第42話猛焔竜来訪
「さて、どうしたもんか……」
古風な、しかし一般家庭のそれとは比べ物にならない大きな自室で、ノートパソコンを開いて竜守涼太はうんうんと唸っていた。
たとえ足を怪我しようと、竜守涼太が竜守のお役目から逃れることはできない。もちろん、療養という名目で本日の冒険者S級認定試験の試験官という仕事は小鈴に譲りこそしたが、日々の勉強の遅れ、新たに始めた竜守バスターズの運営等々。足を使わなくてもやらなければいけないことは山積みである。
目下の悩みは先日の竜守3752号ダンジョン攻略の配信を超える――とまではいかなくとも、ほどほどに配信映えする内容を考えなくてはならないこと。
リザードマンの一件のようなアクシデントは、そうそう起こるものではない。ダンジョン配信者にとって、そういったアクシデントは娯楽に飢えた視聴者を獲得する一大イベントなのだが、町を守る涼太にとってみればあまり喜ばしい出来事ではなかった。
動画編集の最中、平行して次の配信のネタ探し。配信業とは側から見れば簡単そうだが、いざ取り掛かればその難しさを涼太はひしひしと感じていた。
幸いだったのは、竜守市においてダンジョンの種類だけは豊富だということ。
「ほかの配信者はダンジョン攻略のために遠出するらしいから、そこらへんで悩まなくて済むのはいいんだけど……なんか喜びづらいな」
ダンジョン配信者は普段どんな活動をしているのか。配信者仲間である東雲カノンに尋ねたことがある。彼女曰く、日本の各地にあるダンジョンの群生地域に赴き、一発撮りをしたのち、動画を編集して出すことが大半。ダンジョン攻略では無類の強さを誇る竜守涼太といえど、動画編集は素人である。というか、スマホに慣れ親しんだ現代っ子ゆえについ先日までタッチタイピングすらできなかった男である。
はっきり言えば動画編集やパソコン周りに関していえば、年がら年中引きこもってパソコンでゲームをしながらスマホでソシャゲの周回をしているヴァニのほうが適性は高いだろう。……もちろん、涼太もそれは思いついたのだが。「パソコンなぞWとAとSとDさえ押せれば攻略したも同然よの」と意味不明なことを言って編集作業をすべてほっぽり出した時点で、涼太がヴァニに期待することはやめていた。
素人に毛が生えた――否、文字通り素人の編集した竜守3752号ダンジョンの攻略動画をアップロードした涼太は大きく伸びをする。毎日身体を大きく動かしている涼太にとって、椅子の上で慣れないパソコン作業は新鮮であり、やや苦痛であった。
一区切りだ。次のお役目がある。その前に一服、コーヒーでも飲もう。長時間の作業を労わるように立ち上がった涼太を、まるで見計らったかのように玄関から「ただいまぁ」と聞き慣れた声が聞こえてきた。
庭でアブードをボロ雑巾のようになるまで叩きのめした後、「組手の相手を探しに行くね」と言って出て行った小鈴が帰ってきたのだろう。さて、どこまで行ったのやら。午後には試験官としてのお役目があるから、そう遠くまで行くとは思っていなかったが、この早々の帰宅は察するに組手相手を見つけられなかったか。
竜守の人間と組手ができる人材などそういない。手加減を必要としない相手であればダンジョンに入ればいいだけなのだが、試験直前の組手はいかにして相手を殺さないかを確認するためのもの。今日この日、竜守が重視するのは手加減であった。
「おかえり、小鈴。ヴァニも。それからえっと……」
「おっす、涼太様。久しぶりぃ!」
なんかデカいのがいる。小鈴よりも、ヴァニよりも、なんだったら涼太よりも少し背の高い美女を視界に入れた瞬間、涼太は不愉快そうに眉を顰めた。
「なんでアスカがここに来てるんだ。……おい、まさか。ヴァニ、小鈴を竜街に連れて行ったのか!?」
「仕方なかろう。アブードが役に立たないなら、竜街の者に代わってもらうのが最善じゃろうて。我の判断に間違いは無かったと思うが」
悪びれるどころか、いけしゃあしゃあと小鈴を竜街に連れて行ったと認めるヴァニに涼太は頭痛を覚えた。
竜守家の人間として竜街地区を蔑ろにする気は、涼太とて毛頭ない。ここ竜守市において、竜街地区の役割はダンジョン産の素材を用いた工芸品や武器道具類の生産、そして料理。ダンジョンの群生地帯では、加工技術が発展する傾向にあるが、竜守市の技術は日本でも群を抜いて秀でていた。
竜守市に住む人間であれば、竜街地区がこの町にとっていかに大切かはよく理解していることだろう。しかし、その特色を大目に見ても涼太が抱く竜街地区の印象はあまり芳しいものではなかった。
なににおいても竜街地区でまず特筆しなければならないのは、その治安の悪さだ。なにせ、そこに住まうのは血の気の多い竜たち。力の大半をヴァニに奪われて管理されているとはいえ、人間とは比べ物にならない力を持つ竜が、昼夜を問わず闊歩しているのだ。人間にとって治安はあまり良いとは言えなかった。
竜街地区に通ずる道に立てかけられた「この先日本国憲法通用せず」の立札は伊達じゃない。竜守家の血を引く者でないのであれば、彼らが弾丸も憲法も通用しない相手であることは決して忘れてはならない。見目麗しい美男美女の姿に変化した竜が多くいる街ゆえに、余所者は花街と勘違いするが……その本質は弱肉強食と暴力である。
そんな街だから小鈴の組み手相手には困らないだろう。しかし、その血の気の多い空気はなんとも多感な小鈴の情操教育によろしくない。
ゆえに、じとっとヴァニを睨む涼太の瞳が言外に告げていた。——なに勝手なことしてくれてんだ、と。
「で、アスカが組み手してくれたと」
「おうよ。てことで、小鈴の兄として俺になんか見返りがあってもいいんじゃないかと思うわけなんだが?」
なんでだよ、と思いこそしたものの涼太はその台詞を口にすることはなかった。
要求の正当性だけはある。社会的な体面を気にしたらおおよそ口にできないだろうとか、人質と言わんばかりに大事な妹をお姫様抱っこしていることとか、断ればなにするか分からない危険性とか、口にしたくても言えば爆発しそうな猛焔竜を前に、涼太は鋼の精神をもって溜め息一つで済ませてみせた。
「小鈴が世話になったのは事実みたいだし、一つだけなら」
どうせ碌なもんじゃない。
「そうだな、尻を揉んでいいか?」
碌なもんじゃなかった。
「却下だ却下! 何度言えば分かるんだよ、竜守のお役目に竜のセクハラ対応は入ってない!」
「おいおい、竜守家の長男ともあろうお方か尻の一つや二つ、揉ませる度量すらないとはねぇ。一竜守市民としてがっかりだぜ」
「尻を揉ませることと度量に比例関係があってたまるか……!」
隙あらば、というか隙などなくてもセクハラをねじ込んでくるアスカとのやり取りは、涼太にとって初めてではない。
涼太が生まれるよりも前から竜守家を見守ってきたドラゴンである。古参のドラゴンということもあって、竜守家を気軽に訪れられる数少ない竜だ。が、その気質から苦手に思う竜守家の人間は少なくなかっただろう。
そして、竜守家としては困ったことに。猛焔竜アスカリオは、轟天竜ヴァニフハールの悪友というポジションにすっかり収まっているのであった。
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