第11話轟天竜、バズる
「……はあ」
初配信を終え、アーマード・アーミーアントの毒液と体液に塗れたドローンを洗いながら、今日何度目かの溜め息を吐く。
今日の救出劇で疲労困憊というわけじゃない。あんなもの竜守市では日常茶飯事だし、蟻毒でダウンしていた池内さん含め、全員無事という結果。救助作業でヴァニが手伝ってくれたお陰でだろう。
そう、救助作業ではなんの問題もなかったんだ。
問題はヴァニのヤツがでっかい声で竜守バスターズとかいうダサ……親しみやすい名前の命名をしやがった件だ。
別に名前に不満があるわけじゃない。ヴァニが相談無しに命名したことも、彼女が前向きに配信活動してくれるなら全然気にもしない。
だが、大声でというのがマズかった。どうやら、ピンチに陥っていたのは東雲カノンという有名なダンジョン配信者だったのだ。彼女のチャンネルの登録者数、約40万人——おいおい、竜守市の住民が全員ウチのチャンネルを登録しても届かない数字じゃないか。
そんな彼女の配信枠でヴァニは大々的に登場して名乗りあげてしまった。……登録者数の多い配信者が案件で企業の商品を紹介した場合、どれほどの金額が動くんだ。
アルバイトをしていない高校生に比べれば、働いている(というほど大層なものじゃないが)俺は少しばかりポケットマネーがあるけど。絶対に払える金額じゃないな……。
事故だ。ああ、事故だった。ダンジョン配信について、俺がもう少し明るければ未然に防げた事故ではあっただろうけど。ニュースサイトでは東雲カノンがダンジョン配信中に危険な目にあったこと、そして彼女が助けられたことを取り上げてしまっている。
40万人の東雲カノンさんのチャンネルにて無断で売名行為をした男女——そんな肩書きが竜守バスターズに付くまで秒読みの段階だろう。
「結果として、我らにも利のあるものとなって良かったではないか。のう、涼太?」
檜の匂いの中で、場違いな甘い香りが主張してくる。……我が家の無駄に大きな檜風呂に似つかわしくないその匂いは、ヴァニの口内より発せられているものだ。
エナドリの匂いだ。風呂に浸かっているヴァニは身体をのびのびと伸ばして、片手にスマホ、もう片手にはキンキンに冷えたエナドリと完全に贅を堪能しながらふやけていた。
「どうだかね。変に名乗り上げずに竜守らしく黙って助けるだけじゃダメだったのか?」
「なーにを言っとるんじゃ。短い人生の中でチャンスというのは早々回って来ん。我がいて良かったの、お主だけであれば我らのチャンネルは無名のままだったのではないのかの?」
「いやいや……」
毎日、とはいかなくても。週に2から3、できれば4回くらいコンスタントに動画を出せば……何人かは見てくれるんじゃないか。
「どうせ涼太のことじゃから、愚直に努力し続ければ報われるとでも思っとるんじゃろ。愛い奴め」
「……努力は大切じゃないって言いたいのかよ」
「そうは言っとらんじゃろ。大成するために不断の努力を怠る者はおらん。その点、涼太は竜守の人間としてよくやっておるよ。いや、やり過ぎておるくらいじゃな。この我がちょーっとばかり心配してしまうほどにの」
「別に、それしか能がないし。俺が不出来だと小鈴が竜守の責任を背負う羽目になるからな。……それだけは兄貴として避けないとだろ」
それっぽい理由はない。大成したいわけでもない。
「度し難いシスコンじゃのー」
「ほっとけ」
人類を愛している奴に言われたくないわ。
「しかし、ダンジョン配信でその愚直さを貫く必要はなかろうて。この我が配信するのじゃから、きっかけ一つあれば十分。そして、今日あの瞬間、我らの前にきっかけがあった。それだけじゃ」
「そりゃあお前が……」
不死身だから言えることで。悪評が流れようが、悪様に言われようが、その火種を知る者は絶対にヴァニより長生きすることはない。
そういった達観が、彼女を無防備たらしめているのだろう。脆く弱い人間には酷く情をかけるくせに、自分は無頓着。
悪事千里を走る——炎上の恐ろしさを、現代のインターネット事情に詳しいヴァニが知らないわけではないだろう。千里どころか全世界に発信される昨今、身の振り方はネットの存在しない世界よりも気を配らなければならないはずだ。
……思えば、あの場面。ヴァニが大声で竜守バスターズと名乗ったのは、売名とその行為の罪を一人で被るつもりだったのか。
「そう思い詰めた顔をするでない。我の愛しい涼太よ」
「……」
色白の手がエナドリの缶を置く。飲み干されたアルミ缶は、やけに軽い音を立てた。
湯船から素肌を晒すのもお構いなしに、その左手は俺の顎へと添えられる。
水の滴る美少女の全裸。あられもないその姿は、しかし厳かであった。ヴァニに羞恥はなく、その眼は真剣そのもの。
——なるほど、これは。
「エナドリが切れたな。もう3本目だぞ」
「……い、いやじゃな。まだなにも言ってなかろ?」
言わなくても分かる。何年一緒にいると思ってんだ。
「それじゃあ予想してやるよ。おかわりを持ってこい、そうだろ?」
「…………駄目かの?」
駄目でしょ。……と、いつもなら言っているところだけれど。
「1本だけだぞ。それ以上は母さんがキレる」
「おおっ、今日の涼太は話が分かるな! うむうむ、ようやく女心が分かってきたかの」
「エナドリをガブ飲みするのは女心にカテゴライズされねーだろ!」
あと、ヴァニを女と思ったことは一度だってないからな。
◆
「あれからネットを調べとるが、我らを悪様に言う者はそうおらんな。ごく稀に我らが売名のために東雲を窮地においやって救い出したマッチポンプだ、という可愛い陰謀論を振りかざす者がおるくらいじゃ」
「……さすがの俺も、そんな変化球は想像してなかったな」
「推測を語るだけなら過程や方法なぞ必要ないからの。愛いのう、実に愛い」
そんな人間の醜い部分を肴に、ヴァニは4本目のエナドリを豪快に飲む。紙一重で悪竜だろ、コイツ。
「何から何まですべて我の計算通りじゃ。我の計算ではそうじゃな……登録者は5000、いや10000人は固いじゃろうな!」
配信初日で10000人ねえ。なんのアテもない俺たちが、有名配信者を助けただけでそんな数のファンを獲得していいのだろうか?
あんな蟻を倒すことなんて、竜守家では日常的なことなんだけどな。
湯船でちゃぷちゃぷと小さく足をバタつかせ、ヴァニは俺たちのチャンネルを確認している。
「これでよし、と。お前にはまだ活躍してもらわないとな」
かなり奮発した甲斐あって、ドローンに傷は一つもない。汚ればかりはどうしようもないが、その度に俺が洗ってやればいい。
「ぬおわあああああああああああっ!?」
「だあっ!? 風呂場で大きな声を出すなよ! ビビっただろうが!」
ただでさえバカでかいヴァニの声が、風呂場の中で容赦なく反響する。危うくドローンを落とすところだった。頑丈な作りとはいえ乱暴に扱っていいわけじゃない。
「いやっ、いやいやいや! 涼太よ、この数字を見るんじゃ!」
「……へ?」
視聴者数、約250000人。今もなお、爆増させるその数字を前に俺は目を点にしてツッコミを入れずにはいられなかった。
「お前の計算ガバガバじゃねえか……!」
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