第12話轟天竜、調子に乗る
自尊心というものはまるで薬だ。適量であれば、きっと人生を豊かにするだろう。
たが、過度に摂取した場合。それはきっと毒になる。突然降りかかった幸運で、世界のスポットライトが自分に向いたとき——はたして人はその薬をどれだけ飲んでしまうのか。
「なんじゃ、小鈴よ。その物欲しそうな目は。ははん、さては我のアレが欲しいんじゃな?」
大きな食卓には大量の料理が並べられているが、それを囲むのは俺とヴァニと小鈴の3人だけ。それが竜守家の、いつも通りの風景だった。
母さんと父さんは、まだ竜守家のお役目で帰って来られないのだろう。ここに2人の食事はない。大量にある料理、その大半がヴァニの胃袋に収まるのだ。
そんなパーティでも始まるのかと思いたくなる3人前の料理を前にして、ヴァニが小鈴に妙なテンションで話しかけ始めた。
アレってなんだよ、と問いかけようとしたらヴァニに目線で制された。変な物じゃないだろうな……?
「あ、アレ?」
「くくく、我の口から言わせたいのか。どこでそんな手管を覚えたんじゃ?」
「え、ええっと……? ごめんね、ヴァニちゃん。なんのこと?」
「謝らんでもよい。駆け引きを覚えるのも女の嗜みゆえな。ほぅれ、大人気配信者のサインじゃ。礼はいらんぞ?」
どうやら人生の反面教師である我が家の竜は、樽いっぱいの毒を飲み干しても飽き足らないようだった。
事情も知らない小学5年生の少女相手に、鼻高々とダル絡みする女の姿をした——少なくとも女子高生くらいの女性に見える——ドラゴンに、威厳なんてものはこれっぽっっっっっっちも存在していなかった。
「ねえ、お兄ちゃん。ヴァニちゃんからサイン貰っちゃった。大人気配信者のサインだって。……なんて書いてあるか分からないけど、喜んでいいのかな?」
最愛の妹、小鈴が小さな声で俺に尋ねてくる。両手で大事に抱えた色紙には、癖のある達筆で当然のように竜守ヴァニと書かれている。
……現時点ではなんの価値もない。むしろ、真っ白だった色紙に落書きが書かれた分、色紙としての価値すら失ったゴミじゃないだろうか。
俺としては正直に言ってしまったほうが良いと思ったのだけど。視界の端でばちこーんと下手くそなウインクで合図を送ってくるドラゴンの主張は、さてどうしたものか。
「(かましたるんじゃ、涼太!)」
何をかますんだよ。……そんなツッコミを、なんとか喉元で堪える。
「ええっと、だな。俺たち
「そう! 今や我らのチャンネルは竜守市の者たちのみならず、世界から注目されておる。その数30万人じゃ! おいおい、こやつらに毎日一本エナドリを献上させるだけで1日に30万本も飲める計算じゃぞ。ヤバいのう!」
ヤベーのはその狂った思考回路だ。エナドリ1本200円として、それを31日。単純計算で毎月6000円だ。サブスクで6000円て、かなりのサービスだと思うんだが?
だが、コイツにはそれを可能にする唯一の方法がある。
「間違っても配信上ではそんなこと口にするなよ。察しのいい竜守市民が聞いたら、冗談抜きで大量のエナドリが届くからな」
「わ、分かっておる。我とて竜守市民から搾取するようなマネはせん。ドラゴンジョークじゃよ」
一応、釘は刺しておかないとな。
竜守市に住む人々は、その大半が轟天竜ヴァニフハールを信仰している。ダンジョンという、不安定な資源で生活を営んできた俺たちにとって、古くからその強大な力を貸してくれたコイツは、まさしく神と崇められる存在だ。
そんな背景もあって、竜守市民はコイツとコイツを守る俺たちにかなり甘い。引き篭もって姿を見せないくせに、ヴァニが「ビッグバーガーを食べたい」と宣えば、我が家にビッグバーガーがコーラとポテト付きで山のように捧げられたことがある(無論、全部ヴァニが食った)。……色々と尽くされ過ぎるから、竜守家としても申し訳なく思うわけで。
「よく分からないけれど、ヴァニちゃんすごいんだね! このサイン色紙、大事にするね」
「おお……、いい子じゃあ。竜守家で我を素直に褒めてくれるのは小鈴だけじゃ。どこかの唐変木や鬼ババと違って、我のこの偉大さをよく理解しておるの。飴ちゃんもやろうではないか」
言うまでもないことだが、俺の自慢の小鈴は心根が優しく健気である。幼い身でありながら、学業と竜守家の責務を果たす日々でダンジョン配信に欠片も興味が無いだろうに、ヴァニを悲しませまいと相槌を打つ姿は健気以外のなにものでもない。
働いてくれれば、俺も母さんもそこまで蔑ろにはしないんだがな。これも言うまでもないことだが、竜守家においてヴァニのカーストはかなり低い場所にあったりする。
轟天竜ヴァニフハールを守る——それが竜守家の使命の一つ。が、それはそれとして、竜守家の一員となっている竜守ヴァニの扱いは、竜守家当主に委ねられている。彼女の名誉のために伏せるが、俺がこのように扱っている時点で、歴代の当主がヴァニをどのように見ていたのか。……これ以上は野暮だろう。
「お前な、ここにいないとはいえ母さんを鬼ババとか言うなよ」
「な、なんじゃ、涼太。チクるつもりか」
「……ビビってるなら言うなよ。でも一応、ダンジョン配信でバズったこと、母さんに報告しないとさ。活動の許可は貰っているけど、ことが大きくなったから飜る可能性だってあるんだぞ。だから、あんまり心証が悪くなることは言うなってこと。分かったか?」
「はぁん? なーにを勘違いしておる。目を離した隙に清一郎とジョグレス進化して、今では鬼ババ当主になっておるがの。元は己の悪筆を恥じて我に清一郎への恋文の代筆を頼むような可愛げのある女じゃ。なにより、その貸しが我にはある。だからこの件は我がいいと言ったらいい。お主もそう思うな?」
その、瞬間だった。
ひやりと背筋に冷たいものが走る。殺気、だと? ダンジョン内ならともかく、この竜守家の敷地内で!?
右? 左? 前か、後ろか? いや、そのどれもが違うようで、合っているような、この悍ましい怒気を孕んだ殺意は——!
「……ずいぶんと、楽しいお話をしているわね。ヴァニ?」
「なっ、なんじゃとお————っ!?!?」
音もなく、ヴァニの背後の襖が開いて細い腕が彼女の首に絡みつく。
「か、母さん。帰ってたんだ?」
「お母さん、お帰りなさい!」
「ただいま、2人とも。そうそう、涼太。アナタ、ネットでニュースになっていたじゃない。お母さん、驚いちゃった」
今、目の前で起きていることは気にするなと言わんばかりに。母さんはいつも通りの笑顔で会話を続ける。——ヴァニにヘッドロックを掛けながら。
「ああ、見てたんだ。そのことなんだけどさ」
「配信活動のこと? いいわよ、続けても。ちゃんと冒険者の方々を助けたんだから、お母さんから文句はありません。よくやったわね、涼太」
……当然のことをしたまでなんだから、面と面を向かって褒められると恥ずかしいな。絵面が最悪だったおかげで、なんとかにやけずに済んだけど。
「ヴァニも。いえ、ヴァニフハール様も。涼太へのお力添え、感謝しています」
「お、おお……! 苦しゅうないぞ! いや、今めちゃくちゃ苦しいんじゃが! 感謝の意を伝えるなら、このヘッドロックを外してもよいとは思わんかの? のう!?」
「それとこれとは……あのお話は、墓場まで持って行く約束では?」
「おい、我が不死身であることを忘れたか!? もう時効じゃ、時効!」
「ふんっ!」
「ぎゃああああっ! 割れるっ、味噌が出る! り、涼太! 助けるんじゃ、涼太ァ!」
……いや、どうしようもねえだろ。
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