」
「後半、ランニングしてるだけの人みたいになってたけどな!」
「「「あはは!」」」
テンションの高い彼らは、僕の気持ちも知らずに青天井に気分を上げ続ける。
「おーい! 優勝して嬉しいのは分かる! 先生も誇らしい! だが、学校の代表としてここにいることを忘れるな!」
顧問の先生は一応注意はするが、彼も満面の笑みを浮かべている。
「でもさ! 俺たちやったんだぜ? 三連覇! やべぇーだろ!?」
「まじやべぇーよなぁ!?」
「聞いたか? 俺たち、もう何校からも推薦が来てるらしいぞ!」
そう。三連覇。
中学の部活動での全国三連覇。
それは一種の偉業なのだろう。
実際、この日のためだけにウチの学校は休校までして、学校の生徒の大半をバスに乗せて、会場まで応援させに来てるのだからその期待の高さが窺える。
甲子園でもないのに力の入れようが凄い。
わりかしマイナーなスポーツの試合の為だけに、応援に来ている皆に申し訳ないよ。更につまらない試合を見せたのだから、むしろ惨めで仕方ない。
「優勝おめでとー!!」「三連覇すげー!」「こっちみてぇ〜」「ウチの学校の誇りだよー!」「みんなカッコよかったよー!」「きゃ〜! 付き合ってぇ〜」「打ち上げやろうなー!」
どうやら十分楽しめてたみたい。
本当に見せたかったのはこんなんじゃない。
閉会式が始まり、今日この大会の参加者たちが一堂に集まり、お偉いさんの言葉を聞き流す。
ウチの部長が優勝のトロフィーを受け取り掲げる。それに呼応するように会場もまた盛り上がる。
きっと変え難い青春の一幕。
未来永劫忘れることのない大切な思い出。
人生における比類なき栄光。
自慢になる過去話。
「ああ……
小さくか細く零した僕の嘆きに応えるものはきっとこの会場には居ない。
チラッと視界にかすめるのは得点ボート。
18ー8
前半のうちに僕が10点決めた
三年間打ち込み続けた集大成。
全国中学校ハンドボール大会。
これが僕の中学最後の試合だった。
☆☆☆
季節は秋。鬼の薄っぺらいお面が売られる季節だ。豆食いたくなってきた。
僕は学校の応接室で担任兼部活の顧問というスクールライフでのメインヒロイン張りに共に過ごしてきた中年の強面の先生と向き合っていた。
(絶対、僕を自分のクラスになるようぶち込みやがったよね)
でなければ、二年、三年の担任が顧問な訳がなかろう。
恨み言のひとつでも言いたいが、渋い顔の先生にそのようなことを言うのは忍びなかった。
「本当に……良いのか?」
「もう決めたことですえ」
僕の即答にやはり渋い顔。渋柿でも食べたのだろうか。いや、もっと渋いものだ。
「前例が無いらしいぞ。こんなに、推薦状が
「左様ですか」
「はぁ〜。お前って返事が適当だよな」
「誠にそのような事は」
「三年の付き合いだ。もう慣れたさ」
苦笑で済ましてくれる先生はきっとこの人だけだ。さすが僕のスクールライフのメインヒロインだ。熟年離婚待ったナシの一歩手前の理解度を示してくれる。手遅れじゃん。
「お前の選択肢は尊重したい。無理強いはしたくない……でもやっぱり惜しいと思っちまう」
先生は目頭をそっと押さえる。
「先生な……夢が出来てたんだ。教え子がプロのハンドボール選手になって、一緒に飲みに行く。そんな、身勝手な夢」
「きっと他の部員が叶えてくれますよ」
僕はなんて無責任なことを言ったのだろう。
先生は
「そう、だな。……分かった。校長先生や教頭先生には俺から伝える。長々付き合わせて悪かったな。もう、帰っていいぞ」
僕は立ち上がり深々と頭を下げる。
「長い間お世話になりました」
「おう」
まだ卒業は先だ。
だが顧問と部員としてのやり取りはこれで最後だろう。
これからは担任と生徒だ。
この先の進路相談はきっと居心地の悪いものになろう。もう適当な返事が出来ないのは寂しい。いや、でもチャレンジしてみようかな。
(でもね、先生。どうして情熱が向けられようか、あのような結末を迎えたうえで)
僕の滾る歓喜の悲鳴は、凍えるような冷水で鎮められ、僕の期待の汗は、失望に乾いてしまったんだから。
応接室を出て廊下を上履きで歩く。
ふと思う。
(室内用のシューズと外用のシューズ捨てるか)
きゅきゅ鳴る室内用のシューズも、砂埃で薄汚れた外用のシューズも、もう僕には無用の長物だろう。二度と履くことは無いのだから。
もうコーラのような匂いの松ヤニを嗅ぐことも、邪魔くさい両面テープを指に貼ることもないのだ。
上履きから運動靴に履き替えて、校舎から出る。
放課後ということもあり、運動部の掛け声がグラウンドに響き渡る。吹奏楽部の音色は相変わらずよく分からない曲を奏でてる。きっとダンテの神曲を弾いてるんだ。オタクには分かる。ダンテは悪魔狩りを生業とする一族の男性だ。途中でネロとかいう青年と一緒に賛美歌を歌うんだ。僕には分かってる。
校門に向かって躊躇いなく歩く僕の足元に黄色い球体が転がってくる。それはこの三年間見慣れたものだった。一瞬、人の頭部が転がってきたのかとワクワクしちゃったじゃん。白い老婆とか現れないかね。
テニスボールや野球ボールにしては大きく、バスケットボールよりは小さい。でも、不思議と片手で持つには事足りる大きさ。ハンドボールだ。
「モルテンくん」
公式球にも使われるハンドボールの有名メーカーだ。
僕はモルテンくんを拾い上げる。
「兄貴っ! お疲れ様っす」
そう言って体操着の青年は頭を下げる。
一学年下の後輩くんだ。
身長が180センチと住む世界が違う巨人族の末裔である。ちなみに僕は170センチ未満のホビット族だ。
この中学に入ったのは僕の試合を見て憧れを抱いてくれたかららしい。よせやい、照れるぜ。
「その、もう先生との話は終わったすか」
「うん、終わったよ。あと、兄貴って呼ぶのはよせやい。恥ずかしい」
どうやら待ってくれてたらしい。きっと僕のスクールライフにおける後輩ヒロインポジションなのだろう。ふと気付いた真実に絶望する。
「なんで女の子じゃないの、貴様」
「いきなりなんすか!? それに自分は兄貴を尊敬してるっす! これは最高に尊敬していることを表す呼び方なんす!」
「幼なじみがいる貴様に兄貴と呼ばれると虫唾が走るぜ……べっ!」
「アイツは関係っすよ!! あとヒドイっす!」
この後輩くんの妙な知識や喋り方は幼なじみの女の子のせいだと、長い付き合いで突き止めたわけだけど、そのせいで僕は彼が少し嫌いになったよ。
本当に異性の幼なじみという概念が存在しているなんてね。その
彼もその発達著しい体格と、ちょっぴり彫りの深い顔立ちのせいで入部早々苦労していたから、多少は許せているが……これでイケメンとかだったら僕は彼の下半身にモルテンくんを叩き込む必要があった。と、思ったらコイツ最近筋肉がついてきて、細マッチョなイケメンになりつつある。ここで始末しとこうかな。
「そうだ。モルテンくんを大事にしなよ。高いんだから」
手に持っていたモルテンくんを彼に放る。
危ない危ない。あれ以上殺意を高めてたら、僕の
「部活には寄っていかないんすか」
「寄らん」
「冷たいっす! 他の先輩は遊びに来ているっすよ! 呼んでないのに」
「答え出てるじゃん」
引退した分際で先輩ズラとか僕には無理だった。大体そんなに仲良い人居ないし。あと、噂になったら恥ずいし……ポッ。
「兄貴は違うっす! みんな兄貴が来るのを心待ちにしてるっすよ」
「そんな暇なし。僕、受験生」
「そんなの他の先輩だって」
「彼らは……いいんだよ。推薦貰ってるから」
僕だけが特別じゃない。マイナーとはいえ優勝校だ。活躍すれば推薦は貰えたりするのが部活動の強み。僕の場合、少し多めに評価してもらっただけだし。
僕の言葉に後輩くんは察したのか沈んだ顔でモルテンくんを両手で握る。君が力強く握るとモルテンくんが破裂しそうでヒヤヒヤするよ。やめてよ高いんだから。
「やっぱり……やらないんすか」
「やらん」
「どうしてもっすか?」
「どうしてもだよ」
「……兄貴は普段から何考えてるか分からない人だったすけど、今回もやっぱり分かんないっす」
馬鹿な。僕ほどわかりやすい奴はいないだろうに。別にクールキャラでも無口キャラでもないありふれた少年だぞ。
「僕は他にやりたいことがあるんだ」
「それは、ハンドボールよりもすか?」
「そうだよ。ハンドボールよりも、やりたいこと」
僕は即答する。決めたことや分かりきっていることは躊躇う理由も言い淀む必要もない。
「なんすか、それ」
後輩くんは答えを求めるように僕を見つめる。
身長差があるから傍目からは僕が脅されているように見えるかもしれん。さっさと退散して、要らぬ噂が拡がらないようにしよう。勘違いしないで、あなたの為なのよ。
僕は踵を返して校門に向かって歩き出す。
「それを見つけるためにハイスクールボーイにジョブチェンジだ」
僕は背中越しに言い放ち、振り返ることなくその場を去る。ちょっと恥ずかしいこと言っちゃった。
「答えになってないっすよ……」
後輩くんの呟きは耳のいい僕には届いていた。
だから僕は申し訳なくなった。
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