王宮舞踏会①

 


 王宮舞踏会当日。姿見の前で最後の確認を侍女達とし、執事が呼びに来て頷いた。婚約者もいなくなり、兄も領地送りになったベルティーナは今夜エスコートをしてくれる父が待つ玄関ホールへ向かった。


 昔だったら絶対に有り得なかったが今なら何だって現実になりそうな気がする。ビアンコやクラリッサを領地送りにして少し落ち込んではいた父も現在は気を持ち直し平穏に過ごしている。

 当主教育の厳しさは王妃教育を耐え抜いたベルティーナにはなんてことはなく、学ぶ量も記憶する量も内容が違うだけで大差ない。



「お父様」



 呼ぶと父の濃い紫色の瞳が振り向いた。毛先に掛けて青くなるのはベルティーナだけだが黄金の髪と濃い紫色の瞳は二人同じ。アニエスがベルティーナに執着していた理由も分かる。


 愛する兄に似た娘。アニエスが欲しかった娘。


 兄との子だから可愛がっていたクラリッサが夫との子だと知ったアニエスの言動は母親として失格だった。母に拒絶された時のクラリッサは可哀想だとは思うが以降はやっぱり自業自得だと自分を納得させた。



「留守を頼む」

「お任せください」

「行ってらっしゃい」



 王宮舞踏会にアルジェントは連れて行かない。家令と共に屋敷の留守を預けた。



「行こうか」

「はい」



 差し出された手を取って外に出て馬車に乗った。


 向い合せで乗り込み、過行く景色を無言のまま眺めていたら不意に声を掛けられた。



「今日、王家から王太子殿下についてある発表がある。ベルティーナは聞いているか?」

「いえ。ただ、殿下から今日何かを公表するとは聞いております」

「そうか」

「お父様は何かご存知で?」



 父は少し考えた後、どうせ知るのが今になろうが後になろうが同じだとして言わなかった。ベルティーナもそれ以上は聞かなかった。

 ただ、あの時のリエトの様子から重大な何かが公表されるのだとは肌で感じた。


 問題が起きない事だけを祈ろう。


 舞踏会会場前には多くの馬車が停車していた。場所も決められておりアンナローロ家も例外ではない。騎士の誘導に従って馬車を停車させた御者が扉を開けた。


 父の手を借りて馬車から降りると多数の視線が父娘へ集中した。

 既に多くの貴族が例の件を知っている。好奇の視線を向けられても怯まず堂々とすればいい。


 入場は下位貴族から始まる。公爵家は王家の前となるので順番待ちが発生する。次々に名を呼ばれ入場する貴族を眺めていると愛らしい声がベルティーナを呼んだ。

 見ると胸元をやたら開いた妖艶な赤いドレスを着熟した令嬢が扇子を開いて近くまで来ていた。



「お久しぶりベルティーナ様」



 スペード公爵の孫リディアは王太子妃の座を狙っていた令嬢の内の一人。茶会等で顔を合わせると必ずうざ絡みをしてきた面倒な相手だ。面倒くささを表面に出さず、仮面を貼り付け適当に会話をしているとリディアの目はベルティーナから父へ移った。



「アンナローロ公爵様は随分大変な目に遭ったと父や祖父から聞いております。婚約破棄されて相手のいないベルティーナ様のエスコートをする役目お疲れ様です」



 婚約破棄の件も既に知れ渡っている。遠回しな嫌味にベルティーナも父も反応は示さず、礼儀的な言葉を述べるだけに留めた。期待した反応を貰えず苛立つのはリディアの方。



「私共よりスペード公爵は如何お過ごしですか? 陛下に頭の事情を大勢の前で暴露されて大変だったとお聞きしておりますわ」

「っ」

「大変ですわねえ、髪の毛を大層気にしておられたのに努力が無駄になって」

「なによ! お祖父様を馬鹿にして!」

「あらあ、私は事実を申しただけでしてよ? 他家の事情を気にするより、ご自分の家族を気にして差し上げては?」



 次期当主として忙しく過ごしていた最中、ひょっこりと訪問したイナンナは父の様子を見て驚いてはいたがベルティーナが理由を話すとどこか納得した様子を見せ、薬剤師に調合させた薬を渡された。帰る間際、国王にカツラを暴露されたスペード公爵は現在部屋に引き籠って誰にも会おうとしないと教えられた。たったそれだけの事で心折れるとは国王も予想外だったらしく、少し気にしてはいるらしい。イナンナからしたら大爆笑するネタを提供してもらえて満足である。


 巧妙に作られたカツラはスペード家の面々も気付いていなかったらしく、知った当初は一驚したくらいでカツラを暴露されて心折れるとは予想外だった。


 事実を指摘したらリディアは顔を赤く染め上げ、それ以上は何も言ってこなかった。

 スペード公爵家の入場時間がくるとリディアは探しに来た父親に連れられて行った。



「打たれ弱いのは血筋ですわね」

「そうだな」



 スペード公爵家の次に別の公爵家が呼ばれ、アンナローロ家が呼ばれた。


 大きく名前を呼ばれ堂々と入場した。視線の数は更に多くなっても気にしない。国王夫妻が座る玉座に行く。側には王太子リエトと第二王子アレクシオ。


 ――あら?


 アレクシオの側に見慣れぬ女の子がいた。身形からして高位貴族だろうが随分と幼い。四、五歳くらいだろうか。側にいる侍女に笑い掛けてはアレクシオにも話し掛けている。


 今日公表される内容に彼女も入っていそうだ。


 考えられるのはアレクシオの婚約者だ。





 王族への挨拶を終え、人混みに紛れ給仕から飲み物を受け取ったベルティーナはアレクシオの側にいる女の子が気になった。赤みがかった銀髪と赤い瞳。髪の色は帝国の皇族に受け継がれる色だ。だとしたら、有り得る可能性はただ一つ。



「今日はよく集まってくれた。今宵は思い思い楽しんでほしい」



 貴族達からの挨拶が終えると玉座から国王は声を上げた。



「舞踏会を始める前に公表する事が二つある。一つは、この度第二王子アレクシオとヴァージア帝国第一皇女エレルリーゼ殿下の婚約が決まった」


 


「ヴァージア帝国は確か四人の皇子殿下がいらっしゃいましたね」

「ああ。皇帝はどうしても姫が欲しかったらしくてな」



 第一皇子は皇太子となり、第二皇子から第四皇子はそれぞれ公爵家・侯爵家等への婿入りが決定している。ベルティーナの記憶が正しければエレルリーゼ皇女は今年で五歳。アレクシオは十歳。政略結婚ではあるが歳の差はあまり気にならない。

 次に、と国王が発しベルティーナは意識を向けた。二つ目が王太子に関する発表だろうと。



「二つ目は、王太子の地位を第一王子リエトから第二王子アレクシオへ変更とする」



 一瞬、シン……となる会場ではあったがすぐにざわめきが包み込んだ。何を聞かされたかベルティーナでさえ理解するのに時間が掛かった。



「な、な、どういう……」



 嫌われていても王宮でリエトが王太子になるべく努力してきた姿を間近で見ていたベルティーナには信じられない話で。思わず父を見るとやはり知っていたようで、驚く様子もなくじっと前を向いていた。



「お父様は聞いていたのですか」

「ああ」

「なぜ、殿下は」

「王家にとって二つのメリットが生まれたからだ」



 国王の話を聞きつつ、父の話にも耳を傾けた。



「ヴァージア帝国の皇妃はリディアンヌ=スペード公爵令嬢だ」

「!」



 嘗て国王が王太子時代だった時の婚約者で、婚約破棄されスペード家を追放された令嬢の名前だ。


 父親である公爵はともかく、令嬢の兄が密かに妹を助けていて、ヴァージア帝国にいる友人に託した。皇帝とは仲が良く、令嬢の能力を知っていた皇帝が令嬢を皇妃として娶りたいと申し出た。


 イナンナには元気にしているとだけ聞いたので驚きだ。



「リディアンヌ様はその後帝国の侯爵家の養女となって皇妃として迎えられた。皇后陛下は第四皇子を出産後体を壊されてしまい、子供を産めなくなってしまったんだ」



 皇后、皇妃の関係は良好で皇妃が皇女を身籠った際も祝福していたとか。

 今回のモルディオ家とアンナローロ家の件を帝国は密かに入手したらしく、王太子とアンナローロ家の婚約破棄の件も含まれている。



「最初、エレルリーゼ様とリエト殿下の婚約を打診してきたのだ」

「殿下と……」



 成人を迎えたリエトと五歳の皇女。皇女が成人する頃にはリエトは三十代半ば。まごうことなき政略結婚である。



「ヴァージア帝国との親密な関係、スペード公爵家との関係修復。一度に二つを成し遂げたい陛下は苦悩されたようだが、リエト殿下が王太子位を降りる決断をされた」



 帝国が望むのは皇女を王太子の婚約者にすることであって相手が第二王子になろうと王太子であるなら問題はない。王家預かりとなった旧モルディオ領を未だ狙う貴族も多く、虎視眈々と機会を窺っている。



「本来であれば、アレクシオ殿下が成人し、臣籍に下った際に新たな公爵として授けるつもりでいたんだ」

「そうだったのですか」



 父が詳細を知るのは国王が時折父の様子を見に屋敷を訪れ話を聞いていたからだ。ベルティーナは初耳で、密かな訪問で家令にしか知らせていないと聞かされた。



「では、旧モルディオ領は……」

「リエト殿下が新たな公爵位を授けられる時と同時に旧モルディオ領も殿下に与えられる」



 全てを話し終えた国王は舞踏会を楽しむようにと言い玉座から降りた。人々のざわめきは止まらぬがまずはダンスを踊ろうと徐々に中央へ出る男女が増えていった。




 

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