第02話「忘却の狭間にある記憶」
規則的な電子音が耳の中で響く。
ゆっくりと頭の中を埋め尽くしていた靄が晴れていき、僕は意識を取り戻す。どうやら、生きているらしい。それに気付いた瞬間、思い出したように全身が痛みを訴えてきた。
「ぐっ」
「起きたようだね」
激痛に呻くと、耳元で知らない声がした。重たい瞼を上げて眼球だけで周囲を見渡すと、近くで桃色の髪がぴょこんと揺れた。
「ここ、は……」
呂律の回らない舌を動かす。目の前に見えるのは、見覚えのない天井だ。淡い光が仰向けに寝ている僕を照らしている。耳元で繰り返される電子音は、僕の鼓動と重なっている。鼻先をくすぐる匂いは薬品のそれだ。
「具体的な場所は明かせない。一応、秘密結社だからね」
「ひみつ?」
桃色の髪の毛がまた揺れる。それが発した言葉が脳裏に引っかかる。違和感の正体に気がついて、一気に意識が覚醒した。
「オルディーネは!? あぐぅ、っ!」
勢いよく飛び起きて、全身の激痛に悶える。再びベッドに倒れ込んだ僕を覗き込むように、桃色の髪をした幼い少女の顔が現れた。眼鏡越しの瞳が、呆れた様子で僕を見る。
「他人よりも自分の心配をしなさい。全身複雑骨折、顔面と左腕にⅢ度の火傷、それ以外の皮膚にもⅡ度の火傷だ。内臓もめちゃくちゃだし、高濃度の放射線も受けて、電子レンジでチンされてる。よくもまあ生きてたもんだよ」
「何が、あったんですか」
淡々と説明されるほど、余計に痛みが激しくなるような気がした。記憶の糸をたぐっても、覚えているのはモザイクがかった光景だけ。唯一鮮明に記憶していたのは、柔らかく温かい、顔面を包み込む感触だけ。
「こっちも色々聞きたいことがあるけど、とりあえず答えてやろう。和毛恭太郎くん」
伝えていない僕の名前を、桃色の少女は口にする。疑問が顔に浮かんでいたのか、彼女は袖の余った白衣の下から、僕の身分証を取り出した。
「勝手ながら荷物は改めさせてもらったよ。一応セキュリティというものがあるのでね」
「貴方は……。もしかし、レザリアさん?」
だんだんと意識がはっきりとしてきて、目の前に立つ白衣の少女に思い当たる。
怪人博士レザリア。あまりヒーローバトルで見ることはないけれど、れっきとしたヴィランの一人だ。
ということは、まさかここは――。
「よく分かったね。お察しの通り、ここは悪の秘密結社∀NEの医療部だよ」
誇らしげに胸を張り、レザリアさんは言う。その言葉を聞いた僕は愕然とした。
悪の秘密結社∀NE。ヒーローとヴィランがひしめく特区でも強い勢力を誇る、巨大組織。大量のバイオロイドを用いた圧倒的な物量作戦を得意としている強豪で、怪人博士レザリアさんは戦力の要であるバイオロイド開発の第一人者だ。
「恭太郎くんは、
「なお、す」
自分の腕を見る。激痛はまだあるものの、滑らかな肌はむしろ記憶の中にあるものよりも血色が良くなっている。火傷の跡どころか、擦り傷ひとつない。
「まだ体が馴染んでいないから痛みがあるだろうが、すぐに消えるだろう。30分もしたら、トライアスロンだってできるさ」
「そんな……」
レザリアさんの言っていた僕の状態が事実ならば、今の状況は信じられない。これほど完璧な治療を施せるほどの技術を僕は知らない。けれど、思い当たることは一つだけあった。
それは彼女がさっき言っていたこと。特区内の技術を使ったという話だ。
「特区内では、こんなこともできるんですか」
「治癒系能力のメカニズムを応用した、医療用ナノマシンと高速細胞培養技術、あとは神経接続技術の賜物さ」
歴史上のいつからか、唐突に現れた超能力者。人類の総人口の2%を占める彼らが持つ特別な力は、そのメカニズムから発現理由に至るまで一切合切が謎に包まれていた。
一般人と超能力者の間で発生する様々な摩擦を回避し、同時に彼らの能力を解明することで人類に利益を還元するため、世界各国の特区と呼ばれる町が作られた。超能力者たちはその町の中で生活し、能力の研究を目的に切磋琢磨する。その一環として行われるのが、ヒーローとヴィランの陣営に分かれて行われるバトルだ。
中継によって特区外にも配信されることで娯楽的要素も帯びたその営みは、実際に多くの利益をもたらした。
僕の体を治療した先進的すぎる技術もまた、その産物なのだ。
けれど、特区外で使用するには危険性や倫理面での問題がある技術は、特区を運営している機関によって流出が厳しく制限されている。そもそも、こういった話は一から十までその全てが厳重な機密性を帯びているはず。レザリアさんが行ったのは、明白な機密漏洩になるはずだ。
「どうして、それを」
なぜ教えてくれたのか。その理由を尋ねようとレザリアさんに向き直る。そして、彼女の手に握られた注射器が目に入った。
「なに簡単なことだ」
ぴり、とレザリアさんが針の先から薬液をこぼす。それがどこに向かおうとしているのか、分からないほど僕も馬鹿じゃない。
「今から、君に記憶消去剤を投与する。ここで見たもの、聞いたこと、感じたことの一切合切を君は忘れる。目覚めた時に思い出すのは、丸一日寝過ごしてしまった罪悪感だけだ」
「そんな、い、嫌だ!」
身を捩って逃げようとする。けれど、四肢は頑丈なベルトで拘束されていて、ベッドの上から降りることすらできない。レザリアさんはベッドによじ登り、布団の上から僕の腰に馬乗りになる。幼さの残る丸い顔が間近に迫る。
「抵抗しないでくれよ。注射はあまり得意じゃないんだ」
「ま、待って!」
拘束が許す限界まで身を引きながら、喉を絞って叫ぶ。レザリアさんは不満げに口をへの字に曲げて一度動きを止める。
「なんだい。トイレは必要ないよ。カテーテルが突っ込んである」
「そ、そうじゃなくて! オルディーネ……。オルディーネさんがどうなったのか、教えてください」
「君が知っても意味がない。どうせ忘れることだ」
「ぶ、無事かどうかだけでも。それを知って、安心したいんです」
レザリアさんの手が止まる。彼女はしばらく眼鏡の奥で目を瞬かせた後、小さくため息をついて肩を竦めた。そして、僕の太ももにお尻を落として、視線を真横に向ける。
「ほら、そこにいるよ」
「え?」
彼女の視線を追いかける。怪しげな装置が並ぶ、病室というよりは実験室と呼ぶ方がふさわしい部屋だ。その一角に、ガラス張りの円筒型の装置が横たわっていた。いくつものケーブルが繋がったその装置の中に、見覚えのある綺麗な女性が浮かんでいた。
「オルディーネさん!」
「安心しなさい。死んではいない」
「そ、それってどういう?」
「彼女もそれなりに重傷だからね、メディカルポッドで集中治療中だ。なに、一晩も経てばすっかり治る。君が心配することはない」
どうせ記憶が消えるからか、レザリアさんは渋っていた割には流暢に説明してくれた。
あのメディカルポッドも特区外にはない医療機器だ。内部に詰まっているのは医療用ナノマシンらしい。一応、僕は医学部の大学院まで行っていたはずだけれど……。やはり特区の内外ではどうしようもない技術の断絶がある。
「ああ、そうだ。記憶を消す前に聞かなければいけなかった」
ポッドの中でオルディーネは確かに呼吸していた。それを見て安堵していると、レザリアさんがもぞもぞと体を動かしてこちらへ向き直る。
「君はどうして、あの場所にいたんだい。あそこは戦闘危険区域に指定されていて、避難指示があったはずだ」
「え? ええと、それは……」
その問いかけに、すぐ答えることはできない。後ろめたいことがあるのではなく、思い出せないのだ。しばらく悩んだのち、僕は覚えているところから順を追って説明する。
「その、僕は医学部の院生で」
「だいたい身元は理解しているよ。就職活動中だったのかい?」
「はい。ええと、それで、特区内の企業に……面接? たぶん、面接をしに……」
研究一筋で身を立てられるほどの能力はなく、ただダラダラと研究に時間を費やしてきた。いよいよ切羽詰まって就職を考え始めたけれど、いささか遅すぎた。手当たり次第にESを提出したものの、そのほとんどが梨の礫で。ようやく返事をもらって、張り切って特区に入った。どこの企業に向かったのかは、記憶が混乱しているのか思い出せない。
「社長がいて……。面接はたぶん、ダメだったと思うんですけど……」
「ふぅむ」
曖昧なことしか言えない僕を見て、レザリアさんは首を傾げる。情けなくて、穴があったら隠れたい気持ちだった。
「ま、面接がダメだったならまだ良いね」
「えっ?」
「どうせこれから丸一日の記憶が消えるんだ。その苦い記憶ごと消してやろう」
「いや、えっ、そういう話?」
「じゃあちょっとチクッとするよ――」
「ま、待って待って!」
太い針の先端が僕の首筋に突き立てられる。その寸前に僕はレザリアさんの華奢な肩を掴んで止める。手枷に少し余裕があって助かった。逃げることはできないけれど、注射針を阻止することはギリギリできる。
しかし、その持ち主は不服そうな顔だ。メガネの奥から苛立ちの混じった目がこちらに向けられる。
「なんだい? もう君は用済みなんだけど」
「そうじゃなくて! お、お礼を言わせて欲しいんです!」
きょとんとするレザリアさんの肩に手を置いたまま、隣のメディカルポッドで眠る女性に目を向ける。
これから記憶を失うことに抵抗はない。甘んじて受け入れよう。けれど、その前にどうしてもしておかなければいけないことがある。
「オルディーネさんは、僕の命の恩人です。本当なら直接お礼が言いたいけど……」
そんな時間はないと、レザリアさんが目で語る。僕は彼女が何か言う前に頷き、続ける。
「せめて、手紙を書かせてください。彼女が目を覚ましたら、それを渡してくれると嬉しいです。もしダメなら、そのまま捨ててもらっても、構いませんから」
「……しかたないな」
少しの沈黙の後、レザリアさんは再びため息をつく。そうして、僕の足から飛び降りて、サイドテーブルに置かれていた薄いタブレットを手に取った。
「ウチもペーパーレス化が進んでいてね。メモアプリがあるから、そこに書くといい」
「ありがとうございます」
意味はないことかもしれない。どうせ記憶が消えるのだから、僕はこのことを覚えていないだろう。それでも、彼女に助けられた命は確かにある。ヴィランと呼ばれる彼女の優しさを、少なくとも今の僕は知っている。
できる限りの感謝を込めて、僕は長い手紙をしたためる。
「終わったかい?」
「はい。……ありがとうございました」
湧き上がってきた言葉の全てを写し終えた。これでもう、心残りはない。
超能力者であるオルディーネと、一般人の僕。なぜか交わってしまったこの線が、再び交わることはない。でも、それでいい。
「心配しなくても、ちゃんと渡すさ」
「ありがとうございます。できれば、一生忘れたくないですけど」
「そう言うわけにもいかない」
レガリアが苦笑する。彼女はタブレットを置き、注射器を手に取る。再び僕の足の上にまたがり、こちらに密着する。そして――。
「すぐに楽になるから。安心するといい」
チクリと僅かな刺激。
彼女が言うほど、彼女は注射が下手ではないようだ。
そんなことを思いながら、僕の意識は急速に落ちていった。
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