着実に変わりゆく現実の中で

「ただいま」

 息を切らせ、小嶋貴大は自宅のドアを潜った。コンビニから自宅までの道のりを走り、今やっと落ち着けるのだ。

「おかえり……どしたの?」

 息切らして、と小嶋の彼女を名乗る過去の恋人——川上かわかみ唯菜ゆいなが彼を迎え入れたのだが、小嶋はそれを喜ぶことなく、疲労で少し窪んだ目で睨んだ。

「お前、俺以外に男いたよな」

「……なんのこと」

 聞きながら小嶋は察し、怒り、手にしているコンビニの袋に入ったままのアイスクリームを、彼女へ押し付けた。

 普段は開かないノートパソコンを起ち上げ、大きな溜息を吐いた。

「トボけなくていい。さっき俺に、別れたいのか、って言ったな。実は俺とお前は過去に別れているんだ。原因はお前にある。俺以外に男がいた。今もそうならその答えは変わらない。そんな女に使う金も時間も勿体無いからな。ぶっちゃけ女はいらないから別れてもなんの問題もない。ただ、質問には素直に答えろ。今もいるだろ」

 捲し立てられた唯菜は困惑していた。素直に答えろ、と言われたが嘘を吐こうかとも思った。なぜなら、唯菜にとって小嶋は所謂『本命』なのだ。

「早く」

「その、違う……貴大が、一番……」

「あのさぁ」

 呆れたように、小嶋は深い溜息を吐き、パソコン画面を唯菜へと向けた。

『貴大が、一番なの……他の人は、っ、その……貴大が忙しいから、会えない繋ぎ……みたいな、その……』

 タンッ、とキーを打ち、小嶋は動画を静止する。

「こっちにまで影響が出てなくて安心したわ。これ、過去に別れた時の動画。隠し撮りじゃないのは、画角で分かるな?お前も了承してる。気分は悪いが、それが必要だった。お前、ストーカーになって俺の腐れ縁に嫌がらせまでしてたんだよ」

 一度言葉を切り、小嶋は同じフォルダに保存している複数の画像データのうちの一つを開いた。

『消えろ』

『殺す』

『ブス』

『たかひろに近づくな』

 と、稚拙な言葉が並ぶそれは、すべて吉瀬の自宅玄関に貼られていたり、落書きされたものだった。小嶋のストーカーと化した唯菜が、互いに意識していないからこその距離感で小嶋と接していた吉瀬を妬んでしたことだ。

「なに、それ……そんなのやってない、言い掛かりじゃん!」

「今はな」

 そう、今はまだ。彼女はまだ、小嶋のストーカーではない。

 だが、小嶋にとってそれは瑣末なことだった。

「男がいるのはいいよ、もう。いるんだろ?結論。で、だ。この中に、そいつらの名前、一個でもあるか?」

 そして、それが複数存在することも小嶋は知っており、それでも瑣末なこととして扱った。

 冷たい目をした小嶋は、今回の被験者の名簿を生年月日、住所、電話番号の記載部を隠し、立ち竦む唯菜の眼前へと突き付けた。

「……」

「……」

「……あ、」

「どれ」

 押し黙って目の前にある文字を読んでいた唯菜が、小さく声を溢す。小嶋は聞き逃さず、そればかりか、少しだけ目を輝かせた。

「……大路、さん」

「こいつか」

 答えた唯菜は怒りで赤くしていた目に、涙の膜を張った。小島はそれを意に介さず、大路がどんな男だったか思い出しているところだった。

 被験者の男によくいる、冴えない男なのだが、パッとしない見た目と柔らかい話し方をする真面目な男だった。

「こいつ、今何してる」

「……」

「別にどうにもしないから」

 グッと黙り込み、唯菜は俯いた。小嶋は苛立ちを募らせるものの、やっと彼女の様子がおかしいことに気が付いたらしい。

「亡くなったよ」

 グッと自身の肩を抱き、唯菜はそれだけ呟いた。

 束の間、二人の間の時間が止まる。

「——……いつ」

 小嶋は一瞬戸惑ったものの、それでも聞かなければならない、と自分に言い聞かせ、最後の問いとばかりに口を動かした。

「分かんない。ただそう人伝に聞いただけだから。……もう、帰る」

「……そうか」

 部屋の片隅に置いていた私物を、全てお泊まりバッグへとしまい始めた唯菜は、小さく肩を振るわせていた。

 小嶋はイマイチ理解できずにいた。

唯菜の泣いている理由が、大路が死んだからなのか、自身と別れることになったからなのか。

 小嶋はよく共感力が低いと人に言われていた。だが、それで他人へ掛ける迷惑はそう多くないと思い込み、必要な時もどこ吹く風でい続けた。

「合鍵、持ってるの置いてって」

「……」

 よって、小島の口はこんな時でも、直感的に必要だと思ったことだけを吐くのだ。

 唯菜が相手だからまだマシだが、もっと気性の荒い女相手に同じことをしてしまえば、ヒステリックに喚かれていたことだろう。

「さよなら」

「ん。帰り気を付けろよ」

 リビングから出て行く唯菜を見送ることもせず、小嶋はさっさとはノートパソコンを閉じ、スマートフォンを取り出してどこかへ電話をかけ始めた。

「……出ないか」

 一度切り、今度は別の番号へと繋げようとコールする。と、こちらはすぐに繋がり、お疲れ様です、と決まり文句の挨拶をした。

 相手は上林の研究室の助手である。

「上林先生って起きてますか?」

 時刻は午後二十二時を過ぎている。研究熱心な人の多い職場ではあるが、万が一寝ているのであれば起こしてはいけない、と小嶋は気を遣ってみたのだ。

『先生なら、急変の患者が出たってさっき呼ばれて——』

「何時頃の話ですか、それ」

『あー……一時間くらい前ですかね。何か伝言しますか?」

「……いや、明日にします。お疲れ様です」

『はーい、失礼します』

 通話を終了した小嶋は、冷蔵庫から缶ビールを一本出し、待機状態のままにしていたパソコンの前に座り直した。

「唯菜の関連……あー、こいつな。ウザいんだよなー」

 と、ボソボソ独り言を呟きながら、方々への連絡を始めた。

「……あー、久しぶり。悪い、こんな時間に。……いや、大した事じゃないんだけど、今度前に集まったメンツで飯行かないか?……ああ、店は任せる。……唯菜?別れたよ。それもその時な。ん、じゃあお疲れ」

 小嶋は唯菜から聞くのではなく、その周辺から大路弘明について探ろうとしているのだ。

「洗い直し……メンドクセェ」

 ブルーライトカットのメガネをかけ、小嶋は大路弘明についてをまとめたフォルダを開いた。

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