side:甘城アルマ『君がいない』

 これはいつかの夢。

 いつもよくみる夢だ。


 少女の感情が、記憶と共に流れこんでくる。

 天涯孤独の自分を受け容れてくれて、居場所を与えてくれた魔王が別れを告げようとしていた。


『なぜですか……わたしが足手まといだからですか……』

『そんなわけないだろう。我をずっと支えてくれたぞ』

『でしたら……どうして……わたしだけを置いてけぼりなんて……』


 強烈な睡魔が襲いかかってくる。

 普通なら術をかけられた時点で昏睡する代物だ。


 しかし少女は胸が張り裂けそうなほどの痛みで耐えることができた。

 ナイフを取り出し、自分の手を刺そうとする。なんなら自分を置いてけぼりにしようとした魔王もグサーッとするつもりでいた。


『君には幸せになってもらいたいからだよ。デルタ』


 優しい表情でそう告げられて、気が緩んでしまう。

 次に目覚めたときはひとりぼっちになるとわかっていたのに、少女は崩れ落ちていく――


 そこで、アルマは夢から覚めた。


「わたしを一人にしないで……!」


 ベッドで叫びながら上半身を跳ね起こす。伸ばした手はなにも掴めず、胸にポッカリとあいた穴を塞ぐようにシーツを抱きしめた。


 温もりは感じない。

 ただただ、どうしようもない寂しさが伝わってきて、自然と涙がこぼれる。

 いつものことだ。


 別世界の自分。デルタの記憶と感情。

 幼い頃からこうして感じては孤独に苛まされる。

 少女の全身が砕け散るような激しい感情が、悲しいほどに伝わってきた。


「もう……昼……」


 窓のブラインドからは光が伸びていた。


 自宅には帰っておらず、ずっと研究所の一室で暮らしている。

 あの家は一人でいるには大きすぎる。

 今は、日夜誰かが騒がしくしている研究所で過ごしていたかった。


「ぬいぐるみは……片づけましたね……」


 私物はもう引っ越しのために荷造りを終えていた。

 抱きしめるものがなくて、アルマはベッドで三角座りになる。

 自分の体温がいくらか慰めになったが、熱が引けば余計に虚しくなった。


 デルタの記憶は魔王と別れて以降おぼろげだ。

 ガイデルが最恐の魔王として世界に君臨したのは知っている。


 そして、勇者たちに倒された。


 デルタの慟哭は耳にのこるほど響いたし、決して拭えない感情が幼い頃からアルマの胸で渦巻いていた。


 しかし甘城ヒカリは、娘の状態を冷静に判断した。


『ア、アルマちゃん、君の記憶も感情も別の誰かのモノだよ……。

 じ、次元同位体として繋がりはしたが君のモノではない。

 本を読んだところで君の物語になるわけじゃないんだ……。

 だから、偽物だと切り捨てなさい』


 母親のいたってマトモな指摘は、アルマに反発心を抱かせた。


 この胸の痛みは本物だ。

 まごうとこなきリアルな感情だ。

 偽物のはずがない。


 魔王ガイデルとの思い出は、たしかなものでなければ少女が救われない。


 ……前世。

 そう、これは前世だ。

 ガイデルたちとの黄金色の思い出を、自分は間違いなく駆けていたのだ。


「………………」


 お気に入りのアロマの匂いに、違和感を覚える。


 デルタの記憶が強く呼び起こされたとき、標準世界での五感にズレが起きる。

 好きな匂いは嗅ぎ慣れない匂いとなり、好物のグラダンは知らない味となる。


 アルマにとってこの世界は、異世界だった。


 だから、ここではないどこかを探してダンジョンに潜った。

 ときには贄をささげて、魔王を召喚しようとした。


 きっといつか出会えると信じて。

 そうでなければ救われない。

 ……誰が救われるのかはわからない。


 それに次元変数が不安定なダンジョンならば、元の世界に繋がるかもしれない。

 しかし無謀な想いは成就されることがなく、徘徊する鎧リビングアーマーによってついえようとしていた。


 そんなときだ。


『我は魔王! 魔王ガイデルである! 貴様ら人類の頂点に立つべき支配者よ!』


 夢かと思った。奇跡が起きたとわからなかった。

 灰色だった標準世界が、一瞬で色彩豊かになる。


 今までおぼろげだったクラスメイトの顔がハッキリ見えるようになった。

 おかげで、すぐに彼の存在に気付けた。


 なんたる迂闊。

 なんたる失態。

 人には言えない便利な機械でちょこちょこっとアドレスを引っこ抜いて、彼を呼び出した。


『――って、ボクは魔王じゃないからね⁉』


 どうしだか彼は否定する。

 信用してくれないのだろうか。

 それならばと自分の覚悟を示してみたら、受肉した魔王だと告白してくれた。


 ……ちょっと様子がおかしい。

 どうやら記憶が半端にしか戻ってないらしい。


 なら彼を魔王として覚醒させよう。

 彼が魔王に近づけば近づくほどに、記憶を呼び戻すだろう。


 そうして、デルタと魔王ガイデルは今世で幸せに暮らすのだ。

 そうやって、いつも呑気で寂しそうな人は放っておけず、優しい笑顔が素敵な【鴎外みそら】は魔王となるのだ。


 ………………。

 側にいるほど、彼の存在が自分のなかで大きくなっていく。

 ささいな表情の変化から彼の感情が読みとれるようになっていくにつれ、自分に温かな感情が芽生えていく。

 この世界で仲間もできた。


 そして、うっすらとだが気づきはじめる。


『鴎外みそらには、魔王ガイデルの記憶が欠片もない』


 聞くことはできなかった。

 認めることが怖かった。

 認めてしまえば自分デルタの想いが果たされなくなる。


 しかし、ダンキョーの様子から認めざるを得なくなる。

 さらには、研究者からとある事実を告げられてしまう。


『貴方が鴎外君の側にいれば、彼はより魔王に近づきますよ』


 そうなったら鴎外みそらの存在は?

 魔王ガイデルの記憶が蘇った彼は、自分みたいになってしまうのか?


 それは……それは……。


 答えが出せないまま、自分は一人になることを選んだ。

 デルタの想いを叶えることもできず、鴎外みそらには最後まで魔王ガイデルの記憶がないのかも聞けなかった。


 なにもかも半端だった。 

 自分が弱い人間だとは知っていたが、こんなにも弱い人間だとは思わなかった。


 背中を丸めたアルマは、名前を告げそうになる。


「一人はイヤです…………みそ………さま……」


 ギリギリ呼ばなかった自分を褒めた。

 名前を呼べなかった自分がイヤだった。

 こんなにも側にいて欲しいと願っているのに、叫ぶことができなかった。


 ―――チリーンと、音が鳴る。


 フォローした配信者が、配信をはじめたときの音だ。

 テーブルに、知らないタブレット端末が置いてあった。


「誰のでしょう……?」


 ベッドからのそのそと起きあがり、テーブルに近づく。

 タブレットの側にはメッセージカードが置いてあった。


『ココア分。彼の配信をみてあげてねー』


 アルマは首をかたげる。


「ココア……?」


 画面では、ダンジョンで初めて出会ったときの手作り魔王衣装の彼がいた。

 鴎外みそらは、高層ビルのてっぺんで配信をはじめようとしていた。

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