第8話 世界中の負けヒロインを幸せにする同好会
始業式も無事に終え、俺たちの高校二年生は無事にスタートを切った。
我が青ヶ峰高校のカリキュラムでは、翌日からは普通に授業がスタートする。最初は各教科担当の自己紹介や授業内容の軽い紹介が続くばかりだが、きっと来週には去年よりもさらに一段と難解になってしまった授業内容に頭を悩ませる日々が始まるのだろう。
「さっそくなんだけどさ……なにすればいいと思う?」
俺の学生生活はと言えば、朝になれば相も変わらず顔見知り程度のクラスメイトと挨拶を交わし、授業中も特に積極的に発言することなく、休み時間中には一人でスマホを弄るか持ち込んだ小説を読む。そんな地味でなんの面白みもない生活――と言う訳には行かなかった。
「いや、俺に聞かれても……そっちこそなんも考えてなかったのか?」
4限目が終わり昼休みが始まったかと思えば、突如俺の机の前に見覚えのあるシルエットが舞い降りた。その正体は昨年に引き続き同じクラスになった
地味で目立たない俺と違って彼女は明るくて元気なクラスのムードメーカー。そんな彼女が陰キャの俺と机を挟んで向かい合っているもんだから、クラスメイトの視線が否が応でも集まってくる。
「いやまぁ、それを踏まえて
「思いっきり他人任せだな」
「えへへ」
そういって可愛らしい笑みを一つ浮かべる佐倉さん。だが、そんな彼女とは裏腹に俺はこの状況に気が気じゃなかった。
なんてったって佐倉さんにはファンが多い。去年から彼女と仲良くしようと四苦八苦している同級生たちを俺は大勢見てきたのだ。
普段からそんな状況だったってのに、今年は更にはそれに追い打ちをかけるような事態が起きた。
「ねぇ奏太、私の作った卵焼き……おいしい?」
「あぁ、美味いよ香澄。形はその、まだ崩れちゃってるけど、香澄が頑張って作ってくれたのがこれでもかって程伝わってくる」
「……ホント?」
「ホントだって。それにこの指。絆創膏でいっぱいじゃないか……。これも今日のためなんだろ?」
「うん、お母さんに手伝ってもらった。奏太に私の作ったお弁当食べてもらうの……夢だったから」
俺と佐倉さんもそれなりに注目を集めているが、それ以上に注目を集めているのがあの
運動神経抜群で明るく社交的なイケメン滝川と、独特な透明感と儚さが魅力の美少女である柊木さん。前のクラスでもしょっちゅう話題に上がっていたが、そんな二人がついに公の場で付き合っていることを発表した。
その瞬間の周囲の男子の絶望に満ちた表情を俺は忘れもしないだろう。
「はぁ……。ねぇ屋凪君、押すだけで今すぐに地球が爆発するようなスイッチ持ってたりしない?」
「俺も全く同じことを佐倉さんに聞こうとしてたよ」
そんなことを言いながらも、内心では滝川にだったら学年のアイドルである柊木さんをまかせてもいいかもしれないと思ってしまうのは去年一年を通して奴の人柄の良さに触れてしまったからに違いない。
「でも奏太も大変よねぇ……これから香澄と付き合うって」
「どうしてだ? 柊木さんは性格に難があるようなタイプじゃないだろ? 見た目はケチのつけようのないほど可愛いし、俺みたいなのからしたら羨ましい限りだと思うけど」
「はぁー、屋凪君もやっぱり香澄みたいな子が好きなんだ」
「まぁ、可愛いのは間違いないと思うけど」
だらしなく机に頬杖をついた佐倉さんの顔が、俺の言葉に反応するようにぷぅと一つ膨らんだ。
「そこだよ……。これからたくさんの男子の嫉妬を買う訳でしょ? 大変じゃない」
「あー、それはそうかもな。でもまぁ、滝川なら大丈夫だろ」
「どーして?」
「それは俺よりも佐倉さんの方が知ってるんじゃない?」
バカップルの方へと飛んでいた佐倉さんの視線が、ゆっくりと俺の方へと戻ってきた。
「それよりも俺は佐倉さんの方が大変だと思うけどな」
「なんで?」
「滝川に恋人が出来たってことは、佐倉さんはフリーだって言ってるようなもんだろう? 入学当初は、俺だって佐倉さんは滝川と付き合ってるんだと思ってたぐらいなんだし」
「ははっ……そう思ってもらえるぐらいにはアピールしてたつもりだったんだけどね」
佐倉さんの乾いた笑いには、過去の自分への嘲笑と共になんというか滝川への恨みも籠っていそうだった。
「まぁつまり、これから佐倉さん目当ての男が滝川なんて枷を気にせずに声をかけてくるわけだ」
滝川というあまりにも大きい障害は取り除かれた。しかしそんな時に現れたのが地味で目立たない陰キャの象徴こと、俺である。まぁ実際は俺なんて障害にもならないと思われているのが真実なのだろうが、それでも気の小さい自分としては気にしてしまうものだ。
佐倉さんに協力するのはやぶさかではないけれど、これからもこんな関係を続けていくと考えると今から胃が痛い。
「……どうして私なんかに」
俺の言葉に、だけど佐倉さんは全く持って理解できていないといった具合に目を細めた。
なるほど、滝川も滝川なら佐倉さんも佐倉さんで鈍いのか。
「……佐倉さんも、柊木さんに負けないぐらい可愛いってことを自覚した方がいいよ」
ぶっきらぼうに、だけど決して突き放した言い方にならないように俺はそう伝えた。
するとすぐに、先ほどまでもう何も見えてないんじゃないかってぐらいに細まっていた佐倉さんの瞳が、驚いたように丸くなった。
「…………やるじゃん」
驚くような、それでいて嬉しそうな、そんな口調で佐倉さんはぽつりと零した。
そういえば似たようなことを以前口にした気がする。あの時は佐倉さんの表情は分らなかったけど、今はなんというかどこか誇らしげな顔だ。
「言うねぇー屋凪君。でもごめんね、私まだ失恋のショックから立ち直れてないの。それにさ、私やりたいことあるし、恋なんてしてる場合じゃないの」
「……そういうつもりで言ったんじゃないっての。でもそう思ってる連中は大勢いるさ」
俺だって佐倉さんにそういった気持ちがある訳じゃない。
「この状況だけを見ると、俺もその一部だって多分みんなに思われてるんだろうな」
「あーそういうことか」
「理解してくれると助かる。俺だってまだ有意義な学校生活を送りたいんだ」
「去年一年有意義じゃなさそうだった人が何を言うのやら」
「……急に辛辣過ぎない?」
「……まぁでも、周りに自分が何をやりたいかを知ってもらいたいなら、やっぱり行動していくしかない」
まるで何かを確かめるように、佐倉さんはそう呟いた。
「大事なことを見失わないためには、一つずつできることをやっていくしかないんだよ」
そんなこと今まで気にしたことがなかった。自分の行動が周囲に自分を知ってもらうためのアピールになる。たとえ自らそれを誰かに語ることがなくとも、誰かがそれを見てくれている。
俺はこういう人間なんだって――そんな風に。
「自分が何をやりたいかを知ってもらうため……か」
「うんっ! そのために屋凪君には、私たちが何をやっていくべきかを考えてほしいんだけど」
「いや、なんで俺が考えなきゃいけないんだよ」
「だって屋凪君は我がSMS同好会の作戦参謀だからね」
「いつのまに参謀に就任してたんだ……。ってか昨日も言ってたけど、そのSMS同好会ってのは何の略なんだよ」
そう口にすると、佐倉さんは4限の時に使ったまま机の上に出しっぱなしだった俺の数学のノートをひったくる。
「世界中の負けヒロインを幸せにする同好会っ! 略してSMS同好会っ!」
乱雑に書きなぐったノートの一部を掲げる佐倉さんの表情は随分と誇らしげだった。その表情に免じて、新学期のためにと新調したノートが早速数ページ無駄になったことは気にしないでおくことにする。
「世界中……ね。まぁ、目標としては悪くないんじゃないか」
随分と大きく出たと思う。でも、きっとそれが佐倉さんが目指す先ならば、俺にできる事はいったいなんだろうか。
「そうだな……それじゃあまずは広報活動とかからやってくべきじゃないか? 何事も、知ってもらわないと始まらないだろ」
「おお……さすが参謀っ」
「だから俺はいつから参謀に就任したんだよ」
「えっと……私を家に誘ってくれた時、かな?」
一瞬教室中から殺意がこちらに飛んできた気がするけど、きっと俺の気のせいに違いない。いや、そう思わないとやっていけない。でもそうか、言われてみれば佐倉さんが負けヒロインなんて言葉と出会ってしまうきっかけを作ったのは俺か。
そう思うと妙な罪悪感が湧いてくる。まぁ、それもこれも真希姉が余計なことを言ったことが原因なんだけど。
「ということでそんな参謀にお願いがあります。放課後また家に遊びに行っていいですか!?」
「……どうしてそうなるんだよ」
「作戦会議だよ。昼休みはもう終わりそうだし。それに……負けヒロインの勉強がしたいから、かな?」
負けヒロインの勉強っていったいなんなんだよ。
「まぁいいけど」
「よし、約束ねっ! それじゃ私友達とお弁当食べるからー!」
それだけを言い残すと、あっという間に佐倉さんは自らの席に戻りクラスの女子たちの輪に混ざっていった。なんというか、嵐のような女の子だった。
「……放課後、か」
鞄に詰め込んでいた菓子パンを取り出すと、俺はそれを一つ口の中に放り込んだ。去年はなんとなく味気なかったその味が今日はどこか違って思えたのは、きっと涙ぐましい企業努力だけが原因じゃないのだろう。
それから自宅に並べてある本棚のリストを思い返しながら過ごした午後の授業が完全に上の空だったのは、ここだけの内緒である。
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