前世保持者


 


 大聖堂の客室にて。ハチミツをたっぷりと入れたホットミルクをちびちびと飲みながら、大人の話し合いを終えて戻ったイナンナに早速切り出した。



「イナンナ様は叔母様がどうやって魅了を手に入れたか知っていますか?」

「これから大聖堂側で尋問するから、その内知れるわよ~」

「大聖堂側で?」

「そう。大人の話し合いでイグナートくんに了承させたの。勿論、吐き出した情報は包み隠さず王家にも報告する条件付きでね」



 単に腹を刺された恨みだけではなく、尋問中も魅了を使用される危険は大いにある。魅了の力が通用しないイナンナを先頭に大聖堂で尋問する運びとなった。今から魅了が通用しない尋問官を探すのは時間が掛かり無駄。


 早急に事を処理したいのは国王もイナンナも同じ。



「ただ、一つだけ有り得るかもっていうのがある」

「何ですか?」

「ベルティーナちゃん、“転生者”って知ってる?」

「てんせいしゃ?」



 初めて聞いた言葉に首を振りアルジェントを見やった。少し考えた後、肩を竦めた。知らないということ。



「極稀にね、前世の記憶って言ったらいいのかしら……」



 例えれば、今の自分は女性なのに男性だった時の記憶があったり、お姫様なのに何故か平民として暮らしていた記憶が強くあったり。と自分ではない誰かの記憶がある者は“転生者”として扱われる。

 マリアの愛し子と同じで産まれてすぐに判明する。また、普通の人間にはない特別な能力があるとも言う。



「それが魅了ですか?」

「そうよ~。最初は淫魔か魔族辺りが力を貸したかとも疑ったけど、どうもしっくり来なくてね~」

「もしも悪魔が力を貸していたら、たった一人に執着なんてさせないよ」とはアルジェント。人間を餌にするなら、もっと大勢の人間を魅了させる。アニエスが拘って魅了し、側に置かせたのはクロウだけ。悪魔が手を貸しても利益はない。



「そこで思い出したのよ~、確か“転生者”には似た力を持つ子がいるって。ただね~……」



 アニエスが本当に“転生者”だとしたら、赤ん坊の頃に行った洗礼で何故気付けなかったのか、となる。赤ん坊の時から既に前世の記憶を持っているのが“転生者”だと聞いたベルティーナは途中から記憶が戻ったのでは? と疑問を呈した。



「赤子の時ではなく、成長してから前世の記憶を取り戻してしまった為に洗礼の際に気付けなかった……とは考えられませんか?」

「有り得るわね~それならあたし達も気付かず見逃しちゃうわ~」

「“転生者”だった場合はどうするのですか?」

「特殊な能力を封印するの。悪用しない為と無自覚に使って周囲に悪影響を及ぼさない為に」



 マリアの愛し子と同じく滅多に誕生しない存在で、こちらの場合最近見たのは約七十年前だと言われた。その頃も今と変わらず大神官を務めるイナンナにある事を訊ねた。



「イナンナ様は……人間ではないのですよね」

「半分は人間よ? 母親が人間だもの~」

「……父親は?」

「ふふ、あたし父親はいないの~。あたしは女神マリアの血肉を人間の神官に与えて生まれたから、厳密に言うと父親っていう種の提供元はマリアになるわね~」

「…………」



 想像を超えた回答に唖然となったベルティーナと違い、前にイナンナから渡された鏡に触れた際、手に大火傷を負ったアルジェントは何となく察しがついていたらしくあまり驚かなかった。

 女神の子を出産した母親は死亡し、残されたイナンナは事情を知る当時の大神官が自分の娘として後継者として育て上げた。



「あ……ええっと……つまり……女神マリアと同じ……と思えばいいですか?」

「そんな大層なものじゃないわ~今まで通りでいいわよ~。それより、明日から早速アニエスちゃんとルイジくんの尋問を始めるから、結果が出たら二人に教えるわね~」



 今回同席は希望しないベルティーナはこくりと頷いた。

 ベルティーナは何をするのかと問われ、少し間を置いて紡いだ。



「お父様に会いに行きます」



 会ってどうしても訊ねたい。

 ミラリアを覚えているか、どうか。



 



 翌日、ベルティーナはアルジェントを連れてアンナローロ公爵邸に戻った。ビアンコは幸運にも不在で、何処へ行ったと聞いてもないのに家令が行先を告げた。



「ビアンコ様はクラリッサ様とお出掛けに」



 思わず足を躓きそうになりながらも倒れはしなかった。昨日はクラリッサを我が家に泊め、朝になると二人出掛けて行ったと。何をしているのかと深い溜め息を吐きつつも、今日やって来た目的は二人にないからと緩く首を振った。



「お父様は?」

「昨日からずっとお眠りに」

「お母様は?」

「奥様は……」



 言い難そうに口を開閉させる家令に更に訊ねようとした矢先、奥の方から甲高い悲鳴が上がった。声の主はベルティーナもよく知る母の声。急ぎ向かおうと体を向いたベルティーナは手を掴まれた。

 振り向いたら家令に首を振られた。



「奥様は……昨夜からずっとあの調子です。今朝早く、神官様が来て精神安定剤を処置してくださいましたが……」

「効果がなかったのね……」



 長期間魅了に侵され続けた者に精神安定剤は効かず、短い間魅了を掛けられた者には効果を現す。遠くから聞こえる母の叫び声はどれも父やアニエスを否定し、罵倒する言葉ばかり。

 


 気持ち悪い

 気持ち悪い

 気持ち悪い男、気持ち悪い女

 何故私は兄妹で交わる二人を微笑ましく見ていたのか

 気持ち悪い

 気持ち悪い



 呪詛のように続く言葉の数々をこれ以上ベルティーナに聞かせたくない家令が暫くは屋敷に近付かないよう言うがベルティーナは断った。今日は父に会いに来たのだから、何もせず帰られない、と。



「旦那様が起きていらっしゃるかどうか」

「眠っているなら、日を改める。お願い、お父様の部屋に通してちょうだい」

「畏まりました」



 引く気のないベルティーナに折れてくれた家令を先頭に父の寝室に入った。大きな寝台の上で静かに眠る父を見つめた。


 ――お父様って……こんなに老けていたかしら


 衰えを見せない美貌は数多くの貴婦人を魅了し続けた。あまり皺も目立っていなかった肌には目に見える皺があり、目元には薄らと隈が浮かんでいて。黄金の髪に白が多く混じり、たった一日で一気に歳を取った風に見える。



「このまま、目を覚まさない事が旦那様にとっては幸せなのかもしれません」

「だとしても、目を覚ましてもらわないといけない」



 するとベルティーナの前を光る球形が現れ、父の顔周辺をぐるぐる回り出した。以前にもベルティーナの前に現れ、顔の近くを回った後消えた。

 ベルティーナには分からなくてもアルジェントなら分かるしれないと光る球形の正体を問うが、返された言葉に耳を疑った。



「なんの話?」

「え」



 光る球形をアルジェントには見えていない。家令に訊いても何もいないと言われた。

 自分にだけ見える? と呆然としていると光る球形は父の額に乗り、粒子となって消えた。



「まだいるの?」

「い、いいえ、もう消えた」



 一体何だったのか。急に消えるのは前と同じだが自分以外に見えないのは何故か。考えていたら閉じたままだった瞼がピクリと動き、ゆったりとした動きで開いた。自分と同じ濃い紫水晶の瞳がぼんやりと天井を見上げ、軈て近くにいる自分達へ視線を向けられた。


 微かに瞠目した後、掠れた声がベルティーナを呼ぶ。



「……」

「……」



 無言が包み込む。


 父の次の言葉を待った。



「……ベルティーナ……」

「……」

「今更……お前に言うことは何もない。私がアニエスの術中に嵌まっていようが私がお前にしてきた事がなかった事にはならない」

「ええ……私もお父様の謝罪なんて真っ平ごめんです。そんなもの、今更欲しくもありませんし、謝罪されて許せる寛容な人間ではありません」

「それでいい……どんな仕打ちを受けようと許す人間など、何処にもいない……」



 今まで父と会話をする時、静まり返った室内だった時はほぼない。大体父が声を荒げるか、同席している母が怒声を上げるかのどちからで、その都度ベルティーナは言い返してきた。落ち着いた気持ちでベッドに横たわる父と会話をする日が来るとは思いもしなかった。

 一旦、アルジェントと家令には席を外してもらい二人だけになった。椅子をベッドの側に置いて座ったベルティーナは生まれてすぐに亡くなった双子の姉ミラリアについて切り出した。



「お父様の日記を読んで初めて知りました。お父様は覚えていますか」

「覚えている……忘れられる筈がない。アニエスの言うがままに動き、自分の意識が無くなっても、ミラリアの事だけは……決して忘れなかった。ミラリアの墓にも毎日足を運んだ」



 不思議な事にミラリアに関する事だけは不意に意識が戻っていたと語られた。



 ――ひょっとして……あの光る球は……



 ある予想をベルティーナは抱いた。


 


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