第32話脱出
「なんでダンジョンコアが壊れるんですか!? ダンジョンに人が残っていないことを確認して、必ず外で壊す決まりがあるじゃないですか!」
「全くじゃな。壊した奴はきっと冷蔵庫の麦茶を飲み切らず、意地でも自分で作ろうとせん性根の持ち主じゃ。気をつけよ、涼太」
「ツッコミ待ちか!? お前だろ、麦茶いっつも中途半端に残して俺に作らせてるのは!?」
カノンさんを抱えるヴァニが先陣を切り、殿を俺が務める。一刻を争う時間の中で、しかし誰もがその原因について考えずにはいられなかった。
通常、ダンジョンコアの破壊はダンジョン崩壊に他の冒険者が巻き込まれるのを防ぐため、外での破壊が絶対条件となる。
このダンジョンに入れるのは、俺たちを除いてS級冒険者のみ。そんな冒険者がライセンスの永久停止処分も免れない愚行を、はたしてするだろうか?
自然消滅の線もないだろう。モンスターたちは住処を守るため、本能的にダンジョンコアを守護している。余程のイレギュラーが存在しない限り、ダンジョン崩壊は人為的行為と考えてよい。
それ以上のことを考えても答えは見つからない。逆に考えれば、何者かの手によってダンジョン攻略——俺の竜守家としてのお役目は終わったわけだ。
まず分からないことは横に置き、迅速に脱出を図るべきだろう。満場一致で方針が決まり、こうして最速で離脱を試みているわけだが。
「こ、これ間に合いますよね!?」
「間に合わせるしかなかろう。なーに、コラボ相手を死なせるような真似はせん。大人しく我に掴まっておれ」
間に合わせるしかない。ヴァニの言う通り、今は余計なことを考えずに脱出だけを考えればいい。ヴァニの飛行速度に置いていかれないよう、少なくなっていく足場を跳ねながら俺も一直線に駆け抜けていく。
それにしたって、崩壊直前のダンジョンとは初めての経験だ。まるで作り物だと言わんばかりに空を描いた天井が割れ、地面の至る所に亀裂が走る。そこから溢れる黒い粘性の液体が、否応なく俺の生存本能を刺激した。
あれは絶対にヤバい。興味本位で触ったら絶対にマズい部類のヤバさだ。
「2人とも、言うまでもないとは思うがアレに触れてはならんぞ。触れたら最後、我でも助けられんからの」
いつになくシリアスなヴァニの言葉だ。彼女の言うアレが、あの黒い物体を指しているのは俺もカノンさんも察していた。
「アレってなんなんですか?」
「我ら竜は腐肉と呼んでおる。祖なる竜の腐った肉じゃ、今なお呪われる伝説よ。我も久々に見たが実に不快なことこの上ないのう」
「今度はなんのゲームに影響されたんだよ……」
「ちっ、違うわ! そういうもんなんじゃって!」
ヴァニが意味深に語るものだから、またいつもの騙りかと訝しめばどうやら違うらしい。
「アレを分かりやすく説明すれば、ダンジョンを創造、維持、そして破壊するものといったところかの。触れれば最後、ダンジョンの再構築に巻き込まれるじゃろうな」
マングローブの大木が激しい音を立てて腐肉に巻き込まれる。地面も、その上で必死に崩れ行く大地にしがみついていたモンスターたちも、例外なく腐肉が喰らっていく。生きた土石流の如きそれは、触れればまず助からないだろう。
アレに巻き込まれるのだけは絶対に御免だ。ダンジョンの再構築に巻き込まれる、とヴァニは端的に解説したが、その内容は漠然としているものの——死かそれ以上のものが待ち構えているのだろう。
「涼太よ、大丈夫か?」
「まだまだ余裕だけど」
「本当かの。男の子、出しちゃったりしとらんか?」
……当然、強がりである。そうでも言わなきゃヴァニは俺も抱えて飛ぶと言い出すに決まっている。カノンさんの安全のためにも、片手くらいは空けておかないとな。いざという時、カノンさんとヴァニだけは脱出させないと。
「出してないっての」
そして、そのいざってヤツは音もなく俺に近付いていた。
「あ、出口が見えてきました!」
カノンさんが言う通り、彼女の視線の先には崩落寸前の出入り口が見える。急げば間に合いそうだが、ちんたらしていたら崩壊に巻き込まれる——そんな壊れ具合を察した俺とヴァニの逃げ足が早くなる。
「涼太! 抜けられるな!」
「……っ! ああ、カノンさんを連れて先に出てくれ!」
先にヴァニとカノンさんの脱出を促す。2人の脱出を見届けてから、俺はふうと息を整えて構えた。
「出てこいよ。まさか手負いの人間にビビってるわけじゃないよな?」
周囲を見渡す。一見、どこにもモンスターはいないはず——そう、一見しただけでは。俺も今の今まで気付かなかったが。
ざっくりと斬られた右足の踵、正確にはアキレス腱を斬られれば、否応でも立ち止まらざるを得ない。外敵は今、竜守市とこのダンジョンを繋ぐ出入り口のすぐそばにいるのだから。
「へー。痛みで蹲ったり叫んだりしないわけ? もしかして君、そういうのに鈍い生き物?」
「……」
声は四方八方から反響してくる。男のような、女のような声音は人間のものとは思えないほど滑らかだ。
声の主の姿は見えない。意地でも姿は見せないつもりか。
だが、こんな芸当ができるのは人間じゃない。俺は深く構えて、全方位からの攻撃に備えつつその声の主の名を呟く。
「幻影竜アブードだな」
「……なんだ。僕の名を知っているってことは、僕が知ってるドラゴンの眷属だったりする? いや、それなら人間如きがディガに勝てるはずもないか……。となると、わざわざ名乗り上げたのか、ディガのヤツ。面倒なことをするなあ」
ダンジョンが崩壊寸前なのに、まるで意に介さず億劫そうな声で喋るアブードに苛立ちを覚える。小学校の頃、俺の夏休みの宿題を「新作のゲームが献納されたからお主も付き合え」と散々妨害してきたヴァニに通ずるものがある。
……いや、そんな可愛いもんじゃないか。
「悪いがアンタをこのダンジョンから出すわけにはいかないな。リザードマンを率いての地上侵攻は、我が竜に伺い立てるまでもない。この命に代えても逃がさないから覚悟しろ」
「おいおい、人間の分際で随分大きく出たね。君の命が僕の存在と等価だと思っているのかい?」
「価値の問題じゃない。覚悟の問題だ」
そして、竜守家の人間として、この町を守護する戦士として、覚悟はとうに済んでいる。
「そんな足でよく吠えるよ。普通は命乞いをする場面じゃないかな? 僕、強い奴は好きだからあんまり殺したくないんだよね。どうかな? 君のご主人様の名前を教えてくれるだけでいいよ。それで仲良くこのダンジョンから脱出と行こうじゃないか」
「……助けてやるから主の名前を出せってか。話に聞いた通り幻影竜ってのは性根が腐ってるんだな」
「挑発のつもり? 人間はもう少し賢しく立ち回ると思ったんだけどなあ……」
「賢しく、ね」
懐に隠していた石を、俺はあらぬ方向に投げつける。前ではなく、左斜め後方。影の揺らぎ、俺の声の反響。幻影竜と名乗るだけあって、探すのに集中力がちょっとばかり必要だったが——見つけたぞ。
「っ! このガキ……!」
「その感じ、ビンゴか? ほら、賢しく立ち回ってやったぞ。案外、幻影の名前は大したことないみたいだな」
「……はあ。いいよ、もう。僕は強い奴は好きだけど、僕に歯向かう奴はそれ以上に嫌いでね。死んでいいよ、お前」
これでも賢しく立ち回ったつもりだが。どうなら幻影竜アブードのお気に召さなかったらしい。
瞬間、どん、と俺の身体が吹き飛ばされる。眼下には、蠢く腐肉の波。右足の腱を断たれた俺に踏み堪える力が出せるわけもなく。
「腐肉の中で永遠に反省でもしていろ」
四方八方から響く、その中性的な声を聞きながら——俺は腐肉の中へと落ちていった。
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