第30話幻影竜

 さあ困ったことになったぞ、というのが半分と、まあこうなるか、という面白味のない結末に失笑したい気持ちが半分。その二つを飲み込むのは、さすがの僕も少し時間が掛かった。


「はあ……」


 思わず溜め息が漏れてしまう。いやはや、あのディガでさえ歯が立たないとはね。リザードマンの中で最も才能が溢れ、僕の加護を一身に受けた最強の戦士だったんだけどなあ。それがこうもあっさり討ち取られるとは、ちょっとだけ——ほんのちょっとだけ、気分が落ち込むな。


「終ワッタカ?」

「コレデ楽園ニイケル。蟹トオサラバ」

「ディガ、サイキョー。戦イ、見タカッタ」


 竜眼を解除してみれば、リザードマンのギョロッとした目が僕を見てくるじゃないか。気持ち悪いなあ……とは口が裂けても言わないさ。なんたって、彼らは僕の大切な家族だからね。


 しかし、ドイツもコイツもディガの勝利を確信していて、これっぽっちも彼が死んだとは思っちゃいない。……そりゃそうか。リザードマンの天敵だったあの蟹どもをほぼ1人で対応していたんだから、いつも通りなんとかしてくれると思うだろうさ。

 でも物事に絶対はない。常勝無敗の戦士であっても、その先の戦いで勝ち続けられる保証はどこにもない。今日がたまたま、ディガにとって最初で最後の一敗だったわけだ。


 ——なんてことくらい僕の加護を受けていれば、リザードマンの足りない脳みそでも考えられたんだけど。カタコトの言葉でたどたどしく喋る一般リザードマンにそれを求めるのは酷というものかな。


「ははは、もちろん。彼(の体格)の方が圧倒していたよ。君らの精鋭が瞬殺されたと聞いたときは、さすがの僕も肝を冷やしたけどね。なんだい、あんな人間に負けたのかい?」

「強カッタ! デモ、ディガホドジャナイ!」

「アンナノイル、キイテナイ! アブードノ目、頼リナイ!」

「おいおい、様を付けなさいよ。目上の存在は敬わないと大変なことになるって、僕は何度も言ってるよ?」


 何度言っても理解しないんだからなあ、もう。手のかかるトカゲたちである。


 とはいえ、徒に現実をありのままを伝えればどうなるか。怒るだろうか、悲しむだろうか。彼らの心情に寄り添える優しい僕は、これまた優しい嘘を吐くのでした。


 そして次のことを考えるのもこの僕の仕事だ。忙しいったらありゃしない。何を話していたかは知らないけれど、あの人間がここにきた理由はダンジョンコアの破壊とみてまず間違いない。


 ……僕が戦うって手も無くはないが、あの人間の背後にいる竜が誰か分からない状況でそんなリスクは取りたくない。もしかしたら、このダンジョンにいるかもしれないしね。


 となると、だ。僕が取れる選択肢はそう多くない。リザードマンを連れて地上へ行くには、残った連中の頭数が多すぎる。地上に連れて行く奴らを厳選する? いやいやいや、がそんなことできるわけないじゃないか。


 それにあの人間に加護を与えたドラゴンの正体が分からない今、リザードマンを連れて行くのは逆に僕の動きを阻害する。邪魔、と言い切ってしまってもいいだろう。


 ふむ。


「なにをぼっと突っ立てっているんだい。英雄の凱旋だよ。そんな物騒なものは仕舞って水牛の丸焼きを用意したらどうかな。犠牲となった同胞の鎮魂と、今日の祝勝、そして明日の侵攻の英気を養うためにパーティーをしなくっちゃね」


 パンパンと手を叩いて指示を出してやれば、可愛いリザードマンたちは「オオ!」と頷き、鉈をその場に置いてテキパキと各々の仕事に取り掛かる。


 男たちは捕まえた水牛をバラし、女たちは切られた肉を焼いて皿に盛り付ける。子どもたちはその辺の石と枝で地面に絵を描いて、ディガの勝利を讃えているようだ。


 うんうん、なんとも微笑ましい光景じゃないか。——本当、手放すのが実に惜しいよ。


 無防備になったトカゲどもを殺すのは容易だ。僕の尻尾に生えた見えない刃は、ドラゴンの中では弱い部類の武器だが、彼らの肉と骨を切り裂くことは造作もない。殺す優先順位は雑魚、雌、ガキの順だ。


 音も影もない剣戟を見抜ける戦士はこの場にはいない。あの人間が地上で殺してくれた奴らであれば見抜いたかもしれないが、幸いなことに雑魚の過半数に異常が起きるまで、俺の行動に連中が気付くことはなかった。


 あまりに鋭すぎる僕の剣技は、トカゲの首を刎ねてもその首が落ちるまで時間が僅かに掛かる。


「ア、エ?」


 ずるりと落ちる首。その切断面から、思い出したかのように血液が溢れてくる。わざわざ見なくても分かる。いかに強靭なトカゲどもも、首を刎ねられれば絶命する。


「アブード!? 何ヲ……!?」

「ほら、ちゃんと敬わないから大変なことになっちゃったね。言ったろ? アブードな? 何度も何度も優しく教えてやったのに、最後まで覚えないんだからうんざりしちゃうよ」


 僕の凶行を察知してか、置いていた鉈を持ち上げようとする雑魚が数体。しかし、もう遅い。雑魚の中でも反応が比較的良い奴らはもうすでに首を刎ねてある。


「おっと、君らはもう動かない方が——っと、言うのが遅かったか」


 屈んだ瞬間、絶妙なバランスで乗っていた首がゴトンと地面に転がる。ああ、言わんこっちゃない。


 しかし、これだけ派手になれば察しの悪い雌もガキも勘付いてしまうわけで。やれやれ、肉体労働は得意じゃないんだけど。


「何ヲ……何ヲシテ……!」

「何って、駆除だよ。恨むならあっさり負けたディガを恨んでくれよ? 彼のおかげでみんなで仲良く楽園に行く計画がご破産になっちゃったんだからさ」


 恨みがましい目で僕を睨んでくるが、そりゃお門違いでしょうよ。聡明なディガはともかく、他の連中は僕を畏怖こそしても敬意を払うことはしない。


 ディガは気に入っていたし、この場に彼がいれば他の手段を考えていたかもしれないけどね。彼のいないトカゲどもはこれっぽっちも興味が湧かないわけで。生きていようが死んでいようが、僕としてはどっちでもいいんだ。


 いや、どちらかと言えば死んでくれた方が嬉しいかな。僕の能力を知るトカゲはディガ以外にもいたからね。他のドラゴンと直接対決、なんて愚行はしないように立ち回るつもりだが、それでも万が一ということがある。ただでさえ弱い僕が、さらに不利になるような不安要素は自分の手で摘み取らないと。


 ものの3分と経たずにトカゲどもの駆除は完了する。悲鳴をあげても、その喉の振動でポロポロと首が落ちていくトカゲどもの姿は滑稽だったが、肉体労働の報酬にしてはショボ過ぎると思うな。


「さて、と。あとはコイツであの人間が巻き込まれてくれれば良いんだけど」


 透き通るような琥珀色の結晶石に手を触れ、躊躇なく握りつぶした。

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