第10話 君が作る未来

「えーっと、つまり真希さんはネットじゃそこそこ有名なコスプレイヤーで、今日はたまたま家で次のイベントのための衣装合わせをしていたと」


 佐倉さんを死んでも離そうとしない真希姉をようやく引きはがすと、俺は二人のために淹れたコーヒーを手にキッチンからリビングへと戻ってくる。


「そゆこと。そしたらグッドタイミングでロクが家に帰ってくるわけじゃん、しかも瑞姫ちゃんを連れて。そりゃあお姉さんとしてはあんなテンションになっちゃうわけよ」

「な、なるほど……」

 

 未だにその顔から戸惑いの色を隠せない佐倉さんだけど、どうやら彼女なりに目の前に広がる光景を呑み込もうとはしているらしい。


「はい、コーヒー」


 対極の表情を浮かべる二人にマグカップを渡しながら、俺もようやくひと段落着くためにソファへと腰を下ろすことができた。


「サンキュー。ところで今日の私はどうだった?」

「んー、可愛くていいんじゃない? 綺麗系の真希姉にはちょっと違うかなって感じはするけど」

「そーかなぁ。ちょっと普段とイメージ違うのもいいかなって思ったんだけど」


 ふむ……なるほど。真希姉の今回のコンセプトはいつもとは違う可愛い系ってことか。


「でもそれだったらニャンダーキーパーは悪くないと思うよ。あの作品、確か美人系のメイドにゃんも出てくるよね?」


 真希姉の今回のコスプレは『ニャンダーキーパーモモ』という作品のキャラだ。怠惰な生活を送る大学生の主人公のもとに未来からやってきた高性能美少女アンドロイドメイド、通称ニャンダーキーパーがそんな生活を正すために派遣されるという作品だ。


 主人公は将来、異世界からやってくる侵略者を撃退するためのすごい兵器を開発するらしいのだが、このままの生活だとただのニートとして一生を怠惰に送ってしまう。そんな未来を変えるためにニャンダーキーパーが彼の世話をするために未来から派遣される、という内容のいわゆる大人向けゲームである。


「いつもは真希姉は綺麗系のキャラが多いからさ。この前のやつもめっちゃ美人だったし」

「ははっ、我が弟ながら素直で大変によろしいじゃないか」

「まぁ、俺は思ったことをそのまま口にしてるだけだから」


 俺と真希姉のそんなやり取りを、佐倉さんはどこかポカンとした表情で見つめていた。


「あぁごめん、完全に佐倉さんを蚊帳の外にしちゃった」

「いや、そんなんじゃないんだけど……なんとなく納得したから」

「ん、どういうこと?」

「いやね、屋凪君ってやたらと素直に女の子を褒めるようなことがあるから……。それって真希さんとこうやって話してるからなんだなって」

「…………俺、そんな風に思われてた?」


 佐倉さんの指摘に急に顔が熱くなる。自分では気の利いた言い回しが出来ないからと、思ったことをただ口にしてただけのつもりだったのに。


「ははぁ……お前も隅に置けないな、ロク君よ」

「いや違うって、真希姉が昔から褒めないと怒るからだろ」

「でも今は違うんだろ?」

「ま、まぁ……」


 昔は血の繋がった姉に対する苦手意識や反抗心があったけど、少しずつ年を取るにつれてそんなものは薄れていった。というより客観的に物事を見ることがようやくできるようになった、と言い換えるほうがいいかもしれない。


 弟の俺が言うのもなんだが、真希姉は美人だ。昔から身内だけじゃなく学校なんかでも話題に上がらない日がないぐらいのレベルで、俺もよく姉と仲良くなりたいだけの知らない誰かに声をかけられたもんだ。


「ふふふ、全く愛い奴めぇ」


 ぐりぐりと俺の頬を指先で弄ってくる姉を鬱陶しく思っていると、ふと真希姉は何かを思い出したかのようにその指を机の上のマグカップへと戻した。


「そういえば瑞姫ちゃんは今日は何しにきたの? 別におうちデートって訳じゃないんでしょう?」

「だから俺と佐倉さんはそんな関係じゃないって」

「分かってるわよ。瑞姫ちゃんはアンタみたいな男にはもったいない」


 全く持ってその通りだが、真希姉も俺に似て思ったことを口にしすぎじゃないか。いや、この場合似たのは弟の俺の方なのかもしれないが。


「今日は勉強しに来たんです」

「勉強? ロク、アンタ人に勉強教えるほど成績良かったっけ?」

「……真希姉と違って俺の成績はボチボチだよ」

「…………ダメじゃん」


 見てくれもよければ頭もいい。どうしてその才能を姉は少しでも母さんのお腹の中に残してくれてなかったんだろうな。


「えっと、ちがうんです、今日勉強しに来たのは……負けヒロインについてです」


 佐倉さんの言葉に、今度は真希姉がポカンと呆気にとられる番だった。


「……え、どゆこと?」

「あー、実はですね、私、負けヒロインを幸せにする活動をしたいんです」


 それからしばらく、佐倉さんは拙いながらに自分がこれからやっていきたいことを真希姉に伝えた。


「……つまり、アンタはそんなアホみたいな提案の手伝いをしようっての?」

「アホみたいなって……。いや、俺もアホだとは思うけどさ」

「んなっ、姉弟そろってそんな言い方ないよっ」


 佐倉さんはムッとした表情を浮かべるが、実際俺はこれを随分とバカげた計画だと思っている。


 確かに協力するとは約束した。でもそれって、何をどこまでやればいいんだろう。


「……私が焚きつけたようで悪いけど、なかなか難しい問題だと私は思うよ。第一、幸せってなんだろうね」


 確かに、真希姉の言葉はその通りだ。佐倉さんの目的はあくまでも『負けヒロインを幸せにすること』。じゃあその幸せっていったいどんな形をしているのだろう。


「幸せの形ってのは各々違うもんだ。おいしいものを食べることに幸せを感じる人間だっているし、私みたいに趣味に生きることを幸せとしている人間だっている。瑞姫ちゃんの場合は……幼馴染君と居た時間を何よりの幸せだと思ってたんじゃないのかい?」

「うぐっ……そ、それは……そうですけど……」


 佐倉さんが言いくるめられている。そんな光景をどこか珍しく思いながら、俺は真希姉の言葉に耳を貸していた。


 真希姉の言葉は正論だ。幸せの形はひとそれぞれ。それを第三者の俺たちが勝手に定めて導いてやろうだなんて身勝手が過ぎやしないだろうか。


 ―――それでも、俺にだって譲れないものがある。


「違うよ真希姉。それは幸せを見つけている人だけに言えることだ」


 テーブルへと視線を落としがちだった佐倉さんが、不意に俺の言葉に顔をあげた。恐る恐るこちらをみる彼女のどこか不安げな瞳と目が合う。


 そんな瞳に俺は心配ないと訴えかけ、再び真希姉へと向き合う。


「佐倉さんは言ってたんだ。好きな人は世界だって。幸せを見つけてる人にとってはそれは世界に等しいかもしれないけれど、そうじゃない人たちだっているはず」


 負けヒロイン達の描かれなかったその後。そこにはきっと彼女たちなりの悩みや苦労が転がっている。


「好きな人を失ってしまうのは世界から弾き出されたかのようにつらいんだよ。俺と佐倉さんがやりたいのは、そんな人たちを再び世界に連れ戻してやることなんだ。彼女たちが思うそれぞれの幸せを、一緒に見つけてやることなんだよ」

「屋凪君……」


 SMS同好会の目的はそんな彼女たちの新しい幸せ探しをちょっとだけ手伝ってやることなんだろう。


「幸せにしてやる、なんておこがましいことじゃない。そんなのは彼女たちを真に愛する主人公もどきに言わせてやればいい。でもそんな言葉をかけられなかった女の子たちにだって、幸せになる権利はあるはずだ」

「それを一緒に探そうって?」

「……そういうこと」

「…………なるほどねぇ」


 真希姉は一つ大きく天を仰いだ。だらしなくソファにもたれさせた背中に、風呂上がりの親父よろしくかっぴらいた足。見たこともないけれど、きっとメイド喫茶の休憩室には似たような光景が広がってたりするに違いない。


 でもその姿さえどこか絵になってしまうのは、真希姉のそのルックスのたまものだ。


「……ま、やってみたらいいんじゃない」

「もちろん、そのつもりです」


 先ほどの表情はどこへ行ったのやら。佐倉さんの瞳にはいつのまにか昨日のような確かな決意が戻っていた。


「私なんかのアドバイスならいつでもくれてやるからさ」

「ありがとうございます、真希さんっ!」

「それじゃぁ、ちょっと待ってな……」


 そういうと真希姉は止める間もなくなぜか俺の部屋に入っていく。それから数分、ゴソゴソと何かを漁るような音が聞こえてきたかと思えば、両手に山のような漫画本を抱えて何事もなかったかのような顔で戻ってきた。


「ま、真希さん、それは……?」

「勉強するんでしょ?」


 その言葉ですぐに俺は合点がいく。真希姉が俺の部屋から持ってきたのは参考書だ。王道のラブコメからバトルもの、はてはスポーツ漫画まで。共通しているのはそのどれにも魅力的な負けヒロインが存在していることだ。


「考えてみな、瑞姫ちゃんが物語が終わった後に、彼女たちとどんな幸せを見つけていきたいのかを。私はその先に、君が作る未来が見たい」

「……はいっ!」


 決意新たに漫画の塔に手を伸ばす佐倉さん。


 まるで師匠と弟子のようなそのやりとりにどこかほほえましさを覚えながら、マグカップに残ったままのぬるくなったコーヒーを胃に流し込みながら思う。


 そういえばさっきのセリフ、完全に真希姉が持ってきた漫画のパクリだったなぁ。

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