ビアンコではなく、ベルティーナが③


 退院したビアンコとクラリッサを入れた馬車が戻るのをアルジェント、家令の三人で玄関ホールにて待った。若者特有の自己治癒能力の早さの甲斐あって予定より早く退院が可能となった。幸い二人とも傷跡はなく、後遺症もないと診断された。



「お兄様もちょっとは頭を冷やしてくれているといいけど」

「そうであると祈りましょう」



 ビアンコを信じたい気持ちがありながら、声色に若干の諦めが含まれている家令の言葉を気にしつつ、大きな扉が開かれた。扉の先には退院したビアンコとクラリッサ。入院直後に見た痛々しい包帯や怪我は一切ない。使用人が二人の入院中の荷物を持って入ると家令が一歩前に出た。



「お帰りなさいませ、ビアンコ様。クラリッサ様もようこそ」

「ああ。父上は何処に?」

「旦那様は――」


「此処にいる」



 戻ったら二人を執務室へ連れて行くと段取りをつけていたのだがいつの間にか父はすぐ側まで来ていた。一か月も経つと家令の支えなくても歩けるようになった。顔色も随分と回復し、貴婦人の視線を独占した美貌も戻り始めている。


 まだまだ回復に時間が掛かるのは母。離縁はしていないがトラウマしかないアンナローロ公爵邸にいるより、実家に戻した方がいいと母方実家と父が相談した結果、母は実家から連れて来た侍女と共にアンナローロ公爵邸を離れ生家の領地で療養している。

 未だ父へ呪いの言葉を紡ぎ、発狂していると聞く。長く時間が掛かっても母の治療に金も時間も惜しまないと言うのは父の台詞。

 ベルティーナも今後母が回復するまでは顔を合わせない方向となった。一度だけ、様子を見に顔を出すと、父にそっくりなベルティーナを見た母は発狂しだした。ビアンコを呼んでと言われ今は不在だと話したら、ベルティーナをアニエスと勘違いしだし襲い掛かった。幸いにもアルジェントや他の使用人が抑え怪我をせずに済んだ。


「どこをどう見たら、ベルティーナがモルディオ夫人に見えるんだか」とアルジェントは呆れていたが、精神を狂わせた人の視界は常人ではきっと想像も浮かばない世界となっているのだ。



「ビアンコ、クラリッサ。退院出来て良かった」

「只今戻りました、父上」

「お、お久しぶりです伯父様」



 ベルティーナ達の側まで来た父にビアンコは前に出て得意げな表情をした。



「父上、僕が戻ったからには安心して領地で休んでください。後は、次期公爵たる僕が全てやります」

「ほう?」

「ですがそれには条件があります。クラリッサを僕の妻として迎えさせてください」



 ……退院してもビアンコは変わっていなかった。

 肩を落としたベルティーナと家令。アルジェントは笑うのを堪える。



「昔父上がクラリッサとの婚約を反対したのは、クラリッサがモルディオ家の一人娘だからでしたよね?」

「ああ」

「モルディオ家はもう存在しない。行き場がないクラリッサを僕は守りたい。父上、どうかクラリッサとの結婚を許してください」

「クラリッサとの結婚が次期公爵になる条件とお前は言うのか?」

「ええ。でも、僕がいなくなると困るでしょう? 次期公爵として育てた僕がいなくなれば、残るのは王太子殿下との婚約を勝手に破棄したベルティーナしか残らない。けどベルティーナは跡取り教育を受けていない上、家を出ると以前言っていた。僕しかアンナローロ家の子はいなくなる」

「……そうだな」



 これ以上ビアンコに喋らせて落ち込む父を見ると同情はしないが何とも言えない気持ちになる。子供の頃ならまだしも、今は自分で判断が出来る大人だ。何が良いか、悪いか分からない子供じゃないのに。自分の意を通そうとする姿はアニエスと同じだ。

 隣で小さくなっていたクラリッサも結婚を許してほしいと父に願い出た。



「伯父様、お願いします。ビアンコお兄様とわたしの結婚を認めてください。ベルティーナお姉様」



 次はベルティーナに対象が変わった。



「ベルティーナお姉様はアルジェント君を置いて公爵家から出て行ってください!」



 クラリッサの予想を斜め上へいく発言に眩暈がしたのはベルティーナだけじゃない筈。心底呆れ果てるアルジェントが口を開く前にベルティーナが声を発した。



「ビアンコお兄様と結婚するなら、アルジェントは貴女に必要ないじゃない」

「アルジェント君は優秀だから、ビアンコお兄様は私の愛人になっても今後も公爵家の為に働くなら置いていいと許してくださいました! アルジェント君だって、公爵家にいたい筈です!」

「……だ、そうよ。良かったわね、次期当主公認の愛人で」

「良くないよ」



 入院する前の方がまだマシな頭をして……なくもない。


 全く話の通じない相手とは入院する前はまだ完全に思っていなかった。公爵家を継ぐ条件を突き付けて来る自体予想外だった。家令の言う通り兄に婚約者がいなくて正解だ。いたら相手の令嬢だけではなく、相手の生家にも向ける顔がない。

 過去の初恋を引き摺り、クラリッサと結婚するには今しかないとビアンコが考えているのは丸分かりで。ただ、開口一番発言をするとは……と失望と呆れが同時に押し寄せる。性格や兄妹仲はどうであれ、次期公爵としては確かだと思っていた自分が馬鹿だったようだ。

 どうせ、此処に母はいない。父がいても昔のように兄を泣かせたという理由で叱られも殴られもしない。自分の意思を取り戻した父が妹に泣かされて親に言い付ける兄を見たらどんな対応をするのか見てみたいという意地の悪い考えもあり。


 ベルティーナは得意げに胸を張るビアンコにとある旨を訊ねた。



「ところでお兄様とクラリッサはどうして護衛もつけず湖へ? 今の状況で二人湖へ行くのは百歩譲って何も言いません。ですが護衛も無しとなると話は別です。理由をお聞きしても?」

「そ、それは」



 ビアンコの顔色が明らかに変わった。



「誰も来てくれないからですよ!」



 口を噤むビアンコの代わりとばかりにクラリッサが説明をした。



「わたしとビアンコお兄様が湖へ行くから護衛として同行をと言っても、屋敷の護衛の方達は誰一人来てくれなかったのです!」

「私が説明します。あの時は奥様も旦那様も倒れられ、邸内は混乱しておりました。そんな時に長男であるビアンコ様をクラリッサ様と湖へ行っている場合ではないと私が止めたのです。無論、護衛達にも二人を外へお連れしてはならないという意味で護衛を断らせていたのです」



 護衛無しで遠出はしないと思っていた家令の予想は見事に外れ、二人は馭者に無理矢理馬車を出させ出発してしまった。矛先を家令に変えた二人の言いたい放題の有様に今度は父が「ビアンコ」と低い声を発した。



「さっきのクラリッサと結婚したい件についてだが許そう」

「え!? 本当ですか父上!」

「ああ」

「ありがとうございます! ベルティーナ! 後はお前がその従者を置いて出て行けば事は全て丸く収まる! 分かったらさっさと従者を置いて出て行け!」

「出て行くのはお前とクラリッサだ」

「は?」



 前日、父と話した通りになってしまったと額に手を当てたくなるも今は耐える時だと動かなかった。クラリッサとの結婚を認められて有頂天になったビアンコは突然の宣言に唖然となった。クラリッサも然り。結婚を認めてもらえばアルジェントも漏れなく付いて来ると本気で思っていたのだ。



「ち、父上?」

「婚姻届を出し次第、お前達を先代夫妻のいる領地へ送る。二度と王都に戻るな」

「何故ですか! クラリッサと結婚を許すなら、父上の跡を僕が継ぐのが……!」

「アンナローロ家はベルティーナに継がせる。ベルティーナとも話は済んでいる」

「は……?」



 今度はベルティーナに唖然とするビアンコ。

 はあ、と溜め息を吐いたベルティーナはビアンコ達が戻った最初の対応次第で公爵家を継がせるか、領地へ追い出すか、どちらかが決まると語った。開口一番、誠心誠意謝罪していればクラリッサとの結婚は無理でも公爵家は継げた。だが戻って早々にクラリッサとの結婚を条件に公爵家を継ぐとビアンコが言い出した時点で決まってしまった。



「な……何故、何故お前がっ、今まで跡取り教育を受けてこなかったお前が公爵になるんだ!」

「お兄様達が入院している間、お父様の手伝いをしていました。学ぶ量も記憶する量も王妃教育と大差ありませんでした。今から学んでも必ずやりとげる自信はあります」

「次期公爵は僕だ!」

「その未来を自ら潰したのは貴方です」



 アルジェントの言う通りになったと内心苦笑した。始めは馬鹿な話だと考えもしなかったのに。



「父上考え直してください。ベルティーナが公爵になれる訳がないっ。こんな可愛いげのない女が公爵になったら……!」

「爵位を継ぐ者に可愛さは要らん。必要なのはその素質と資格があるかどうかだけ。ベルティーナには十分ある。これからも家令と共に私のサポートをして覚えてもらうつもりだ」

「な……なら……僕は……」

「クラリッサと結婚後、領地へ行ってもらう。大聖堂で誓いを立てるといい。それくらいの費用は出す。希望するなら花嫁花婿衣装も用意する。他に必要なのは結婚指輪か」



 聞く耳を持たない父を今度は呆然と見るビアンコ。クラリッサも固まったまま。



「ねえ、アルジェント」小声で話し掛けるベルティーナ。


「貴方は呆れてない?」

「何の話?」

「家を出て行くと言った私が家を継ぐことに」

「いいや? ベルティーナらしいよ。本来の理性を取り戻した公爵と君を見ていると多分こうなるかなとは思ったよ」

「意志がぐらぐらする人間でしょう?」



 自嘲気味に笑うベルティーナに「そんなことないさ」と笑んだ。



「人間臭くて俺は好きだよ。一つの事を最後まで貫き通せる人間はそうはいない。ましてやベルティーナの場合は状況が状況だ。このまま家を出て行ってずっと気にし続けるくらいなら、いっそ当主になって君らしい采配をしたらいいさ」



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