第20話 彼の小さな不安

 朝の教室というのは異様なほどに忙しない。


 気づけば威勢のいいヒメの声が雑踏に紛れてしまいそうになるほどに、いつの間にか教室内には大勢のクラスメイト達の姿があった。


 教室の前方にかけられた時計がホームルーム5分前を示していることを確認すると、ヒメは「話はまた後で」とだけ言い残し自分の席へとやってくる間島に席を譲る。


「それではわたくしも失礼いたしますね、屋凪さん」

「へ、あ、あぁ……」


 お嬢のクラスは2年B組。俺のいるC組とは壁を挟んで一つ隣のクラスになる。自らの席へと戻っていくヒメを横目に、お嬢も自分の教室へと戻るべく廊下の方へと姿を消した。


 去り際、お嬢は未だに教室の入り口付近で会話に花を咲かせている女子生徒たちの集団へと声をかけると、追撃のようにこちらに向かって一つペコリと頭を下げていく。


 そんな様子に女子生徒たちが言葉を失っている辺り、彼女の魅力に惑わされてしまうのは男だけには限らないらしい。


 ホームルーム中、隣の席の向井むかいさんが何やら言いたげな表情でニマニマとこちらを見つめてきていたが、質問攻めにされるのもめんどくさかったので気づかないフリをし続けた。


 それからというもの、朝っぱらの出来事に興味津々な男連中の視線を無視し続けているといつの間にか時間は昼休みへと突入していた。


「……なぁ屋凪やなぎ、ちょっといいか」


 ここ三日、新しいクラスにいまいち馴染めない俺に積極的に声をかけてくる人間はそう多くない。目の前にいるこの黒縁メガネの似合ういかにも秀才そうな男はその中でも数少ない例外だ。


「なんだ竹下か」

「悪かったな、佐倉や小早川さんじゃなくて」

「むしろ当人たちじゃなくてよかったと思ってるよ」


 竹下は俺の数少ない気楽に口を利ける相手である。昨年我が1-Bのクラス委員長を務めたこの男は持ち前のリーダーシップと人の良さで今年も2-Cのまとめ役として早速忙しなく働いているらしい。


 そんな男がどうしてわざわざ昼休みに俺のもとにやってきたのか。それはきっとさっきからチラチラとこちらの様子を伺っているクラスメイト達が理由だろう。


「頼まれたのなら断ればいいのに」

「いやぁ、お願いされると断れない性格でなぁ」

「俺なんかにとやかく言われるのは気分が良くないかもしれないけど、そんなんだと苦労するぞ」

「……屋凪が心配してくれるなら大丈夫だろ」

「別に心配なんてそんなんじゃねぇよ」


 とは言いつつも去年一年世話になった義理がある。本人には言わないがあまり無理だけはしないで欲しいところだ。


「で、聞きたいのは佐倉さんと小早川さんのことか?」

「ご明察。何があったのか知らんが随分と愉快なことになってるじゃないか」


 俺が教室でヒメやお嬢と話しているのはクラス中にはもう周知の事実だ。興味本位でどんな関係か気になってしまうのは人として仕方ないことだろう。


「佐倉さんからは聞いてないのか?」


 俺よりも事情を聞きやすいだろうヒメは、今日はなぜか教室のどこにもいなかった。いつものように友人と一緒に昼食でもとっているのかと思ったが、一体どこに姿を消してしまったんだろう。


「彼女はヒミツの関係との一点張りで詳しいことを何も教えてくんのだよ。滝川にも何も言ってないみたいでな」


 そりゃそうだろう。元はといえば俺とヒメの奇妙な関係も、彼女の幼馴染である滝川奏太たきがわそうたが原因なのだ。だけどよりによってどうしてその言葉をチョイスしたんだ。余計ややこしくなるだけだろうに。


「あいつも気にしてるみたいだしな……」

「滝川が?」


 滝川は自分の席で今日も愛しの彼女の愛妻弁当を摘まんでいた。爽やかイケメンと儚げ美少女で相変わらずお似合いなカップルである。


 そんな二人を見ていると不意に滝川と目が合った。今日も今日とて腹立たしいくらいにカッコいい面をしてるが、そんな顔がちょっとだけ不安そうに俺を見るのが分かった。


「滝川には心配するなとだけ伝えてくれ。別に佐倉さんが俺に洗脳されてるわけでも、おかしくなったわけでもないって。あいつは、あいつの意思で自分のやろうとしてることをやり遂げたいだけなんだよ」

「屋凪がそこまで言うなんてな。……じゃあ差し詰めお前は共犯者か?」

「なんとでも思ってくれればいいよ。でも、きっと悪いことじゃないからさ」

「……そうか、ならお前を信じるぞ」


 それだけを言い残すと、竹下はそのまま仲のいいクラスメイトのところへと戻っていってしまった。


 去り際、竹下の背中の向こう側に滝川の何とも言えない表情があった。あんなに可愛い彼女がいるのに何をそんなに不安がる必要があるのか。


 そう思ったところでふとヒメの顔が脳裏によぎった。


 そういえばお嬢は納得を探していた。


 自分で自分の恋心の終わりを認めるため、そのための理由付けを彼女は探している。恋心は理屈じゃない。だからこそ終わらせることにも理屈じゃない理由が必要なのだ。


 それこそが納得。自分自身がそれを認められるか否か。


「……あいつはどうなんだろう」


 そんな独り言がつい零れた。 

 

 ヒメは納得しているのだろうか。自分自身の恋心の終わりに。


 幼馴染の背中を押して、親友の背中を押した。それじゃあそこにヒメの納得の理由はあったのだろうか。そんなこと考えても仕方ないとは思っている。でもなぜかそこに想いを馳せずにはいられなかった。


 そんな時だった。


 俺のスマホが小さな身じろぎを伴って、画面にメッセージを映し出した。


『放課後、お嬢と一緒にいつもの場所で合流ねっ!』


 ヒメからの連絡だ。きっとお嬢の相談事の件で作戦会議でもしたいんだろう。


「……まぁ、俺が考えることじゃないか」


 あいつはもう次の段階に動き出している。なら俺にできることといえば、そんな彼女の目指す先のちょっとばかりの道連れになってやることぐらいだ。


『了解』


 そんなメッセージと共に俺は自分自身を納得させて、スマホの画面を消すのだった。

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