第41話答えは否

 不意打ち。猛焔竜アスカリオ改め、百日紅アスカは堂々と卑怯な手段を用いて小鈴を建物へと放り投げた。


 竜の権能をヴァニフハールに奪われているとはいえ、その膂力は人間の常識を遥かに上回る。人間の、それも子どもを振り回せば腕や足が捥げても不思議じゃない。


「おいおい。小学生女児を振り回して建物に投げ飛ばすとか。さすがの我でも引くぞ? 涼太にでも言いつけてやるかの」

「待てや。俺、涼太様とデートがしたくてさあ。これだって涼太様の好感度稼ぎって目的もあるんだぜ? そこんとこ、よーく理解してくれよな」

「可愛い妹を投げ飛ばされて喜ぶ兄がどこにおるんじゃ」


 しかし、竜守ならばその遠慮は不要であった。


 瓦礫を吹き飛ばし、轟音を立てて跳躍する小鈴。その身体は土埃で汚れていても、目立った外傷はない。


「やるなあ。受け身は取れてたか」

「余裕だよ!」


 すぐさまアスカは迎撃態勢を整える。猛焔竜とかつて謳われた竜が、少女一人に大袈裟な構えだった。


 しかし、アスカの判断は概ね正しい。相手は少女だが、竜守家の人間。組み手で殺しに来ることはないが、その一撃は無防備に受けていいものではない。


「魔法は使うなよ? 風香に言い訳するのが面倒じゃからな」

「分かってるっての。風香様を怒らせたら竜守家の敷居を跨がせてもらえなくなるからな!」

 

 竜守家当主、竜守風香の逆鱗に触れるのはマズい。それは竜守市に住まう竜たちの共通認識であった。ヴァニに言われるまでもなく、アスカの構えは肉弾戦を想定したものだった。

 

 小鈴の体躯は決して恵まれたものではない。成長期の訪れは感じるものの、小学生女児として平均のライン。女性の姿をしているとはいえ、大型体型のアスカが相手ではリーチ不足は否めない。


 たから、速度で補う。


(速いな……!)


 トントン、という着地音。その足捌きの後、遅れて小鈴の足があった場所に衝撃と音がやってくる。


 涼太と違い、華奢な体躯の小鈴が得意とする戦法。それは、自身を弾丸のように投げ出し、相手が戦闘不能まで蹴り抜ける高速戦闘であった。


 アスカの視界の中で小鈴の身体が地面や壁を蹴って接近してくる。それも、だんだんと加速して。


 長い助走距離を短い時間で走り抜ける。トップスピードに達した小鈴の身体は、まさに140センチの砲弾であった。


 ——衝撃が、来る。


「ぐぉ……っ! いい蹴りだ! 成長したなあ!」

「どうも! 次、行くからね!」


 馬鹿正直に付き合えばガードの上から削られる。防ぎ、アスカは確信した。肉の上から響く鈍痛が、骨にまで伝わっている。


(そうだ。いい蹴りだ。それは認めるぜ)


 だが、涼太や風香ほどじゃない。速さだけなら涼太を上回り、風香に匹敵するか。


「しかし動きが単調だ。涼太様は付き合うだろうが、私はちょっと厳しいぞ?」

 

 二度、三度と受け流したところでアスカは構えを変える。


 蹴りはリーチが長く拳よりも威力が出る。だが、その行為にはリスクが伴った。人間の歩行方法は原則として二足で行う。そのうち一方を攻撃するのに用いるのだから、これをリスクと呼ばずしてなんと言おう。


 どれほど強い力を持とうと、小鈴とて人間。人体の法則からは逃れられない。速度は賞賛に値するが、アスカの目をもってすれば反応できないわけじゃない。


「——っ!」

「軽いぜ、小鈴様! もっと太らねえとな! ちゃんと肉食ってるか!?」


 年頃の少女に掛けるには、あまりにも不躾な言葉。小鈴の軽く速い蹴りを受け止めながら、アスカはそれを口にした。


 そして防御は反撃への布石となる。アスカの剛腕は華奢な小鈴の足を捕まえると、そのまま抱き寄せた。


「組み手中の密着は不可抗力だよなあ! おぉう、これが女子小学生の香り……! すんすん、はぁん!」

「ねー! 真面目にやってよ、もう!」


 大真面目である。小鈴の足を自由にすればアスカはじわじわと劣勢に陥っていただろう。それを阻止するには掴むしかない。しかし、掴んだ後にできることは投げるか、締めるか。


 前者は小鈴に対し効果がない。なにせ、不意打ちで投げ飛ばしたというのに受け身を取って体勢を立て直す技量があったのだから。手を離したら最後、小鈴は身をひるがえして距離を取るだろう。


 後者であれば、勝負は簡単につく。小鈴の身体は涼太ほど頑強ではない。華奢な(といっても竜守家の基準でだが)小鈴の身体を鯖折りにするなどアスカにしてみれば朝飯前である。ヴァニがすぐそばにいるとはいえ、不要な怪我を負わせるつもりはアスカにはなかった。


 となると、必然的に選ばれるのは第三の選択肢。そう、セクハラであった。


「いいだろ? こうやって小鈴を抱きしめられるのだってあと何年できることやら……。人間の成長は早いからなあ」

「いい話にしようとしたって誤魔化せてないからね?」


 あと2、3年もすれば小鈴とアスカの実力差は逆転するだろう。早熟なうえに才のあった涼太は、今の小鈴と同じ頃にはもうアスカでは手に負えない相手だったが――あれは特別である。平均的な話でいえば、小鈴は歴代の竜守でも上澄みの部類だ。


 何人もの竜守を見てきたアスカだから確信していた。小鈴もいつかは自身を追い抜く力を秘めた子であると。


(ならその前に……! 組手という口実であれやこれやすることは悪いことか!?)


 猛焔竜アスカリオが竜守の地に居座ってから、その生きがいは竜守家の人間にセクハラすることだった。古参でヴァニフハールに大半の権能を奪われてなお、竜街地区にて圧倒的な力を持つ実力者でなければ、このような傍若無人ぶりは他の竜から諫められていただろう。


 なにより、古参という理由以外にも彼女を信用している点が竜守家にはあった。


「にしても小鈴様、ちょっとばかり力み過ぎだぜ。涼太様が不調だからって心配になるのはわかるけどな。今日の試験でこんな力を出しちまったら、普通の人間は死ぬんじゃねーの?」

「う……。本番では手加減するよ。相手がアスカちゃんだから、少し本気を出しただけ」

「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん。俺だから本気になった——それってつまり、プロポーズってことでいいんだよな?」

「違うよ?」


 小鈴のにべもない否定を、アスカは余裕の笑みで受け流す。


(やれやれ、焦らしてくれるじゃねえの)


 猛焔竜アスカリオは、その力を削がれてなお自信だけは過剰に持ち合わせていた。内省する能力はまったく無い。無いが——人を見る目だけは確かにあった。


 竜守家という血に盲目的な恋愛感情と、それに起因する偏執的なアプローチを除けば。猛焔竜アスカリオ改め、百日紅アスカの言葉は竜守家にとって、そのどれもが良き助言となっていた。


「いいか、小鈴様。気合いを入れるのはいいが、竜守家のお役目をそう重く考えることはねえぜ? 竜守家は小鈴様だけじゃねえし、なにかありゃ俺らだっている。私らじゃ力不足か?」

「そんなことはないけど……」


 そんなことはない。むしろ、大抵の問題を解決するなら過剰戦力。猛焔竜アスカリオほどとではないにせよ、その他の竜街地区に住まうドラゴンたちで解決できない問題はないだろう。


 しかし、小鈴の悩みはそこではない。


 ——自分は兄の代役が務まるだろうか。竜守家において、完成された素質の持ち主。


 そして、その答えは誰に問うまでも無く、小鈴は答えを出していた。


 答えは、否であった。

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