もう、大丈夫
週に一度のゴブリン退治の日。
熊猫団にはそういった決まりごとが幾つかあった。
ゴブリン退治というのは、冒険者が嫌っている仕事のひとつである。
汚い巣穴へ行かなくてはならないし、殲滅するのがとにかく大変なのだ。
一匹一匹は弱いが、必ず群れているので気を抜けば返り討ちにあう。
そして一番の問題は、驚くほど報酬が少ない。
「だけど誰かがやらないとねえ!」
依頼を請けてきたテイザッドが笑う。
ガビンが同意して、依頼の内容を細かく確認しはじめた。
どうやら熊猫団の事務的な仕事は、ガビンが引き受けているらしい。
「東の、アンドラズスの足の森だな」
ガビンが依頼書を見て言うと、「そうなのか!」とテイザッドが驚きの声をあげた。
アンドラズスの足の森は、街から少し遠い。
今から行っても、辿り着くのは夜だろう。
夜になれば、夜目の利くゴブリンの方が有利となる。
「まあ、アレンがいるからなんとかなる」
「そうだな! アレンがいるから!」
「…………アレンがいる」
全員の目がアレンへ向く。
視線を感じたアレンがため息を吐き、両手のひらを向けてきた。
「……補助はしてくれよ」
「もちろんさ! いつも通り行こう!」
テイザットがアレンの背を叩く。
ずいぶんと頼りにされているのだと、アレンの評価にシルフィは驚いた。
幼馴染ではあるが、冒険者としてアレンがどの程度の実力なのか、まったく知らないのだ。
「アレン。その……大丈夫なの?」
心配になり、シルフィはアレンへ近寄った。
アレンの肩がぴくりと動く。シルフィから流れでている魅了の魔力を感じ取ったのだろう。
「ご、ごめん」
「……問題ない。だが、俺以外のやつにはあまり近付くなよ」
「う、うん。でもレンカは大丈夫みたい」
「男にしか効かないのかもしれないな。仮面を取れば、どうなるか分からないが」
「そう、だよね……」
唇を結ぶ。
気のいいパーティメンバーとはいえ、気を抜いてはならない。
自分のためではなく、アレンの居場所を壊したくはなかった。
準備を整えるために雑貨屋へ向かう。
店内には先客がいた。二人いる。そのうちの一人は、どこか聞き覚えのある声であった。
「……っち、脳なし不細工がいなくなったせいで、金がかかるぜ!」
――っ。
店の中から聞こえてきた声で、シルフィの足が止まる。
仮面の内の頬が、引き攣った。
「っとお! 邪魔だあ!」
店から出てきた先客が、声を荒げた。
見間違えようもない。トラグルックだ。
その姿を見た瞬間、シルフィの身体が固まった。
トラグルックの大きな手が、シルフィの肩を押す。
シルフィは身構えることもできなかった。崩れるように倒れ、地面に伏せた。
「っち、なんだあ、お前、仮面なんざ付けやがっ……て……?」
倒れたシルフィを見下ろしていたトラグルックの表情が、一瞬で変わった。
路傍の石を見るような目から、得物を見つけたという目に。
「なんだあ、お前。仮面はともかく、イイ身体してんじゃねえか?」
トラグルックの声も変わる。
肌を舐めてくるような、気持ち悪い声。気持ち悪い欲情。
シルフィは一瞬で、これまでの記憶を思い出した。
先日の酒場の記憶だけではない。虐げられつづけた記憶。
そしてトラグルックの、決まり文句。
『脳なし不細工のティファナ』
心身に刻み込まれた言葉が、シルフィの身体を震え上がらせる。
ゆっくりと近付いてくるトラグルック。
逃げようと思えば逃げられるのに、身体が動かない。
躾けに、いや虐待に慣れ過ぎたのだ。
叩きつけようとしてくる暴言と暴力を、身体が悲鳴をあげながら、待っている。
欲情を抱かれる形になっても、なにも変わりはしない。
「やめろ」
凛とした声が、シルフィとトラグルックの間に割り込んだ。
「俺の、俺たちの仲間だ」
アレンの声だった。
近付いてきていたトラグルックの前に立っている。
「なんだあ、てめえ!?」
「アレンだ」
「あ、……あ!?」
「聞かれたから答えた」
「ふ、ふざけんじゃねえ!!」
トラグルックが叫び、拳を振り上げる。
その拳を見て、シルフィは再び震えあがった。
あれはダメだ。人を、人じゃないものに貶める腕だ!
私のせいで。
私のせいで、アレンが!
仮面の内で、シルフィはぎゅっと目を閉じた。
直後。なにかが潰れるような音がした。
これは知っている音だ。
拳で、なにかを叩き潰した音。
頬を引き攣らせ、シルフィは恐る恐る目を開けた。
「怪我はないか?」
薄く目を開けた先に、アレンがいた。
心配そうにして、シルフィの頭を撫でている。
「ア、アレン……?」
「なんだ」
「ト、トラグルック、は……?」
「誰のことだ」
「あ、えっと……」
シルフィは辺りを見回す。
トラグルックの姿はどこにもなかった。
「……シルフィ……大丈夫……?」
レンカの声。いつの間にか隣にいた。
気付いていなかったが、アレンがトラグルックの前に立ちふださっがた時、レンカもシルフィの傍へ来ていたのだ。シルフィはレンカに頷いてみせると、レンカが無表情に頷き、立ち上がった。
「だから言ったろう」
アレンも傍へ来る。
険しい表情。少し怒っているらしい。
「俺以外のやつにはあまり近付くんじゃない」
「ご、ごめ……ん」
「…………アレン……独占欲……強すぎ……」
「そうじゃない」
茶化すレンカの頭を、アレンがぽんと叩く。
レンカの眉が少し上がり、アレンを見上げた。
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