第5話東雲カノン、窮地

 簡単な配信になるはずだった。S級冒険者を四人、護衛として付き添ってもらい少し難易度の高いダンジョンを攻略する。そんな甘い認識が間違いであったと気づいたのは——単独で帰還が困難な5層に突入したところであった。


「くそっ、なんだコイツら! 5層から突然強くなりやがって!」

「連携する脳みそがあるし、そもそも数が多い! 囲まれたらヤバいぞ!」

「動きを止めるな! 彼女を守りながら退きつつ態勢を立て直すぞ!」

「さっきまであっさりやられてたのは、私たちをここまで誘き寄せるための罠だっていうの!? 小賢しいにも程があるでしょ……!」


 状況は最悪だった。前も後ろも、右も左も。私を守るために雇われたS級冒険者たちの口から、聞きたくない台詞が悲鳴混じりに飛び出す。


 まるで、私たちの運命を悟ったかのように自動で配信にフィルターが掛かる。配信動画に自動でフィルターが掛かるとき——それは、配信者が死ぬときだ。


 わらわらと集まってくる昆虫系のモンスター。表情なんかないはずなのに、そのどれもが獰猛な笑みを浮かべているように見えた。


 人間よりも巨大な昆虫の威圧感は、私が被捕食者側だと否応なく認識させる。


 最初は、本当に弱いモンスターばかりだった。S級冒険者が4人がかりで連携して戦えば、余裕をもって倒せる強さで……それが1層、2層と続く退屈な冒険だった。当然、そんな強さでは配信に流せるような映像なんか撮れるはずもなく、それどころかここが竜守4号ダンジョンかと疑うコメントさえ流れていたほどだ。


 それが、こんな……S級冒険者が四人もいるのに、一人としてモンスターに有効打が与えられないなんて。それどころか、ジリジリと追い詰められ——状況は今に至る。


「竜守市に救援要請! 早く!」

「もうやってる! ただ5層は竜守市の救援可能圏外だし、俺たちは被救助者の対象外なんだよ! 期待はできねえ!」


 絶望に拍車が掛かる。竜守市にはダンジョンで窮地に陥った冒険者を助けてくれる人がいる、という噂はあった。


 それは半分本当で、半分嘘。ダンジョンの発生率が高い竜守市は、その冒険者人口もあってダンジョン内の死亡事故を減らすために冒険者を救助してくれる職員が存在する。

 だけど、それは低難易度かつ被救助者が新人冒険者に限った話だ。


 私はダンジョン配信者で、雇ったのは全員S級冒険者。さらに、竜守4号ダンジョンは低難易度ダンジョンではない。そのどちらも対象外だ。ならば、そこから先の冒険で起きることは自己責任ということになる。


 だから、こうなったのは自己責任——なんて納得できるわけがない。


「誰か……助けて!」


 望みが薄いことなんて百も承知。藁にも縋るこの姿が滑稽だと笑ってくれてもいい。


 死にたくない。その一心でスマホに向かって叫ぶ。


"S級で苦戦してるから、やっぱり人間が行っちゃダメな場所だったんだよ"

"フィルター掛かってんの俺だけ? よく見えないんだけど"

"死なないで! 頑張れ!"

"俺たちじゃ無理。現実は非情である"

"視聴者なんてこんなもんだよ"

"諦めなきゃなんとかなる! 頑張れ頑張れ!"

"竜守の市役所に連絡してみたけど、反応はあんまり良くなかったよ…"

"俺も連絡したら、「その件については承っております」って言われたわ。ついでに配信者の視聴者はあんま連絡するなって遠回しに釘も刺されたよ"


 流れていくコメント欄はどれも私に現実を叩きつけた。いつもは私に勇気をくれるコメントも、なんの役にも立たない応援と報告で埋もれていく。


「カノンちゃん! 悪いけどスマホを見るのは後回しにしてくれ!」

「俺たちじゃもうカバーしきれないぞ! 注意は引くが、流れ弾は自分で防いでくれ!」


 それはS級冒険者の矜持と、護衛の職務を放棄する言葉だった。


「そんな……!」

「死にたくなかったら生きて帰ることに集中しろ!」


 ダンジョン配信者は冒険者ほど危険を冒さなくていい。そんな幻想を叱咤と共にS級冒険者のパーティリーダー、倉田さんが私に投げる。


 20代後半の倉田さんは、ダンジョン過疎地帯でS級まで上り詰めた猛者だと聞いていた。山崎さん、池内さん、村瀬さんは彼と小さな頃から友人であり、揃ってS級に到達した実力者である。

 実際、その技量を私は疑わなかった。先日、ようやくB級冒険者としての認定を受けた私と彼らでは雲泥の差がある。


 だから、些細な違和感を口にすることができなかったのだ。


「一匹ずつ叩くことはできそうにないな。倒すことを目標にしなければ受けきれない強さじゃない! 俺が突破口を開く! カノンは俺の後ろに、三人は多数を受けつつついて来てくれ!」


 また、この違和感だ。倉田さんの力量はS級相応。だから、彼の判断は間違いないはずなのに。

 

 その判断に頷けない自分が、私の中に確かにいたのだ。


「待っ——!」


 待って、と。その指示に異議を唱える間もなく、四人は動き——それを合図に、状況もまた大きく、そして悪い方向へと動いてしまった。


 まるで、私たちの陣形が崩れるのを待っていましたと言わんばかりに、木の陰や岩の陰から大型の蟻たちが這い出てくる。


「な、に?」


 蟻たちの目は、明確に倉田さんと私——正確には、私と村瀬さんの女性グループと、倉田さん、山崎さん、池内さんの男性グループだ——を明確に見極めていた。


「村瀬! 逃げろ!」


 嫌な予感。嫌な想像。それが爆発するように一瞬で膨らむ。


「この、離せ! 離しなさいよ!」


 角のように巨大な牙で胴をあっさりと挟まれた村瀬さんは、蟻の頭を剣で斬りつける。だが、その攻撃とも呼べない抵抗は、巨大な蟻を少しも怯ませることはなかった。


「コイツら、まさか男と女を判断して……!?」

「村瀬の援護に入るぞ、いいな倉田!」

「待て、山崎! 今は無理に動くな!」


 見捨てるしかない。ここは非情な判断を下す場面だ。でも、その判断を下せる人間なんてこの場にはいなかった。


 それが蟻も分かっているのだろう。あと一歩、頑張れば手が届きそうな場所で村瀬さんを掴んで見せびらかしている。


「野郎、舐めがって! 村瀬を離せ!」


 そして、その一歩に最も近かったのは池内さんだった。

 裂帛の気合いとともに踏み込む。盾を捨て、両手に持った直剣の一太刀は、鋭く、正確に蟻の牙を切りつけた。


 ——が。


「嘘だろ……!?」


 牙に傷一つ、どころか。バキン、という痛々しい音とともに池内さんの剣が折れてしまった。


 まるで、それは私たちの戦意を象徴したかのようだった。強大な蟻モンスターの群れを前に、希望なんか持てない中で振り絞っていた気力が、今、この瞬間——ぽっきりと折れてしまった。


「……っ! 避けろ、池内!」

「ぐっ!?」


 カウンターのように返されたのは、蟻の腹部の先端から飛び出た刃状の針。それが池内さんの左腕を容赦なく切りつけた。


 針を濡らす謎の液体が不気味に地面へ垂れる。もしも、もしもあれが私の知る蟻の生態に酷似したものなら——毒液だ。


「ぐ、ぉおお……!」


 毒による激痛で、池内さんが苦悶の声を漏らす。


 状況はもう、取り返しがつかないほど最悪だった。


「……お願いです、神様。助けてください」


 助けてください。なんでもします。どんなことでもします。だから、どうか、私たちを助けてください。


 自分は信心深い人間じゃない。困ったときの神頼みで、助けてくれる神様がいるわけないことも重々承知している。


 でも、もう縋れる相手は神様しかいなかった。


「ふむ、そこの小娘よ。次から竜守では神ではなく竜に頼むがよいぞ」


 そして、私の願いは——神ではない、何者かの耳に入ったようだった。

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