ビアンコではなく、ベルティーナが①


 


 重傷を負った兄の代わりとして、父の仕事を手伝うようになって早五日が過ぎた。領地から送られていた嘆願書の量に驚いたが、五日前以前は色々あり過ぎて執務が滞っていたせいだと家令に話され、それもそうかと納得してまずは嘆願書の整理から始めた。


 一枚一枚内容を読んで簡潔に纏め、全ての嘆願書を読み終え纏めた内容を父に渡した。執務室にいる父に書類を渡すという行為を初めてした。話があるからと呼ばれたのは多々あれど。


 五日目の今日は領地にある橋の修理に掛かる費用と日数の計算、特産品であるリンゴの豊作により例年より高い収入を得られた事による領民への還元、更に領地にいる父方祖父母への処置。

 今回の騒動を聞きつけ本邸に駆け付けるなり、父にアニエスを助けろと言い出した。唖然とするベルティーナと違い、父は分かっていたのか淡々と断って先代夫妻を追い返した。


 もっと怒るべきだと憤慨するベルティーナに父は変わらず淡々と無駄だと首を振った。



『あの人達は元々娘が欲しかった。息子は跡継ぎの為に欲しかっただけで、娘のアニエスを溺愛していた』

『元を辿れば、お祖父様とお祖母様がアニエス叔母様を付け上がらせた原因では』

『かもしれないな』



 アルジェントが驚く言葉を述べた。



『先代夫妻は魅了にかかっていないみたいだよ』



 じっと喚く先代夫妻を見ていたアルジェントは魅了に掛けられた際の症状が二人にはないと言い、ベルティーナや父は驚きはしたがショックは然程受けていなかった。アニエス贔屓は魅了によるものじゃなく、本心からくるものだと知って。

 ただ、どこかホッとしている父がいた。散々冷遇されてきた理由が魅了のせいだったら、心中は複雑一色になった。実際は本心からと分かり気にせず付き合いを切る。


 出て行った先代夫妻に悪戯を仕掛けたとアルジェントに小声で囁かれたベルティーナは叱らず、不敵に笑って頬を指で突いた。

 領地へ戻る道中、立ち寄れる場所は殆どない。逃げられない馬車の中でお腹を下し屋敷に到着するまでひたすら耐えさせる。


 公爵として非常にプライドの高い二人だ、粗相をする真似は絶対にしないと予想して。

 ただ、結果はどうなろうと知った事じゃないからと報告は不要とした。



「うん。お父様に渡しましょう」



 纏めた書類関係を持って父のいる執務室へ足を運んだ。年季の入ったペンで黙々と書類にサインをする父と側には家令。そして……くるくると父の周りを飛ぶミラリア。


 前に一度、精神を崩壊した母の許へ行かないのはどうしてかと父に訊ねてみた。言い難そうにしながらも心当たりを教えられた。


 赤ん坊の時のベルティーナは体が弱く、目を離すとすぐに体調を崩しがちだった。片割れを失い、生き残った方も死んでしまったら母は自分が耐えられないと分かっていたから、積極的にベルティーナの世話をした。その間、ミラリアの事を忘れて悲しみを消そうとした。


 話し合おうとしてもベルティーナを理由に断られるか、泣かれてしまって話をする場合ではなくなり、母の精神を守る為にミラリアについて切り出さなくなった。いつか母の方からミラリアの名を聞く時がきたら、とことん話そうと父は決めていたがアニエスの魅了によって叶わない夢となってしまった。

 自分を覚えていてくれる父を助けたい気持ちはあっても、自分を忘れてしまった母を助ける気までは起きなかった。


 そう考えると人間らしくて、自分の双子の姉らしい。



「よく出来ている」



 書類を一通り確認した父は顔を上げ、この後王城へ赴くと告げた。



「陛下から登城要請が来ている。家令を連れて行くから、ベルティーナには留守を任せたい」

「分かりました。叔母様とおじ様の審議の結果がもう出たのですか?」

「そう早く終わらん。相手はモルディオ公爵家。慎重に議論を重ねている最中だろう」



 大聖堂を管理する大神官の証言や証拠、提出された夫妻を尋問証言を見て現在も審議されている。



 但し、財産と領地没収は免れないだろうとは父の意見。



「もしも、モルディオ領を管理するとなればどこの貴族が選ばれるのかしら」

「王家が管理するやもしれん。そうなればうるさく騒ぐ輩は出るだろうが」

「スペード公爵家、とかですか?」

「ああ」



 自分の娘を王太子妃、王妃にしたかったスペード公爵は野心家で子が生まれたら王家に対しても口出しする気満々だったらしい。目論見が外れた現在は大人しくする振りをしながら、ずっと機会を窺っている。

 もしもスペード公爵が領地について動き出そうとすれば、牽制する手札が王家側にあると父は語る。



「手札?」

「イナンナ様が陛下に教えたらしくてな」

「決して公には出来ない悪事……」

「そんな大層な物じゃない。スペード公爵家自体に影響力はない。だが公爵本人には大きなショックを与えられる」



 一体どんな情報を掴んでいるのか、気になって訊ねるがそこまでは父も知らないときた。

 気になりつつも執務室を出たベルティーナは私室に戻り、丁度お茶を運びに来たアルジェントを見かけた。



「いい香り」

「今淹れたばかりだよ。休憩にしよう」

「ええ」



 アルジェントからマグカップを受け取りソファーに座り、隣に彼が座ると何度か息を吹きかけ飲んだ。



「美味しい」

「良かった」

「この後、お父様と家令が登城するから私達は留守番よ」

「外へ行く用事があったの?」

「いいえ。……ねえ、アルジェント」

「うん?」

「殿下に婚約破棄されてから色んな事があり過ぎたと思わない? 最初は、殿下に婚約破棄をされたからさっさとこんな家出て行ってやるって決めてたのに。何だかんだまだいる自分がいて変だなって」

「なら、さっさと出て行こうよ」



 アルジェントはこう言ってもベルティーナが出て行こうとしないのは分かっている。

 ベルティーナは緩く首を振った。今更、全部を投げ出して出て行く気が起きない。仮に出て行くなら、兄の怪我が完治してから。

 と言いたいが。



「お兄様の怪我が完治しても不安な未来しか浮かばないのだけど」

「俺も」



 三日前、意識不明だったビアンコが目を覚ましたと聞きベルティーナは父の代わりにアルジェントと病院へ駆けつけた。体や顔は包帯だらけで濃い薬品の香りに包まれていた。

 包帯姿はともかく、意識ははっきりしており、骨にも異常はなく、後は本人の自己治癒能力次第というのが医師の判断。診察を終えた医師が医務室から出て行くなり黙ったままだったビアンコが急に騒ぎ始めた。



『ベルティーナ、クラリッサは、クラリッサはどこだ!?』

『クラリッサも同じ病院に入院しています。お兄様、自分の無責任な行動のせいで周りに迷惑を掛けた自覚はありますか?』

『無責任だと? クラリッサの頼みを断れと言うのか! だからお前は可愛げがないんだ!』



 時と場合を考えろと苛立ちを抑え説明しても興奮しているビアンコには一切届かない。カチンときたベルティーナは包帯が巻かれている腕を力一杯握りしめた。

 ビアンコの絶叫を聞きつけた医師に放り投げアルジェントを連れて屋敷に戻った。父には、怪我の割に元気そうだった、とだけ伝えた。



「ベルティーナが公爵の手伝いをする姿を見てから考えたんだ」

「なに」

「ベルティーナ。君が公爵家を継ぐつもりはないの?」



 考えた事が一度もない言葉を紡がれたベルティーナは面食らった。



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