上機嫌に




 白亜の宮殿と名高い王宮は何処を歩いても白一色。晴れの日なら、小鳥の可愛い鳴き声にうっとりとするも今日は生憎の雨模様の為聞こえない。憂鬱な気持ちを雨が代わりに表現してくれているのか、空は灰色で王宮の中もどことなく暗い。王太子妃になる者としてベルティーナは城の者とは顔見知りが多い。今日が王太子とのお茶の日だと知る騎士がサロンへ案内をしてくれる。彼を前にしてアルジェントと歩きながらぼそりと本音を零すとクスっと笑まれた。



「本音がだだ漏れだよベルティーナ」

「本当なんだもの」

「見てからにしようよ」

「もしも、殿下が一人で待っていたらどうするのよ」

「その時は顔を見せないとね。呼び出しを受けているのだから、礼儀は通さないと」

「一番アルジェントから遠い言葉ね」

「否定はしない」



 もうすぐ王太子のいるサロンに着く。憂鬱な気持ちはより強くなる一方で、気のせいか雨の音も強くなっている気がする。


 王太子が好んで使用するサロンは彼の好みに合わず、薔薇を意識した内装となっている。絨毯も壁紙も家具の刻印や食器の柄も薔薇が多い。薔薇が好きだったかと首を傾げた。国王や王妃が特別好むとも聞いていない。有り得るのはクラリッサが好きだから、と抱くもクラリッサが好きなのはチューリップだった気がする。クラリッサの誕生日には沢山のチューリップを贈る両親や兄を毎年見ているからすぐに思い出せた。

 考え込んでいる内にサロンへ到着した。騎士が扉を叩こうと腕を上げた時、室内から笑い声がした。ベルティーナは強い期待を持って騎士に退いてもらい、扉をそっと開けた。隙間から覗く室内にはリエトとクラリッサがいた。しかも隣同士に座っている。


 戸惑う騎士に室内の光景は見なかった事にしてもらい、上機嫌にサロンの前を後にした。

 馬車に乗り込み、今度こそ街へ買い物へ出掛けた。鼻歌を始めそうな程、上機嫌なベルティーナは早く街に着かないかと待った。



「馬鹿だねあの王太子は」

「そうね、私を馬鹿にしたいのならもっと声量を抑えて話せばいいものを」

「そういう意味じゃないよ」

「どういう意味?」

「ベルティーナには分からないよ。だって王太子に興味ないでしょう?」

「ええ。ないわ。婚約破棄の件は私からお父様に伝えようかしら」

「その方が早いかもね」



 リエトが報せないのなら、手っ取り早くベルティーナから婚約破棄の件を父に伝え、激昂した父に感情が赴くがまま絶縁宣言を勝ち取ればこっちの物。買い物が済んだら作戦を立てると決まり、今は何を購入するかを頭が決めていった。




 ●〇●〇●〇


 王国で最も栄える街、となると王城のお膝元にあるフェリチタとなる。他国からの観光客も多数おり、お祭りになると毎年大勢の人で賑わう。人が多いと事件の発生率も上がる。フェリチタでは数多くの騎士が常に巡回をしており、街の治安を守っている。アルジェントと並んでカフェに入ったベルティーナは疲れた足を漸く休めてホッとしている。


 街に着くと雨は止み、丁度良い上に上機嫌だからと調子に乗って何時間も店巡りをしていると足が痛くなった。購入した品々は後日公爵家に送り届けるよう手配をした。

 給仕にケーキセットを二つ頼み、先に出された紅茶を飲んでいた。



「疲れたわね」

「楽しめた?」

「とっても」

「良かった」

「殿下は今頃、私を呼んだのを忘れてクラリッサとお楽しみ中か、私が来ないと二人罵倒しているかのどちらかね」

「ベルティーナを呼んだのにクラリッサを呼ぶなんて、王子は余程焦っているんだね」

「どういう事?」

「婚約破棄を告げたっていうのに、ベルティーナが全然普段通りにしているから焦っているのさ」

「???」



 益々意味が分からず、疑問符が大量に頭から飛んでいく。公爵に婚約破棄の件を知られれば窮地に陥り、絶望に立つのはベルティーナだと考えたリエトはベルティーナから助けを求められるのを待っているとアルジェントは話した。ポカンと口を開けたベルティーナは慌てて口を閉ざすもアルジェントの有り得ない考えに首を振った。



「どうしたの? 疲れ過ぎたの?」

「いいや? 王子は……——あ」

「?」



 後ろを見て目を丸くしたアルジェントに釣られ、同じ方向をベルティーナも見た。

 固まったのは当然だった。

 背後には、今頃サロンでベルティーナを忘れているか馬鹿にしているかのリエトが静かな怒気を孕んだ瞳で立っていた。藤色の瞳と合うと強く睨まれ、負けじと睨み返した。見たところ護衛はいない。茶髪の鬘を被り平民の服を着ている辺り、姿は気にしているようだ。



「……何か?」



 自分史上最も低い声をと意識した声は自分自身驚く程低く、アルジェントも驚いていた。



「……」



 リエトも強い拒絶と怒気が込められた声にショックを受け、傷ついた顔を見せた。多分な疑問を心に抱えながらも再度問うた。



「何の御用ですか」

「……今日は何の日か知っているか」

「貴方とのお茶の日ですね。それが」

「……サロンの前まで来たと聞いた。お前を待っていたのにどうして入らなかった」

「は?」



 思わず口にせずにはいられなかった。勢いがあり過ぎて声が大きくなってしまい、周りの客から視線を受けて身を小さくした。普段なら絶対にしないのに、と恥ずかしさが勝って顔が赤くなっていく。どうせ馬鹿にした顔をしているリエトを嫌々視界に入れたら、こっちは吃驚した面持ちをしている。予想外な表情に面食らったベルティーナだが首を振り、いつもの強気な自分に戻した。



「クラリッサと私を馬鹿にする予定だったのに当てが外れて残念でしたわね」

「クラリッサがいたから入らなかったのか」

「どうして態々自分を馬鹿にする気満々な人達がいる敵地に乗り込まないといけないのか、理由をお尋ねしても?」

「て、敵地だと……? お、お前は私がそんな人間だと思っているのか?」

「するでしょう。今まで散々クラリッサがいる前でお前は可愛げがないだの、クラリッサの可愛さを見習えと耳に胼胝が出来ちゃうくらい言い続けていたのを忘れましたか?」



 ベルティーナよりもリエトの方がアンナローロ家の身内だと言ったら誰も疑わないくらい息ピッタリの掛け合いだと指摘していくと睨みが強くなっていく。一体何をしに来たのかと問えば、連れ戻しに来たとだけ返された。


 誰を? ——ベルティーナを。


 心底呆れ果てた溜め息をリエトへ吐き、注文したケーキセット二人前を給仕が運んだ。途中で座ったリエトは珈琲だけを頼んだ。居座る気満々なのをうんざりとしながらも、テーブルに置かれたケーキを見ると機嫌が治っていく。



「美味しそうね、早速頂きましょうアルジェント!」

「ああ」



 リエトそっちのけでケーキを食べ始めたベルティーナ。大好きな生クリームが沢山載ったフルーツケーキの美味に感動し、濃い紫水晶の瞳を煌めかせた。輝きに満ちた紫水晶の美しさを何度も向けられてるアルジェントはケーキの美味しさに同意し、チラリとリエトを盗み見た。



「……」



 好物を食べて幸せ全開のベルティーナを目にして固まっていた。藤色の瞳に浮かぶ多分な切なさと愛しさ。

 ベルティーナからアルジェントに変わった視線には、熱量の強い嫉妬と怒り。


 ベルティーナは見ようとしないから、熱の籠った目で自分を見つめるリエトに気付かない。

 クラリッサがいる時も変わらない。


 ふう……と仕方ないと息を吐いたアルジェントはベルティーナの頬に手を伸ばした。小さな生クリームが付いていたのを取ってやり、舌先を見せペロリと舐め取った。ベルティーナは恥ずかしがる素振りもなくお礼だけを述べると再びケーキに視線を戻した。


 これに耐えられなかったのはリエトだった。

 鋭い声で名前を呼ばれたベルティーナは思い出したように眉間に皺を寄せた。



「何ですか、まだいたのですか。別の席に移動しては」

「婚約者がいる前で堂々と浮気か?」

「おかしいですわね、私と殿下の婚約は破棄された筈では? 貴方が言ったのにお忘れですか?」

「……」



 自分に都合の悪い部分を指摘されると黙るリエト。睨むのだけは決して忘れない。強い視線を貰うだけでも精神力は減っていく。

 昔は何度も心折れ掛け、その度にアルジェントに愚痴を聞いてもらって気持ちを落ち着かせてきた。婚約破棄をされてその負の感情から解放されて喜んだというのに。



「浮気と言うなら、婚約者を放って他の女とばかりいる殿下はどうなのですか。私を呼んだと言いながらクラリッサとそれはもう楽しそうにしていたではありませんか」

「……クラリッサが来たのは予定外だった。呼んだ覚えはない。私はお前を待っていた」

「待っていたなら、追い出せば良かったではありませんか。サロンに殿下だけいたなら、ご挨拶くらいはします」

「クラリッサがいないのならいいのか」

「それ以前に私と殿下は婚約破棄をしたのなら、二度と呼び出さないでください」

「……」



 まただ。


 リエトが黙る時は、都合が悪くなった場合だけじゃない。ベルティーナが拒絶しても黙る。時折、酷く傷ついた相貌を浮かべるのはどうしてなのか。生まれた時から周囲に大事に大事に育てられたリエトは人に拒絶された経験があまりに少ない。

 何度もリエトを拒絶したベルティーナが好意的に見られるのがないのはこれ。と本人は自覚していても目の前で何度もクラリッサといちゃつき、クラリッサと比べられ続けリエトに好きになってもらいたい気持ちは大きく削れていった。



「殿下、婚約破棄は確かに陛下も王妃殿下も承知の上、なんですよね?」

「……そうだ。クラリッサをアンナローロ公爵家の養女にする話が公爵と陛下達の間で進められている」

「……」



 いよいよ、ベルティーナは喜びを隠すのに必死になる。愛してもくれない家族に、婚約者に未練はない。ペットとして拾ったアルジェントだけは連れて行く。にやけそうになる顔を必死で、必死で、抑え神妙な顔を作った。



「そうですか……なら尚更、こんな所にいないでクラリッサの許へ戻っては如何です」

「公爵は……クラリッサを養女にしたら、お前を修道院へ送ると。王太子妃にならないお前に価値はないと」

「私としても父親としての価値がないお父様と離れられるならラッキーですわ」

「な!?」



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